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総合 (ろぐ211)
ここはわたくしフランソワが逃げた兄に代わり仕切っていた(過去形)掲示板の跡ですわ。
大体何でも好きに書き込んで下さって構いませんわ。わたくしが気に入らない書き込みはプチ消しますけれどもね。


ズバットはいい
No.:154
Nameまっこう
Date:2002/11/10(Sun) 01:47

 久しぶりに見たのだが……凄まじく馬鹿らしいが面白い。

 やはり突き抜けた所と異常なまでのオリジナリティあふれるお約束の使い
方なのかなと。あれはスーパー主人公もののいい手本だなと。

>おいらはマイノリティの自覚が有り過ぎて痛いんですわ

 ってメジャー分野じゃないすか。

結局はポジショントーク
No.:153
NameけんけんZ
Date:2002/11/09(Sat) 20:13
E-mailken-kenz@kk.iij4u.or.jp

 なんだなあと読み返して痛感した(笑)。
 そろそろ言うべき事も尽きてきました。
 おいらはマイノリティの自覚が有り過ぎて痛いんですわ(^^;
 「18禁」って存在自体がキワモノ扱いですから、多数派読者の「常識的」
反応を盾に批判される、と言う状況がね。

 もちろん自分はどれだけ世間とズレていようが我が道を行く覚悟が何年も
前に固まってますが、新興ジャンルである断罪の周辺で今現在、多数派に
よる批判と、それに対する(ある種のヒステリックな)反発が続いている、とい
う状況は、「我が道を行く」覚悟に辿り着くまでの過渡期の混乱なのかなあ
と思います。

 批評・批判に晒されながら潰れなかった人間だけが、自分のポジションを
再び見出す事が出来る(最初は無自覚にやっていたことが、その後自覚的
に出来るようになる、という事)訳で、批評批判を封殺してまで書き手を保護
する必要は無いと言う点は同意です。
 ただ、その覚悟が完了するまでの道のりって、やっぱり険しいです。
 そこに至る前に潰れる書き手が大勢居る事は間違い無い。
 だってしんどいもん(笑)。人と違った自分で居る事にはエネルギーが要る。

 私はそうした(一定の犠牲を生まずには終わらない)ぶつかり合いが、無数
の無名の批評家が「自分とエヴァのポジションの再確認」を作者の側にだけ
求めるのではなく、読者自身でも再確認出来るような「良質な批評批判」で
あって欲しいと願うんですわ。

 自分と違った感性、解釈、言葉に出会って価値観が揺さぶられる時っての
はチャンスなんだと思うんですよ。自分と同じ言葉にだけ浸かっていれば気
が付く事の無い、自分自身の感性に気が付く事が出来る貴重な機会です。
 それを単に異質な物だから排除する、馬鹿にする、多数派の論理で糾弾す
るという事はやって欲しく無い。何が自分とは異質なんだ、何処が違うんだと
いう事を「自分の内側で」見詰め直す、そうした批評であって欲しいんですね。

 私が「読者」という存在に期待し過ぎているのかもしれませんが(^^;

どうかなぁ?
No.:152
NameSOU
Date:2002/11/09(Sat) 14:17

そんなわけで思いつき垂れ流し

別に、良い方へ書くのは許せるけれども、悪い方へ書くのは
許せない、という意味でスナッフといったわけではないです。

スナッフだと、結局、話もなく殺すという妄想を垂れ流すだけ
なんですが、それはそれでかまわないと思ってます。
けど、結局同好の士くらいしか、喜ばない。

裸のお姉さんをなぶり殺して何がうれしいのか?
俺はちょっと楽しいですが。

で、感情的になって、糾弾されるのは、しょうがないと思います。
やはり私は。
むろん、それで端によけろ、なんて言うのは違うと思いますが。
むしろ、糾弾する意見がでてきても当然だと思うという。

私は、正直なところ、エヴァのキャラクターに思い入れはないですし
好きなエヴァのキャラを、といわれても出てきません。
それでも、やはりお前達の趣味は特殊だ、と言えると思いますし
文句もでてくるという理解はできます。
だって、それって新興のジャンルだから。
今までのものになれた人には、きついモノでしょうし、不快なもの
かもしれません。
けれども、それで否定しきってしまうのもいけん、と思いますし
また、その意見に対して、作者側が感情に走ってはいかんとも
思います。

また、マジョリティ側からマイノリティ側を糾弾する構図に対して
意見するのも自由ですが、同様マジョリティ側が糾弾するという権利も
認めて、それでも私はこれを書くという意見をいわんとならんと思ってます。
たしかに、大勢を武器に非常識だ、一般的ではない、という言い方は
私だって容認してません。
というか、絶対に認めません。
私自身、そういうことを言うつもりはまったくないです。
わたしの基準は、好き嫌いか、楽しいか、くらいですし。

じゃあ、なぜスナッフと評したのかというと。
スナッフってのは大体知られているのでは殺人フィルム。
それは、まあ事故で人が死ぬ瞬間からその死体まで映すという
軽いやつから、ナチのユダヤ収容所のフィルムや本当に殺して
しまったとかいう重めのものまでありますが、それは正直なところ
ストーリーではなく、殺しをみせるだけ、ですし、殺しだったら
なんでもいいという感じです。

そこに殺戮にいたるまでのストーリーの擬似スナッフなんかも
あったりするわけですが。

断罪モノっていうのはこういう範囲に入ると思ってます。
もうちょっと上手くなるとオールナイトロングのように
楽しめる作品もあるにはあると思います。
断罪モノも現在過渡期だと思いますので、いろいろとある、と
おもいます。

ただ、作者の力量のレベルで面白くなかったと評価されたり
酷い作品と評価されたりはあると思います。
また、見る人間の感想は、その人の生活してきた環境
そだった条件で知る”常識”というものがベースとなることが
多いと思います。
最初のころは断罪モノだかの批判には、そんなに無関係な人を
殺していいの?、ということや、まだその時点で罪を犯したと
いう人がいないのに、殺してしまったり罰していいのか?、という
ことから始まってたような話も聞きます。(取り合えず確認したとは言わない)
それに対して、まともに対応しなかった作者がわの責任というのも
あるでしょうし、話が無差別殺戮に走るガキの思想だったということも
あるかもしれません。(これは当事者じゃないんでわからん)

で、たしかに、当初は俺は断罪モノが嫌いだ、ということで感想を
言っているほうが多かったはずだと思いますが、それに対して
常識、一般性をもちだして反論しているひとがでたのが最初だったような
ことも聞いたような。
それが作者サイドで、始まったことが原因の一端でもあるとかないとか。
常識や、一般性といってもエヴァFF界隈だろうと思いはしますが
それでも先に断罪系からそういう意見がでてきているらしいと聞きました。
だとするとマジョリティを主張した時点で作者はあるいは作者側は
一般性と常識をどう表現しているか表明戦とならなかったと思いますし
また、同様それをいわなかったとしても、世間に大々的に公表する場合、
その話が大方に受けない反応がでて、それが常識からして違う、とか
一般的なものではない、という反応がでることは受け入れる必要は
あると思います。
そうして、それを受け入れるということで作者はそれを作り変えたり
趣味、主義や創作物の趣向を変えるという必要はありません。
言えば、いいんです、非常識なものを作るんだ、一般的じゃない
世界で楽しむんだ、と。
それをせずに、俺は嫌いだ、といった人に同じ一般性や常識を
持ち出して、反論を先にしてしまったらしいと聞きますので、これは
多数派に文句を言われてもしかたないのでは。

またそうでなかったとしても、多数意見というのは一応は存在します。
その多数派だ、ということで批判は出てくるでしょう。
同じ意見をもった人が多く集まればそれは多数派意見となるでしょうし
またそうでなくとも、伝聞で多数おなじ意見がある、聞く、もしくは
思ったら人は自分が多数派で、意見の内容にかかわらず自分は正しい
と思うでしょう。

過去、仕事で作ったもので、カラフルな背景の為にボタン部を白と
したことがあるんですが、そのときの上司が白は手抜きに見えるから
変えろ、といってきました。
で、背景がカラフルなので、ボタンを白にしないと目立たないし、
また、加工され形も整えられたボタンパーツを手抜きと思うとは
思えない、と私が反論。
そこで、でたのが「世間的に白は手抜きと見られるのが常識だ。
だれでもそう思う。」という内容の台詞でしたので、じゃあ、ほか
の人に聞いてみましょう、ということをしました。
ほかの人が言うのは手抜きには見えない、と。
この時点で多数は逆転したんですが、それで初めて「俺が嫌いだから
変えろというんだ。」ということを言われまして変えましたが。
最初からそういえばいいのに、と思いますが。
もっとも、こんなことするから嫌われるんだが。

同じように、多数派だといってくるのなら、ひっくり返せばいい
と思いますし、その意見をみせい、とも思います。
常識、一般性、もしくはこっちが多数意見だという場合、たいてい
根拠は希薄なものですから。

なんですが、批判に繋がる原因の一つに俺は楽しんだ、いや
俺は楽しめなかったという感想交換をしてる中に、一般性や
常識を持ち出して反論する信者のような人が多いのも現実に
あると思います。
また別に、常識や一般性から(現実での部分ね)あの話は
楽しめなかったという感想だってあるでしょう。
楽しい楽しくない、面白い、つまらない、それでいいと思いますよ。
そこから批判に繋がってもかまわないでしょう。

バトロワも、最初の投稿先では酷い物扱いで、常識的な
人が見れば嫌悪する、と評されたとか。(うろ覚え)
もっとも、話がしっかり作られていたので、その後ブレイク、ですが。
ただ設定がいまいち私がすきじゃないのは、やはりランダムに選択ってとこか。

で、断罪批判はどうか、というと。
これは最初面白い、つまらない、楽しんだ楽しめないで話しはでてた
と思いますが、それに対して、信者のようになった読者が猛反発した
とかしないとか。
楽しめない方がおかしいみたいな、言い方までする人が現れては
まともな感想はでないし、のちにそういうことまで含めて批判の対象と
なるでしょう。
さらに、真中に自分を置いて、やはりエヴァ本編をみてないのに
ファンフィクションとはいえない、という意見だってあるでしょうし。
ただ、自分の話をよい、と思わなかった人の感想に噛み付くような
意見を言う作者や、ほかのところまで出張ってなにかやらかすような
作者がいては、感想よりも批判が先にでてもいいと思ってます。
感想がよくないからとか、面白いと思わなかった人はダメな人
みたいなことを言ってる作者もいるにはいるようですし。
話があまりにもエヴァ的ではない(個人解釈だが)ということで
批判がでてもいいと思います。
それに対して、エヴァ的であるという論をだせばいい。
もし、作者の各言葉が大仰でだめ、ってひとが台詞にかんする
批判をかいたならば、それにたいして反論すればいい。
大仰な台詞は、だれでもやりますが。
そういう批判と反論の繰り返しからでも評論はでてくるでしょうし
評価軸だって出てくるでしょう。

某掲示板の批判関係ではレベルに達していないかもしれませんし
ほかのところは知りませんし。

だけど、感想を言い合うときに、面白くないと言った人に
感情的になって文句を言う人は居るでしょうし、そこから
個人の感情を抜きにした批判や、感情まみれの批判もどきが
でてくるでしょう。
だけど、そういう批判の過程を通れないと、ちゃんとした評価
をだそう、という動きにすらならんのではないでしょうか?
評論だって誰にでもできるってもんじゃないですし。


断罪批判のことに関してはけんけんさんの意見に概ね賛成です。
レベルに達していないというより、レベル以前の段階にすら
いかせてもらえない、という気はしますが。
これには作者が感情的になりすぎると思います。

批判というものに対してはFF、とくに一ジャンルのことに限って
ならば、賛成です。

ただ、創作物(二次、三次含)を世間に大々的に見れるように
公表した場合、批判を拒否するというのは賛成できません。
良い意見、悪い意見、欠点の指摘などなどは、多数の人の目に
触れ、さまざまな環境にそだった人が共有するであろう、常識
という概念や、共通性の証、一般性による目で平均化されて
話の俎上に乗るものだと思ってますから。

ということでしょうか。
認める以上、自分の枝が切られるという可能性は覚悟しないと
いかんでしょうし、批判する側も自分の好きな傾向が切られると
いうことは考慮せんと、ですが。

ちがうかなぁ?
No.:151
NameけんけんZ
Date:2002/11/09(Sat) 10:17
E-mailken-kenz@kk.iij4u.or.jp

 それってやっぱり「良い方に書くのは許せるけど悪い方に書くのは許せん」
って言ってるようにしか聞こえないんですが(^^;>スナッフ云々

○本編アスカと似ても似つかぬ可愛いアスカ
×本編アスカと似ても似つかぬ自分勝手なアスカ

 もちろん、感情論として上記二つに対して全く別の反応が現れる事は分か
るんですよ。分かりますけど、悪い方に書いてるから糾弾されてもしょうがな
いって話になると、やっぱり違うと思います。

「お前らの趣味は特殊だから道路の真ん中歩くな。端によけろ」

 と、そういうニュアンスを感じるんですよね(^^;

 私もそりゃあ、自分勝手に暴走した挙げ句悲惨な目に有ってざまあ見ろと
書かれるアスカよりは、苦労が報われるアスカの方が見たいと願う人間です
が、「ざまあ見ろ」が始めからやりたい人達が「趣味が特殊なんだから文句言
われたって当たり前」だとは思いません。

 それってやっぱり、何処で線を引くんですか?って話になると思うんですわ。
 底の浅いゲンドウをシンジが小馬鹿にするのは一般的に受けるのか特殊な
層にしか受けないのか。ミサトが単なる偽善者で子供達に全部苦労を押し付
けて平気で居るのかどうか。レイが都合良くシンジの言いなりになるかどうか。
 どっからが特殊な趣味で、何処からが一般的な趣味なのか。

 やっぱりね、「一般的じゃない」なんて言いようは不要ですよ。

 「俺の」趣味じゃない、SOUさんの趣味じゃない。
 そんなシンジは「俺の趣味じゃない」
 そんなアスカは「俺の趣味じゃない」
 そんなゲンドウは「俺の趣味じゃない」
 「俺は断罪モノが嫌いだ」それでええんと違いますか?

 「俺の趣味じゃねえ」と言う時に読者と作者は一対一でしょう。

 「アンタの趣味は一般的じゃない(から間違ってる)」と言う時に、読者と作
者は一対一じゃないんですよ。そこが問題、大問題なんですわ。
 読者の側は安全な場所に居て、居るかどうかも不確かな「マジョリティ」の
側から「マイノリティ」の作者を「糾弾する」構図になる。

 私はこれが気に入らんのです(^^;

 どんな作品が書かれたって良いんですよ。
 同じように、公開された作品に対してどんな感想を持ったって良い。
 「俺の判断」で感想付けるのは読者の自由。読んだもんの権利ですわ。
 またそれを聞き入れるのも聞き入れないのも作者の自由です。

 けれど、「アンタの趣味一般的じゃない」とか「常識からして間違ってる」
って言い方は容認できません。だって卑怯ですやん(笑)。
 書く側は己のエヴァ解釈を文章にして、見解を明らかにしてる。
 読者の側はそれはしてないでしょ? 自分のエヴァ解釈がちゃんと有るか
どうかも明らかにしないまま「俺が多数派だ」とやっちゃう。それはアカン。

 だから、どんな趣味に基づいて書かれた二次創作に対しても、判断基準は
常に「読んだ自分」でないと。一個の読者として一本の作品に向かわないと。
 世間一般、多数派、常識的解釈、そんな言葉を隠れ蓑にした批判なんての
は百害有って一利無しですよ。

 だってそれを認めちゃうと、今度はこっちの枝が切られる番が回ってくる。
 今既に私らが気付いてないだけで断罪の方がとっくにマジョリティなのかも
知れんのです(苦笑)。

 俺は楽しんだ、俺は楽しめなかった。
 何故俺は楽しんだんだろう、何故俺には楽しめなかったんだろう。
 そういう言葉で語れるようになってから批判を試みても遅くないんじゃない
でしょうか?

 断罪批判はそのレベルに達してないでしょ?
 エヴァじゃない、本編見てない、コイツらおかしい……違うんですよ。
 「気持ち悪い」という感情論をストレートに表現できないから常識論、一般
論に「逃げる」。それは最悪ですわ。なにも産み出しませんもん。
 作者の人間性が矮小でどうこう、世間知らずで云々、妄想垂れ流しで〜
なんていう必要無いでしょ?

「俺の好きなエヴァとは違う」で何が足らんのか。
 足らんのは「読者自身のエヴァ観」ですよ。
 確立してないから糾弾する。
 揺らぐから、自信が無いから、だから噛み付く。

 「俺には」気持ち悪い。
 じゃあなんで「俺は」これがエヴァのファンフィクとして受け入れられん
のだろう? そこから始まるんですよ。
 真ん中に置くべきは自分。自分の感情。

 私は、そうした精神から生まれた批判は優れた批評になると思います。
 自分とエヴァ。
 この作品と自分。
 エヴァとこの作品。
 三つの座標を俯瞰して「自分」の「感情」を基準に立ち位置をはっきり掴
む事が出来たなら、それは立派な「批評家による評論」になると思います。

5年程前からずっと
No.:150
Namenori
Date:2002/11/09(Sat) 00:54

「アスカのジャーマンメタルの掟」ってのをやらないかなーって思ってるんだけど。
うぇぶ生活あたりで。

ちょっとだけ・・・・・・
No.:149
Name我乱堂
Date:2002/11/08(Fri) 22:42
E-mailgalandou@mail3.netwave.or.jp

神にも匹敵する力がありながら、律儀に社会のルールに従うシンちゃんに萌え(笑)
つーか、半端に社会のルール持ち出して自分のリンチの口実にするのが断罪シンちゃんの魅力(?)ですから、これはそうてでないかも(爆)

いや、まあ、面白ければいいか(笑)

しまった
No.:148
NameSOU
Date:2002/11/08(Fri) 22:35

コピーミス

>PS:喘息持ちにボーカルは無理でしょう(^^;
ささやくようなかすれ声で歌う、デスメタル

平行宇宙、平行線
No.:147
NameSOU
Date:2002/11/08(Fri) 22:34

それは基本的にまじりあわないもの。
今回の会話もそ。



読者の評価が作家の捜索に影響を与えるか否か、の論点であれば
おおむね、同じ意見をもっていますし、特に異論もございません。

それで、後により魅力的なキャラクターをかけたり、はたまたより
一層面白い話がかければいいでしょうし。

で、ファンフィクションの完成度ってこと。
ファンフィクションの完成度ってことで言えばけんけんさんの意見に
反論する理由は見当たらないです。
無論、作者が好きなモノをいかに好きなように書けたか、というのは
ファンフィクションの完成度のレベルだと思います。
それこそ、作者の自己満足の範疇でいいと思います。

エヴァのファンフィクションということで言えば、多分けんけんさんの言う通りでしょうし、それがすべてかもしれません。

作者自身のエヴァとの決着にせよ、エンターテイメントにしてもそれは
そうでしょうし、とくにエンターテイメントを目指して書いた人は
批評、批判を甘んじて受ける義務があるというのも同意します。

内容ややり方の配分にしても外野がごちゃごちゃということじゃあない。

そして、どんな道を選ぼうと、それも作者の自由であると思ってます。

そして、俺のエヴァが万民受けしなくて結構と思っている作者もそれは自由。
正直、書いているときは私も万民受けは考えていなかったし、そういうものは
むしろ、気にもしていません。

だって、ファンフィクションだし。
所詮ファンである私の妄想ですから。

だけども、読んだ人間、人に読ませることを前提に大々的に公表してしまって
いるのですから、それを見た人間が批評、批判、あるいは愚痴、もしくは
感情的に怒りを露わにするってのも、これはまた自由だと思っています。
そしてですね。
それを言えるのは読んだ人間の当然の権利、だと思ってます。
読んだことで受ける影響は人様々なんですし、それはそれでいろいろと
有るでしょう。
作者の思惑以外の反応だってあるでしょうし。
そしてそれによって出てきた反応をどう処理するかは、それこそ作者の
自由だと思ってます。

ただ、自分の満足で書いている人でも書きつづけ、公に発表するならば
批評、批判などのの一つや二つに耳を傾ける義務はあるのでは
ないか、と思っております。

で、断罪のことなんですが。
本編を見ていない、キャラを風聞でしか判断せずに書いた物がはたして
ファンフィクションなんでしょうか?、という根本的な問題もさておき
まず、それは作者が気持ちよいということで書いていてもかまわないし
キャラヘイトだろうと、無能ゲンドウだろうとそりゃーそれでかまいません。
しかし、重要なことってそれがファンフィクションであるってことだと思うんですが。
エヴァならエヴァのファンフィクションであるとすれば不特定多数の
しかも、様々な趣味嗜好をもったファンが見つけて読みに来るわけですし
その中にはアスカのファンも居るでしょうし、ゲンドウのファンが居る可能性
だってあるわけです。
そういう人たちが見て、本編のイメージと違うというか、あからさまに
だれこれ、ってことになった上にそれがエヴァのキャラです、なんてことに
なってしまったら、それはそれで、批判がでるだろうし、感情的な
反論も出ると思います。
あからさまに、本編のイメージをすべて無視で本編すら見たこと無いという
そんな人が書いた物がエヴァです、なんてことになったらそりゃファンは
批判して当然だと思います。
だって、”ファン”フィクションですもん。
ファンが作った二次的な創作物だとしたら、そこに来るファンの言葉は千差万別でしょうし。

無論、けんけんさんがそれを拒否してないのはわかりますが。
だけども、LASでLRSでというのと根本的に違うのは単に、本編を
見ていないだけでなく、どっかのFFのアスカをベースに、または
どっかの話のゲンドウの非道っぷりをベースにってことで話を
作り、エヴァですって出されてることが批判の要因じゃないでしょうか。
と。
だから、LASだLRSだ、こんなのシンジじゃない、ということと
なにか根本的なものが違うような気がします。

無論、ほんぺん見て書いている人の断罪ってのは面白いと思うんですよ。
逆行だっていいと思うし。
それは6〜7年位前にも系統的にあったんだから。
でも本編見てない、もしくは見ててもどーすりゃそうなるっていう
話の場合はどうなのか、と。
そりゃもう、凄惨な殺戮と、シンジ(キョウだとかなんだとか)に
翻弄され、虐殺されるメインキャラってのもいいでしょうけどそれを
書きたいだけ書くと、正直ジャンクとかヤコペッティの映画とか
デスファイルなんかの方が面白いし。
スナッフフィルムのようなものだと思います、現状の断罪モノ。
スナッフが好きな人にはいいと思いますが、嫌いな人には
絶対受け入れられないでしょうし。
スナッフは殺しを見せるためですから、それで鬱憤を晴らすんだったら
それでいいと思うんですよ。
だけど、公に発表できるもんじゃない。
スナッフならスナッフだということは行っておかないと新しい
ファンフィクションだと言うことで見た人の反応が激しいといって
それを否定することは出来ないと思うし。

まあ、私はスナッフもすきはすきですが。
やはり、ただストーリーがあるのかないのかわかんないスナッフや
デスファイル系より、同じ大量殺戮でもスプラッシュ系かスプラッタ系が
いいということに違いないんですが。
まあ、断罪系シンジもジェイソンくらいキャラが立つといいのだろうか?

で、我慢できないから吼えるってのもいいでしょう。
そう言う人を応援するのもいいです。
で、批評、批判に見切りをつけてその後自分のモノを書くというのも
判ります。

ただ、批評、批判で断罪だったら断罪気持ちよいを共有する必要は
ないと思います。
それを共有する必要を言うのは、正直趣味の押し付けになるんじゃないか
と思いますし。
断罪嫌いで批評、批判しても私はかまわないと思っているし、それで
いいと思います。
千差万別なんですから。
それを批評するために気持ちを共有しろっていうのは、書く自由や
読む自由を認めるということと相反するような気がします。

まあ、無駄な労力を使うな、というのは有ります。
有りますけども、意見を言う=話を書ける、とは限りません。
そう言う人は、やはり意見をいい、自分の好きなジャンルが増える
ようにしたいというのも人情でしょう。
それすら、否定する気はないです。
好きな物が減っていると思っている人で、話がかけないのならそうするしかない
ということも有るでしょうし、自由だと思いますし。

でもそこで、FFを書かないで批判するなら、お前が書いてみろと
だれでもかれにでも言うのはお門違いだと思ってますが。
まっこうさんや、私にだったらそれが出来るかもしれないという可能性で
言われても仕方ないことですけども、もし小説の形態にすることができない
もしくは、物語として思いつかないという人は小説を読むのが趣味、
なわけですし、読んだからにはなにか言うというのはかまわないと
思います、読んだんだから。
感想、反論、批評、批判。
それらがでてきて、それを聞ければ幸いです。
もし、小説でなく絵だとかした場合、お前の絵は目が嫌いだ、といわれて
じゃあ、お前かいてみろ、というわけには行きません。
その人が絵をみて何か言うということはできますし、それが好き嫌い
だったとしても、ですよね。
絵をかけない人がいるけれども、絵の良し悪しはわかるんですし。

当然、相手に聞こえるように言葉を変え言う、というのが本道だと
思っていますが、相手にどんな言葉で言っても感情的になる、否定的な
意見を聞きたくない、俺をほめれ!、というようなことを言われたら
声が大きくならざるをえないのではないか、と思いますが。
なら、そんなやつに言わなければいい、つうのが結論ですけど。

まあ、批評や批判が無くなったら、どんなものであれ腐れるかも
という感じですが。
批評や批判がでてるうちが華かもしれないけど。

そして、批評、批判、反論などを聞きたくなければそれこそ、
クローズドスペースでやりやがれ、ですが。

で、断罪派(なんか、昔の絵描き集団か)がこの先どういう果実を
つけるのかってのは気になりますね。
ただどういう実をとるのか、ってことがありますが。

で、まっこうさんがどういう話を書くのか、という期待とともに
亜空間のもっと面白くなる断罪シンジってのもありかと。
ただ、そういう視点にいくまでに、そういった情報をまとめるための
批評、批判は重要でしょう?、と。
ま、情報の交換や収拾もひつようと思いますが。



ふと考えたら別の意味でおもしろくなっちまったが。<断罪シンジ
悪魔を殺し、神にも匹敵する力を持つ少年、碇シンジ。
14歳の知識量のままだが。
逆行し、すべてをやり直し、自身の思いを遂げるために彼は
行動した!
シンジ「エヴァに乗るなら、1回、5億円だぜ!」
ゲンドウ「その程度か?」
シンジ「き、危険手当ては、1億だ!、それなら乗るぜ!」
ゲンドウ「わかった、では行け。」
シンジ「…、日本に一夫多妻を、」
ゲンドウ「認めよう。」
シンジ「いいだろう。」
使徒瞬殺、シンジ出撃から帰還、渡される伝票。
ミサト「はい、これ、報酬の明細。」
シンジ「なんだこれは、この牛!、言った金額とちがうじゃねーか!」
ミサト「違わないわよ、まず給与、それと危険手当、でこれが源泉徴収で、
こっちが、保険の差し引き額、んでこっちが住民税。
で、これが差し引き支給金額。」
ゲンドウ「税抜きとは言われていないからな。」
シンジ「(しまった、税金のことは考えなかった!)、な、なら綾波レイとの
結婚を今すぐ行う!。
リツコ「無理よ、日本の法律では、14歳は結婚できないわ。」

だが、大人の現実の前に、彼の言葉はもろくも崩れ去るのであった!
哀れシンジ、大人のもつ小賢しい現実に勝てるのか!
つづかない。




>PS:喘息持ちにボーカルは無理でしょう(^^;

それはそれでまた別の問題ですわ(^^;
No.:146
NameけんけんZ
Date:2002/11/08(Fri) 19:09
E-mailken-kenz@kk.iij4u.or.jp

 読者の評価が作家の創作に影響を与えるか否か、という論点ですよね?
 感情論も込みの(つまり評価軸の定まらない不完全な)批評・批判であって
も、作者にとって全く無益有害だなんて事は思いませんわ。
 読者の反応から(感情をぶつけられてカチンと来る部分を除いて)斟酌して、
次なる創作の糧にする「技量」を作者が持ってた方が好ましいことは言うま
でも無い。これが出来る人とそうで無い人では、その後産まれる作品がレベ
ルアップするかどうかが違ってくると思います。
 けれど、そこで原点に立ち返ってですね、果たしてファンフィクションの
完成度と言うのは「どうすれば高めたことになるのか」っつう論点が(^^;

 私は「好きなモノをいかに好きなように書いたか」がファンフィクションの
完成度だと思う……言い換えれば全てが作者の「自己満足」でも構わな
いと思ってるんですよ。
 言わんとすることが読者に伝わらないでも、作者にとって書き切ったと
満足出来たんならそれでええでしょうと。

 なんでそう思うかと言うと、エヴァのファンフィクションは納得のいかなか
った本編に対する「決着を付ける」作業という面が有ると思うんですね。
 要するに本編をあの物語の完成形として受け入れてしまうのが、どうに
も「気持ち悪い」と思った人が、自分にとって気持ちの良い結末を作り直し
ている、そういう面が有ると思います。
 ただそれが、読者にとっても同じく気持ち良いかどうかは知ったこっちゃ
無い(笑)。「作者自身とエヴァ」の決着を付ける為には、一般受けなんて
部分はほっぽり出しても「自分自身の納得できる方向」を目指した方が
早いと思うんですよね、そういう場合。

 一方で、エンターテイメントを放棄した本編に対して、読者にとっても分
かりやすい、受け入れ易いエンターテイメントとして作り直そうという欲求
も有るでしょう。こっちは確かに読者の存在は無視しちゃ成立せんですよ。
 自分のアイデアが、表現が、面白いのか面白くないのか。
 伝わらないなら何故伝わらないのか、読者の反応からちゃんと汲み取ら
ないと「作者自身が目指す完成形」にも近づけない。
 その場合は批評・批判も受け入れる耳を持たなければいけない。

 そっから先は、作者自身が自分はどっちを目指しているかの問題になる。
 エンターテイメントとして読者に提供しているのか、自己満足の為に自分
のエヴァを終わらせようとしているのか。
 私はですね、100%どっちかだけって事は無いと思いますわ(^^;
 配分は人それぞれ、作品ごとにそれぞれなんだと思います。
 なかにはどっちも100%、つまり完璧な自己満足と純粋なエンターテイメント
の両立を目指すというハードルの高い作業に挑んでる人も居ると思う。

 で、この配分に関しては外からごちゃごちゃ言うべきこっちゃ無い(笑)。

 最初はエンタメのつもりが「自分の補完」の為に途中から読者をほっぽり
出しちゃう結果になるかもしれ無い。庵野の轍を踏んだと言われるかもしれ
無いけど(苦笑)、そうしないとエヴァと決着付けられないなら読者ほっぽり
出しちゃったって良い。

 一方で、始めは自分が望むように書くつもりで読者のことまで考えて無かっ
た人が、アンタ面白いよ、この話もっと読みたいという反応を受けてエンタメ
を意識していくような変化も有り得る。
 どんな道を選ぶかは「作者の自由」ですわ(^^;

 そこでですね、「俺のエヴァ」が「読者に受け入れられる必要は無い」と
思ってる作者にとって、感情論から生まれた批判なんて元から役に立たん
のです。だって確信犯だもん(笑)。言うだけ無駄、だから愚痴(^^; でしょ?

 一方で、感想下さい、面白くしたい、読者の反応が知りたいって場合は、
これはたとえ感情論から来る批評批判でも受けて立たなきゃいけない。
 有用な反応も有れば無用な反応も来る。そこから自分の糧になるモノを
選び出して自分自身の創作の質を高めていく必要が有る。

 さて、断罪の場合はどっちなんでしょ?

 私はですね、書いてて気持ち良ければ良いじゃないと、そう考えて書い
てる人が大半なんだと思うんですわ。それの良い悪いは置いといて。
 もちろん反応は欲しいと思ってる。けど、それは「同じ気持ち良さ」を理
解する読者のそれだけですよ。
 他の反応は端から無視して掛かる。
 それが良い悪いじゃなくて、そうするのが当たり前なんですよね(^^;
 創作としてレベルが低いかもしれない、一般受けはしないかもしれな
い、それがどうした、でしょ。書いてて気持ち良いんだ、文句あっか(笑)。
 それを見て、気分悪くなってもしょうがないですわ(^^;
 「趣味が違う」んだから(笑)。

 ですから、そういうのに対して批評批判をするなら、まず「断罪気持ち
良い」という視点を共有していかないとはじまらんと思うんですわ。
 断罪気持ち良い、ヘイトマンセー。赤毛猿氏ねってのをね。
 その上で作品の「完成度」を高める批評だったら作者にとって有用。
 しかし立脚点がそもそもから違う批判は無用です。
 だって聞く耳持たないだろうし、持つ必要も無いでしょ?

 LASを書いてる、可愛いアスカを書いてる人間に対して「シンジはレイ
とくっ付くべきだ」「本編のアスカを見たらシンジくっ付く筈が無い」言うて
も無駄なことですよね? 同じ事ですわ。

 ミサトはそんな浅いキャラじゃない、ゲンドウはそこまで馬鹿じゃない、
アスカがそこまで自分勝手だったか? 等など言っても始まりませんよ。
 そうしたキャラの造形が、本編解釈の問題どころかそもそも本編知ら
ない。だったとしても、書いてる人間が「気持ちよければ良いじゃない」
で書いてたら、これはしょうが無い(^^;
 「そんなもんエヴァのファンフィクじゃねえよ」
 「誰が面白いんだそんな話」てのは感情論でしょう。
 LAS読んでレイの扱いが不当だ、と思うのと同じですわ。
 LRS読んでてアスカの扱いが不当だ、てのとももちろん同じ。

 そんな感情論で喚くべきじゃない、って話しをしたいんじゃないんです。
 そういう「読者の感情」もまた同じように「有って当然」の論ですから。
 アスカが好きだ、レイが好きだ、こんなんシンジじゃねえ。
 それを言うなとは言わない。言う権利は全ての読者に有る。
 でも「通じないよ」と。そこは認識してないと(^^;

「相手に通じない感情論だと分かってるけど我慢出来ないから俺は吠える」
 こういう認識で吠えてる人はむしろ応援しますよ(笑)。
 だっておいらも同じコト思うもん(爆)。
 でも、吠えたら相手が宗旨を変えるかもしれんと思って吠えるのは、駄目。
 アンタの趣味をヒトに押し付けちゃいかん、とそう思う。
 「俺の趣味じゃねえ」だけで全部含まれてる筈なんです。

 あらゆる選択肢が有って良いんですわ。
 無数に分岐する二次創作・三次創作の中で、有ってはいけない枝は無い。
 幹から遠く離れて樹の形を大きく歪めてる枝が有っても、他の枝が
「お前の枝振りは間違ってる」って言ってもしょうがないっしょ?(笑)。
 バランス取りたかったら反対側に枝を伸ばす事、私にはそれしか思い浮
かびませんわ(^^;
 相手の枝を切っちまうって事は、自分の枝も何時か切られちまうと、そう
いう事じゃないかと思うんです。

 だから私は批評に見切りを付けてただ自分のモノを書く事にしました。
 結局批評って遠回りなんだなあと、その時思ったんですわ。
 論説もやはり一種の創作ですからね。これを相手に伝わるように書くの
は凄く難しい。単なる感想だったら自分の事だけ書けば良いから(下でまっ
こうさんに宛てた電波みたいに)書けますけどね、他の読者、そして作者に
届くように評論するなんて……だったらFF書く方が全然楽っすよ(笑)。

 これはあらゆる人にとってそうじゃないかと思うんですわ。
 その労力を別なことに使いましょうという提案ですわね。
 嫌いなジャンル批評してる暇に、好きなモノの数を増やした方が良い。
 好きなモノを読んだ方が良い。
 もちろん、みんなが批評を諦めたおかげで断罪の枝が腐っていくかもし
れない。いつまでたってもレベルアップしない、切磋琢磨しない、そういう
ジャンルになってしまうかもしれない。

 けど、それは「断罪派」が頑張るしかないことですわ。
 もっと面白い断罪、もっと真っ当な逆行、もっと魅力的なスパシン。
 こっちの枝でも付けることが可能な果実は幾らでも有る。
 それを追及していくかどうかは「彼等次第」ですよ。
 端からゴチャゴチャ口出すぐらいなら、彼等の中に入っていくしかない。
 もっと面白い断罪劇を、もっと面白い逆行劇を造って見せる。そのぐらい
しないと意味無いですわ。
 相手が聞く耳持たないからもっと大きな声で喚く。そりゃ悪循環。
 相手に聞こえるように言葉を変え言う。そっちが本道と違います?

 だからおいらはザザーンシンジに関しては「そこまで書いたらまっこう
さんの考える面白いザザーンを見せて」とリクエストしましたし、亜空間
では「もっと面白くなる断罪シンジの可能性」にも言及しました。
 それが世に言う断罪派の目に止まるとは思ってないけど(苦笑)、どう
せ言うならそういう視点で言わなきゃ意味無いと考えますよ。



PS:喘息持ちにボーカルは無理でしょう(^^;

そうね……
No.:145
Nameまっこう
Date:2002/11/08(Fri) 16:29

 私は読んでくれれば批評でも、批判でもokかな。
 誉めてくれならそれで気分良くなればいいし、ここが悪いって指摘してくれるのはありがたいし、罵倒ならそこに相手の気分を悪くさせるところがあるから突き詰めたりすれば面白くなるし、悪口は典型的すぎて創造性のない者はネタにすればいいし、面白い言い回しなら参考になるし。
 私の場合信者の様な読み手はいなくて、注文を付けてくれる人がほとんどなので助かるな。

 まあ、批評、批判、悪態、中傷されるうちが華だし、って言うかそう言うのが来てそれについて考え分析して消化する方が文章は上達するし、本当に恐いのは何もないことだし。

 批評、批判についてはそんなところ。と言うかそれが嫌ならクローズスペースだけで発表すればいいしね。

 では。
 

じゃあ
No.:144
NameSOU
Date:2002/11/07(Thu) 21:47

バンドでも組むか。

ボーカルは今にも死にそうなけんけんさんで。

私も暇っちゃあそうなんですが。
No.:143
Name我乱堂
Date:2002/11/07(Thu) 21:44

引篭もりトリオ……やだなあ、それ。

暇人コンビですか、うちらは
No.:142
NameSOU
Date:2002/11/07(Thu) 18:03

むしろ、引篭もりコンビかも

批判か愚痴か
愚痴の範疇や文句ぶーたれている範疇なら
そんなもんだけど、けんけんさんの書き込みよんでて
ちとおもったことなんだが。

前(ここがカンブリア紀級に隆盛だったころ)でもよくでたことで
お互いデジャヴュまみれなのはこの際おいておいてですね。

別に断罪が流行るからほかのが減っているという認識はしてないし
自分自身で言えば、エヴァFFも数ある遊び場の一つにしか過ぎないから
どーでもいいといえばどーでもいいんだが、それ以外が減っているという
認識はあってもいいのじゃないか、ということでは。
正直、書かなくなった人もいるだろうし、ほかのジャンルに興味が移って
すっぱりやめちゃった人だっているだろうし。
まあ、そういうことなんかを考えて言うとすれば、断罪が増えている
けれど、それ以外は増えていないって事だと私は思っているわけです。

無論、それはそれ以外が減っているという認識よりも、正直
もはやエヴァだけでもねーだろーというのが個人的感情。

だけど、ファンフィクション-ファンフィクションが以前にもあったとはいえ
ここまで露骨に、本編の下調べしないってのはあんまりなかっただろうし
ひたすら、妄想を推敲することなく駄々漏れ状態のやつもなかっただろうと。
そういう考えだってあるわけです。
逆にあのころは、本編のアスカをみてなくても、情報を手にする事は
あったわけだし、どこもかしこも(正直ジャニーズJrの番組すら)
エヴァの話題はだしていたわけですし。

その状況から、エヴァが下火になって、ファンフィクションやら
ファンフィクション−ファンフィクションやらそのさらにフィクション
見たいなものが増え、その上で断罪ばっかで、なにかとキャラが生きていない
物が増えるとそれはそれで、いやになる人もでるだろうし、そこから
批判ってものがでるのではないか、と思います。
正直、見なければいいじゃんは、個人の問題でしょうし、そうだと思いますが
本編、オリジナル、とそう言うものをまったく知らずにコピーだけを
繰り返して劣化したものが増えたってこともあるでしょう。

で、批判のことですが。
けんけんさんが批判・批判をしたのは、思うにこのFFやらなにやらの関係
で、と判っていますが、そこでちょっと。
批評が相対的な評価、評論であると同時に批判もまた相対的な
評価であったはずです。
ただ、この相対的な評価が、批判では、様々な要素から優劣の判断をもって
評価されることであるというのは批評と違うのではないかと。
本来の批判ということであれば、批判されることにより、欠点や
未熟な部分などを知ることができるものだったはずですし。

ということを最初に言いたかったわけですが。

でも、現状ネットや自費出版などで、だれでも作家、批評家に
なれる(ような錯覚)ようになったため、感情まかせの批評や
批判が増えたり、またそれがちゃんとした批評、批判だったと
しても、それは非難だとか、中傷だと騒ぐ人や、また逆に
誹謗中傷、非難を批判だ、批評だといって口にする人が以前よりも
多くなっているのこともあります。

ということ含めてけんけんさんの言うように、批判、批評が
愚痴に成り下がったというのは思っています。
が、本来の批判の意味と違う愚痴を批判ということにして
まとめてしまうのはいかがな物かとおもってもいるわけです。

だから、ちゃんとした批判があれば、粗製濫造は減る、と思いますし
それを聞く耳を持っていれば、それはそれでレベルアップ(いろんな意味で)を
可能と思ってます。
けど、同時に上質が増えるという保証も無いし、その限りでもない。
一人がやめても、また同じ傾向のものがでるかもしれません。
ですが、それで批判、というか、自身と考えの違う人の意見や
感想、こうならどうなるということを受け入れない、もしくは聞く事もなく、ただ自身のそれが正しく絶対みたいなことを言うような
人が増えるということは抑える事は可能だと思っていますが。

もっとも、聞くところによれば日本人が一番自身と違う意見
考えなどを聞いたり理解したりが出来ないし、認めることも出来ない
種族ということなので、それも難しいのかもしれませんが。

ちなみに、某半島の国の人たちは、それ以前の問題です。

ただ(書き方が悪かったのはおいておいて)私は愚痴の範疇を
言っているのではなく、愚痴を批判といってしまうのもどうか
と思ってます。

批評、批判などがあるから自分の現在の力量が判ると思ってますし
それを受け入れる(それで考えや信念をなど変えるわけではないし)
ことが出来ないのでは、いかんのではないか、と。

それで、批判の形の愚痴や誹謗中傷を一緒に批判としては
よくないんじゃないか、と書いたわけですが。

良くわかんない文章かも。(これもそうか。)

だから、作品のジャンルやキャラの書かれ方で好き嫌い
どうこうは別に問いません。

けれども、その批判でもなんでもない愚痴や非難を
玉石混交で批判としてしまっては良くない、と思う次第です。

とまあ、そんな感じ。

それは「批判」でなく「愚痴」では?(笑)
No.:141
NameけんけんZ
Date:2002/11/07(Thu) 17:09
E-mailken-kenz@kk.iij4u.or.jp

「やれやれ、最近はこんなもんしか書かれてないのかよ」と(^^;

 それまで「批判・批判」する気は、さすがに無いです。
 読者の立場で「近頃面白いもん読んでねーよ、つまんねーよ」と言う
自由は有って当然でしょうし、それが「ただの愚痴に過ぎない」と当人
にも周りにも認識されてるうちは全く問題無いわけで。
 疲れたと言って疲れが取れるわけじゃないけど、疲れたと言うだけ無
駄だから疲れたなんて言うな、とは言いませんですよ。
 SOUさんの発言は見る限りどれもその範疇でしょ?

 断罪モノが流行るから断罪モノばっかり書かれて「それ以外」が減ってる、
という認識さえしなければ大丈夫じゃないですかね。

 粗製濫造が批判されれば粗製濫造は減るかもしれないです。
 けれどそれによって上質なモノが増える理屈は有りませんわね(^^;
 批判に嫌気がさして筆を折る人が出てきても、違った傾向の人がその
穴を埋める保証は有りません。
 Webスペースが狭くて場所の取り合いになっているのなら、下手な奴が
スペース占有するなよとでも言えるでしょうけど、上手かろうが下手であ
ろうが無料でいくらでもスペース作れるわけですんで。

 そうは言っても読者は有限だし、て指摘も当然有りますわね。
 んでも私は断罪から入った読者が断罪しか面白いと思わないなら、そ
れは断罪というジャンルが悪いんじゃなくて、それ以外のジャンルの書
き手の怠慢と思いますわ。もっと面白いもん作ってやる、と思わなきゃ。
 私は断罪モノが無ければ本編知らないでエヴァFFを読む人はむしろ減
ってたかもしれないと思ってます。そこから他のジャンルに移るかどうか
は「それ以外のジャンルにどれだけ魅力があるか」の問題かと。

 自分は筆が遅いですし、人に読ませようという気概からして不足気味
なんで、どんなジャンルが流行ろうが、自分が流行からどんだけズレて
いようが気にしませんけど、どうも気になる人も居るみたい。
 むしろ断罪は読めない、と言う読み専の人の方が焦ってるのかな?
 だったら「それ以外」を「応援する」しか無いだろうと思うんですがね。

 ……何年か前に似た話を展開したなとデジャブが(^^;

 ファンフィクション−ファンフィクション、てのも今にはじまった話じゃ
無いですよ。何が流行ってて叩かれてたんですっけ?(苦笑)。
 アスカの性格改変がどうこうって頃だったかな?
 正に今と同じですわね。お前ら本編のアスカを見てないだろ、と。
 そんなアスカはアスカでもなんでもねーよ、と(笑)。

 まあ当時言われた通り、萌えたキャラを自分の好みに近づけて何が
悪い? てのが正解だと思うんですわ。
 FFの中に生まれたエロいアスカや可愛いアスカ見てアスカに萌えて、
もっと可愛いアスカ、もっと萌えるアスカ、もっと分かりやすいアスカへ
と進化(?)して。そうした改変も「本編解釈の問題だろ」って事で。
 もっと可愛いアスカの方が良かった。だから自分でFF書いてんだ、と
言われたら「頑張って下さい」ですよね(笑)。認めるしかない。自分が
見たいモノを自分で作ってるんだから。

 同じように、可愛くないアスカ、好きになれないアスカ見て、もっとダメ
なアスカ、もっと嫌なアスカが生まれてるんじゃないでしょうか。
 嫌いになったキャラをもっと分かりやすく嫌な奴にして何が悪いと。
 そういう理屈も認めないとダブルスタンダードじゃないすか?
 良く書く方は良くて悪く書く方は認めない、てのは自分の中で整理が
付かんのですよね。どっちもどっちやんって思いますので。

 私はそんな書かれ方したアスカは見たくないので読まないですが(笑)、
それが書きたい人、読みたい人も居るってのは、まあ、愚痴りたくはなる
けど蔑視・排斥するにはあたらない。それはそれで「表現」でしょうから。
 これって「趣味の違い」「好みの違い」「解釈の違い」だけでは足らん
問題なんですかね?

 まあ「んなもん書いてる奴を好きになれない」という事は有るかもしれ
ませんが、それもやっぱり今にはじまった話しでは全然無くて(苦笑)。
 お前らそんな書き方すんなと言うだけ無駄ですから、愚痴の範囲に止
めておくしかないと思います、はい。

そろそろ冬支度だってのに
No.:140
NameSOU
Date:2002/11/07(Thu) 15:37

この時期にあった服装をもっていないぞ、自分。

批評・批判
物語の解釈に正解は無いと思いますしましてや
その規範となる正しい批評もあるとは思えません。
単なる指標にすぎないとは思いますが。

ただ、批判というのを完全に否定する気にはなれませんが。
正直なところ粗製濫造なものは批判されてしかるべきだと
思いますし、そうしないと質の向上は望むべくも無い、とは
おもってますし。

ただ、批判するのであれば、その批判が的外れだった場合
ちゃんとその間違いを認め、考えを改めるということを
ちゃんとやってくれないとそれは批判でもなんでもない。
と、思ってます。

ただ、そこで非難を批判だという人や、批評を批判だ、
もしくは、非難だといってしまう、丁寧に言えば
繊細な人が多いことも問題と思うしそれ以上に個人の
感情レベルの非難や中傷を批評だとか批判だということで
えらそうにのたまう御仁が多くなってきているのも
問題なんでしょう。

ネットや、投稿雑誌、もしくは自費出版方式でだれでも
作家や、批評家を気取れるようになって、稚拙な感情論で
もって、議論、もしくは論説もどきを吐けるようになったことで
プチエリート、プチ知識人が増えたってことかと。

と、まあそんなこと言う私も同じかもしれませんが。

良き二次創作、悪き二次創作の線引きっていうのかどうかは
判らないのだけど、二次創作だけ読み、そこからその作品の
ファンフィクションです、っていうのは悪き二次創作なのでは
と思ってます。
無論、最初のファンフィクションから得た情報でもそのキャラクターの
概要とかは判ると思いますけど、”ファン”フィクションゆえのキャラへの
思い入れとかあるわけですから、必然的に情報が偏ると思いますし
本編とはまったく違ったキャラクターで、滅茶苦茶な書かれ方してたり
したら、それはそれで批判されるのではないかと思いますが。

数多ある逆行断罪の作者の多くが本編みていないとか、人づてに話を
聞いただけ、あとはFFで読んで話を書けばそらー、非難されたり
批判されたりってのが出てくるでしょうし、作者も過去に本編見てない
のだから、感情的に対応するしかない状況なのかもしれません。
本編見た人の逆行物や、断罪物ってのは面白いんだろうと思いますが。
現状では、ファンフィクションというよりもファン−ファンフィクションか、ファンフィクションフィクションなのが多くなっていることが
受け入れられないことの一つだと思いますが。
FF、というよりFFFだな、こうなると。
めんどくさいので3F(スリーエフ)とか。お手軽コンビニですし。


ま、それ以前に作者の力量か、想像力がそれを捕えきれていない
って可能性もありますけども。


などなど。(今日の昼間は暇人だな、自分)

わたしゃどっちかと言うと批評推進派
No.:139
NameけんけんZ
Date:2002/11/07(Thu) 08:17
E-mailken-kenz@kk.iij4u.or.jp

 なんですがね。批判・批判なだけで(^^;
 どうも間違って受け取られてる気がするんで補足を。
 我乱堂さんへのレスのつもりで書きましたが書いてるうちにそんな事
は重々承知だろうなと(笑)。なのでこれは読んでるヒト向けですわ。


「二次創作の批評」と言うのは「一次物との相対化」から始まる作業に
なると思うんですよ。本編エヴァ(TVでもEOEでも貞元版でもどれに準拠
しても構わない)とまず比べて、この二次創作はどうのこうの、と。
 そこで「原作をどう捉えるか」という評価軸がまず有り、それから二次
創作物をどう捉えるか、という評価が生まれてくる。
 その「原作と批評家」の関係と「二次創作物と批評家」の関係の、二
つの距離から「二次創作の相対的な評価」を見極めようと言う作業に
なる。そういうもんだと思うんですよ。

 そこで、例えば庵野の演出というのを一から十まで全部肯定する批評
家が居たとする。
 ほんでEOE的「現実に帰れ」式のメタフィクションを絶賛したとします。

 他方、EOEで庵野がやったような「観客への裏切り」「エンターテイメン
トを放り出して」「すっきりしない終わり方」を全く否定的に捉えて二次
創作に関わる批評家が居たとする。
 こちらは前記の様な「正しくエヴァ的な雰囲気の二次創作」を評価し
ないでエンターテイメントに徹した作品を持ち上げたとします。

 これ、どっちの批評家が正しいって事はないんですよね(^^;
 どっちも同じなんですよ。自分の好みと、原作に対する評価が有って、
そこから(そのポジションから)二次創作物を眺めて相対的に位置づけを
する、と言う作業になる。
 これは言い換えれば、二次創作物から自分自身の原作とのポジション
を「測り直す」と言う作業ですわ。

 「エヴァの話しはどう話しても自分の話しになる」

 誰が言ったか忘れたんですが(笑)、まあそういうことなんだと思います。
 分かり難い、解釈の仕方が多様な、影響力過大な本編というモノがま
ず有って、その刺激から二次創作がワラワラと生まれた。
 一次的な創作であっても「絶対的な評価」はまあ有り得ませんけどね、
二次創作なのでそれ以上に評価軸が定まってない。
 エヴァそのモノの評価に正解が無いから(笑)。

 なので、私は「批判」を批判するんです。

 「批評」と言うのは相対的なもんなんですね。本来からして。
 その点は我乱堂さんのご意見に全く賛同するんですよ。
 批評家が相対的なモノだ、自分の評価軸を探りながらやってるんだと、
そう自覚して書いてる批評は良いんですわ。どんどん奨励します。
 言うたら二次創作を読んでの感想の延長ですし、それも含めて二次創
作の楽しみ方に含まれてると思うんで>批評

 それが「批判」て事になると、こっちは「絶対的なモノ」になっちゃう。
 批判家、という言葉は有りませんが、自分の「評価軸の評価」は忘れ
て、対象を批判する、と。そういう姿勢が気に入らないんですよね。
 エヴァに対するポジションは人それぞれ有って良いんじゃん、て。
 自分のエヴァ観を唯一無二のモノとして、二次創作を絶対的に評価出
来る人間が居るとすれば、それは庵野か貞元かしか居ないんですから(笑)。

 だから私は、二次創作への「批判」に対しては、甘モノ・エロモノに矛
先が向いた時も喚きましたし(笑)、イタモノ、死にモノに矛先が向いた時
にも喚きましたし、世界観を共有しない異世界モノがどうのと言われれば
擁護するし、学園モノが多すぎると言われれば多くたってええじゃないと(^^;
 LASとLRSの論争でも、最後にやっと「好みの問題じゃん?」って所に
落ち着くまでにどれだけの無駄な言葉と無駄な議論が死屍累々と積み
上げられたか(苦笑)。

 ですから、自分の好みから出た批評に関してはどうこう言いません。
 2ちゃんでやろうが作品掲載ページの掲示板でやろうが、批評家の自
由ですわ。ここで言うのは「全ての批評家」、つまり全ての読者の自由
だって事です。

 ただ、「自分の好みの相対化」も出来ない奴に「批判」なんてされる覚
えは無いぞと(笑)。そう言いたいんです。
 なんでかって言うと、自分のエヴァ観を他人に押し付ける奴に限って、
大きな声で「批判」するからです(^^;

 断罪蔑視、断罪排除の意見には、そもそもアイツら本編見てないんじゃ?
ってのが有りますわね。それがどうしたって思うんですよ。
 本編見てないとファンフィクションは書いちゃいかんのかよと。
 確かに二次創作は名乗れませんわね。三次創作ですよ。
 でも、二次創作を楽しんでるもんに三次創作だからと差別したり蔑ん
だりする資格は無いと思うんですよ。
 多分、好きな二次創作が有ったから、三次創作しようと思ったんでしょ
う。その気持ちってのは同じですわ。

 多重コピーが劣化するように、本来の姿からは歪められて、遠いモノ
になっていくかもしれない。
 私はそれも、それがどうしたって思います。
 本編エヴァが唯一無二のモノで、そこから離れる事が悪い事なら、
そもそも二次創作は全部悪いんです(苦笑)。本編だけ何度でも、繰
り返し繰り返し見てれば良い、と言う話になる。

 何処までが自分の好みを反映させた「良き二次創作」で、何処から
が本編を無視した「悪き二次創作」なのかなんて、誰にも決められない。
劣化コピーを繰り返した先に思いもよらない可能性が有るかもしれない。
改変されて改変されて、似ても似つかなくなってたって、面白ければ良
いんじゃ無いと。それを面白がる人が居る以上、存在価値は有る訳で。

 それを、自分の評価を絶対的なモノとして、「批判」する。
 どうもね、違うんじゃないの、と(^^;
 言いたかったのはそういう事。

 「批判」は批判していますが、「批評」までは批判してませんので。
 そこんとこ宜しくですm(_ _)m


まっこうさん>

 そんな訳で、下の方の綾波論は「けんけんZの」綾波論、ね(^^;
 まあ言うまでもないけど(笑)。
 これが正しい綾波論だ、と人に押し付ける気は更々無いです。

 原理主義過激派なんで、今更自分自身の綾波観を修正する気は有り
ませんけど、それを人に勧めるほどにはイカレテないつもり(笑)。

断罪と言えば
No.:138
Nameまっこう
Date:2002/11/07(Thu) 02:58

 だれかEVAザクラの大道寺ソノミ&相田トモヨの最強断罪母子コンビに突っ込んでくれないかな。
 ザザーンで書いたことや省略した事にほぼ100%あてはまるのに。

 日本を裏から支配してきた天宮一族の末裔で、金銭が無意味になるほどの大金持ちで、ある国のお姫様で、容姿端麗、眉目秀麗、学業優秀、波紋やスタンドの使い手で使うときには変身するときもある(ゴーゴンにだけど)、そして性格は気まぐれで凶暴、好きな相手を人形のように着せ替えて遊び、その相手のためなら大量殺人も笑いながらやる。
 もちろん高笑いが得意で、自分の考えがすべて、次期当主で心酔している配下やメイドが山のようにいて、二つ名でプリンセス オブ ダークネス。
 とほぼザザーン率は完璧。
 ただ原作のCCサクラでもこの二人は、上記のことが半分はあてはまるけど。
 このふたりのキャラ設定はまさに俗に言う「断罪シンジ君」にぴったりあてはまる様に作ったし。もっとも四年も前だけど。
 だからどうしたと言われると困るが。
 で書いていて思ったのは、書いていて気分がいい。だからやっぱり書かれるのでしょうね。ただし客観視しないと飽きるかな。それにジョーカーみたいなキャラだから上手く使わないと話がそこで途切れるし。何よりも無効化するキャラも作らないとドラマに成らないから大変。
 話を作る上ではやっかいだらけかなと。

 寝よっと。

そもそもからして…。
No.:137
Name我乱堂
Date:2002/11/07(Thu) 02:08
E-mailgalandou@mail3.netwave.or.jp

「批評」という行為からして、他者に対し「一定の評価」を与えることによって、自己の思考(嗜好)の再確認、あるいは補強するという……いわば「自己肯定」の手段の一つであるともいえなくもないわけですし。
 それが「的外れである」かどうかはこの際問題ではない、のではないかと。
 つまりは「こういうのは嫌だ」ということの確認による決意。
 人は文章、あるいは言葉にしておかないと、自分が何を考えているのか、何を目的にしているのかも解らないことがあるのではないか、と。
 ただ、問題になるのはそれを何度も反復するあまり、勝手に激昂して思考を短絡化させ、「排除」のために周囲に対してアジテーションをしないかどうか、みたいな。


 ……No.118の主張とは矛盾というか食い違っているような気がしないでもないけど、それは多分気のせいです(爆)

なぞ
No.:136
NameSOU
Date:2002/11/06(Wed) 11:37

なんでここ2〜3日、静か、いや終了時に
エキスパートウインドウなんてものの関連が?
ウイルス?

>「まっこうさんにしてはネタの消化が不十分だな……」
それは私も最初に感じたなー

「断罪批判」批判
No.:135
NameけんけんZ
Date:2002/11/06(Wed) 03:23
E-mailken-kenz@kk.iij4u.or.jp

 そもそもエヴァFFにおける評価軸は「好みか、否か」の一本しか有り得ず、
ファンフィクの「客観的評価」など無理――よって全てのFFは本質的に等価
である――という持論に照らせば、断罪批判もまた批判しなければならない。

 先に要点を言う。

 気に入らない作品を評するならば、一言こう言えば良い。
 「俺の趣味じゃねえ」と。それ以上は大きなお世話だ。

 以上要点終わり。

 以下は蛇足なのでご用とお急ぎの方は読み飛ばして頂いてなんら問題
はない。

 「断罪作品を断罪する評者」は無自覚に「断罪モノの持つ構造」と同じ罠
に嵌まっているのではないだろうか?
 良くある類いの「キャラ断罪で溜飲を下げる矮小な人間性が云々」「配置
されたキャラの役割も理解せずにヘイトする等作劇を理解しない厨房的な
発想が云々」「スパシンにおける読者と主人公が一体となった全能感は、
幼き性的妄想と同様な云々」といった言辞による批判は全て「的外れ」だ。
 断罪作者の未熟な社会性や断罪読者の一方的なキャラヘイトを傍目に
見て「感心しない」のは評者の「自由」だが、それは評者自身の好みから
個人的見解として発せられる批判でなければならない。

 言うまでもなく、断罪を読んで喝采を上げ新たな断罪を求めて次々と消費
する読者が一定以上の「マス」として居る「現状のエヴァFFの世界」におい
て、そうした読者の求める断罪を提供するのは「ニーズを満たす」という意味
において「正義」である。
 そうしたニーズと供給をまとめて「断罪」する評者の論理は、単なる「見解
の相違」として処理されるべき「個人的な不満」を大儀にすりかえて正当化
しようとする、「批判の正当化」と言うべき矮小な言辞の域を出ていない。
 私憤を義憤とすりかえ「大義を以って断ずる」という批評行為は、批評さ
れるスーパーシンジと同じ論理に陥っており、皮相の極みと言えよう。

 数多い断罪批判の最大の理由は、単に「今流行ってる」から俎上に上る
というモノであろう。それ以上の理由は無いと筆者は個人的に断言する。
 かつて「死にモノ」が批判され、「ゲロアマ」が批判され、「理由無きLAS」
も「白痴的LRS」も同じように糾弾を受けて、結局のところ生き残ってきた。
 生き残るのはそれを求める読者が居り、求める読者が居る以上書こうと
思う者が居る、という事である。
 需要者と供給者の間で敷居が低いファンフィクの現状に照らせば、求め
る者が居るのに依然として書かれていないジャンルでは、早晩供給が生じ
て需給ギャップは埋まるのが当然である。

 どんな作品にも「支持する人間」と「支持しない人間」が居る。
 支持しない人間は支持する人間の「性癖」にまでケチを付ける必要は無い。
 「俺の趣味じゃない」から「読まない」。以上、終わり……で十分なのだ。

 批評を糧にジャンルが成熟する事も有る。だから建設的な批評は必要だ
……という類いの主張は理解する。しかし正当な批評とはジャンルを肯定
的に評価する者の手によってなされる「自己言及の反省」でなければ真に
建設的な批評とは成り得ない。
 構造的に「外から」断罪モノを断罪する批評などは、現に断罪モノを創作
する作者にしてみれば「大きなお世話」以外の何モノでも無い。
 #注釈:同じようにLRSを信奉する読者がLASを批判し、LASしか
 #読まない読者がLRSを批判するのも「大きなお世話」である。

 「断罪というジャンルをまとめて断罪する」事の「滑稽さ」に気が付けば、
断罪批判も廃れるに違いない、と言うのが個人的な予想だ。また、次に
何らかの傾向を持った「ジャンル」が「流行れ」ば批判の「流行り」もまた
矛先を変えていくだろう。

 現状は歴史的な反復の一つの局面である。批判に正当な理由など無くと
も流行的に批判が生まれる、という状況がこの界隈において繰り返されて
きた。
 好みでは無いモノが持てはやされ、好みのモノが相対的に傍流に押しや
られているという不満から、別の好みを持つモノがそれを批判する事例が
増える。FFに対する批評・批判が依然そうしたレベルに止まっている事は
不幸な事だが、「客観的な評価」が確立し得ない二次創作においては、必
然的に起こり得る「いつも通りの風景」なのである。

 以上を踏まえて個人的な「断罪モノ」に対する見解を述べる。

 読んでないから知らん>断罪モノ

 おあとが宜しいようでm(_ _)m<オチは付けんで良い