総合
(ろぐ179)


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ここはわたくしフランソワが逃げた兄に代わり仕切っていた(過去形)掲示板ですわ。
大体何でも好きに書き込んで下さって構いませんわ。わたくしが気に入らない書き込みはプチ消しますけれどもね。ぷん。


【名  前】鯖@さぼり
【タイトル】ってゆーか・・・
  06/27 16:11
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
ふと考えたら「恰好良い」「高尚」な事のみ求める人間は
こんな処で文章書いたりそもそもFFに関わったりしない
のではないかしらん???

所詮FFは「萌え」とか「設定に対するスノビズム」といった
シロモノ。結果がどういうものであれ、出発点は其処にすぎない・・・

「俺は違うぜ!」を言いたいのであれば出入りしないのが吉なのでは
なかろうか???「かっこいー」と言って欲しいんならさ・・・

「フィルムに己のプライドを焼き付ける」と言うのは情けない行為だ、
と庵野は自嘲した。「商売でやってるんだ、と言いきったら恰好良い
んだろうが・・・『僕は物語を作らなければ生きていけません』と言うのは
果てしなく恰好悪い。けれどそれが実体なんだ」と。んで・・・最後には
野火ノビタ氏に「みんながEVAで金もうけするのがやなの・・・」と呑んで
漏らしたと言う(野火氏の著作より)んで・・・結果はあー。

アンビバレンツか。確かに「かわいい」んだろうけどね・・・

「金儲けさせるのが嫌」「そう感じている自分も恰好悪いので嫌」
で、「金もうけ御破算」的なものを作ってついでに「そういう自分を
嘲笑うかの如きもの」に仕上げる。否定の為の否定。

だから「恰好悪い自分を満足させ」「金も儲かる」シロモノつくろう
って何で思えないのかね(溜め息)

「俺は金もうけの為にやってんだ」と「主張する」とすればそれは
結局「粋がり」・・・だしね(儲かれば在り難いのは当たり前の話だ。
商売人ならば・・・たとえ自身で「俺が商売やってるのはそれだけじゃ
無いんだ!」と思おうとして『商道徳』の様なモノを掲げたとしても、
根の其処からは逃れられない。老いた商人が『利益以上の何か』を
求めてしまうのも結局そういう事だ。金もうけは『空しい』側面を
無論もっている。『やってられるか!』と言いたくなる事は多々在る。
あたしも商売人の家系に生まれたから其処から逃げようとした。しかし
逃げ切れるもんでもなかったが 苦笑)

金もうけも、決してカッコウ良いもんじゃない。でも「そうしないと
干されてしまう」から、他人の力に屈してへつらい、『そうしないと
飯が食えない』と自嘲しながらやっている。それだけだと「退屈」だし
「惨め」なことに変わりはない・・・ある程度であれ、自分の好きなものを
好きなように作らせてもらえる事は「幸運な事」に決まっている。

「飯を食う為にやっている」と言う事がカッコウ良いなんて思っている
奴はどうしようもない甘ったれた尼ちゃんだ。娑婆を知らずに甘やかされて
育った証拠だな。庵野の恰好悪い所はなによりもその「甘えた根性」。

そもそも・・・「恰好良さ」に重きを置くような奴は基本的に「餓鬼」だ。

これは先ず間違いあるまい。「大人」って何?と言われてしいて答えると
すれば・・・「恰好悪くても我慢できる人」と答えるのも良いかもしれない。

無論「好き好んで恥ずかしい事をしたがる」のは「あぶない人」だろうが
<をのれじゃ(あたし)

まうー。


【名  前】鯖@さぼり
【タイトル】『包茎男』の法律論か。
  06/27 14:05
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
うむ。半分あたしの問題を言い当て(共同体と個人目的の折り合いが
付かないという事だ 苦笑 これは実に重要なあたしの抱える『欠陥』だな)

ついでに空疎な事も言っている。というより・・・

『法の及ぶ』、とはな(苦笑)脆弱な人間の言いそうなセリフでは在るな。
あるいはマルキスト辺りと良い勝負だ。娑婆に対する考察を「文章」に頼る
怠惰な人間と意見が合うとは思わないので(法律家ってのは社会の『蚤』
だよ。何も作りゃしねえ無産者だ。共産主義社会なんてのも所詮『無産者の
夢想によって労働者解放』なんて阿呆な事を考えた結果のシロモノだ 苦笑
法律屋なんてのは『受注生産』してる位が丁度良いんだろう 苦笑)それ以上
社会とかの概念に付いて言う必要も無いだろう。

社会なんてもので意味が在るのは「自分の手足や言葉が届く範囲」なんだよ。
結局はな・・・そこで如何に折り合いを付けるかと言う話だ。初めから抽象概念
として用意されたものに基準を置く人間は只の馬鹿なのでディスカスする意味を
もたない。

ネットは・・・これは最大の弊害の一つでは在るが、「肉体が届かず、金や権利
等の利害も存在しない」所に言葉だけが遊離する妙な空間を作ってしまう
事だ。此処には「自分自身のステイタス」が存在しない。それは確かに
気楽だし遊ぶには良い事だ。しかし・・・実社会を語るには不向きな場所でも
ある。所詮人間の言葉は身体と立場から出てくるものだ。身体性を喪失した
言葉に大した意味はない。

雑文はともかく「話」を書く人間なら「身体性の重要さ」と言うのは
認識している事と思う。リアリティだの面白さだの感動だのの根元は
生理・・・身体だ。

これは・・・あたしにとって最も重要な事の一つであり、これを言いたいが
為にくだくだ書いている所も・・・あるな。

某氏の言葉はどうも「自己を言葉に頼る事でぼやかす」類のものに
見える。「裸踊りをやれ」と言ったらビビッて出来ない類の人種と言うかね・・・
「自らの文はすべて便所の落書き」と公言する人間はつまり「責任」・・・なんて
大仰な言葉はこんな所には似つかわしくはないが、「自信の無さ」あるいは
「自己からの逃げ」と取るのが妥当なような気がする。其処で「こんな下らない
事に俺は一々真面目に関わっていないからだ。」と言う逃げ口上は無論かませる。

しかしね・・・結局「こんな無意味な空間」であろうと人と話をするとすれば
何らかの「実体」に変わるものを用意する必要があるんじゃないかとあたしは
思っている。個人的見解ではあるが。それが言わば「裸踊り」の類だ。何処に
出しても「自分」の一部なんだから別段恥ずかしくはない(恥知らずとも言う)

「惚気」だの「昔話」だの「失恋談」だの「キャラ萌え」だの、極めて
プライベートで阿呆な話が言ってみれば「自分の阿呆な所を露出する」と言う
行動だ(苦笑)しかし・・・結局それは「自分自身の一部」であり「同一性・
ついて廻る肉体に近い部分」である。つまり「取り替え可能ではないもの」
だ。逃げが利かないから「意味がある」。例えこういう場所でもね。

別段「良いとしこいてキャラ燃え」なのも確かに「度し難く阿呆」では
あるが(苦笑)なっちまったものはしょうがない。別に恥ずかしいとも
思わない。「馬鹿だなぁ・・・」と思うだけの事だ。そういう部分が「自分で
気に入っている」所でもあるからだ(笑)

理想かどうかは解らんが、気に入ったから「ヒゲのヲッサンから剥奪して
自分のものにしよう」として居る事は間違い無く確かだ。奴のオリジナリティ
やプライドなど知った事ではない。嫌なら訴訟でもすれば良いではないか(笑)

なけなしのステイタスと身体ではあるが、結局あたしの武器はそれだ。
並みの奴に負けるつもりはない。実社会ではね(笑)

所詮「便所の落書き」と言いつつ「ネット上においておや、スタイルしか
縋るものが無い」・・・あたかも「実体で満たす事の出来ない惨めなプライドを
架空空間でスタイリッシュにする事で補填している」包茎君の「自己なき
ルサンチマン」であれば・・・初めから噛合う筈など無い(笑)

言ったろう?一度「生身で話し合おうか?」と。

自信が無いから「まっぴらごめん」なんでしょ?どんな欠陥を抱えている
のかは知らんけど。「言葉で偽装し、ディスプレイの影に隠れる時だけ
ヒーローになれる」ってのかいな・・・名刺の一つも送ってくれたら納得する。
但し知り合いから貰ったとか言うのは不可。

むー。


【名  前】BLEAD
【タイトル】二次創作に関する……言い訳
  06/27 10:57
Mail: blead@ky.xaxon.ne.jp
URL: http://www.ky.xaxon.ne.jp/~blead/
【メッセージ】
 長いな…一昔前の「総合」を彷彿とさせる書き込み速度だ…

 スタンスを書いてみよう。
 「CHILDHOOD's END」は、謎解きと呼ばれる妄想…俺の中での妄想を総てつぎ込んで、終わ
りきっていなかった「新世紀エヴァンゲリオン」を俺の中で終わらせようと考えて初めは計画
された。結局は…冗長になってしまい(計画性が無いだけ)最後までは書ききれなかったのだ
が、「蛇足之章」という形で書ききる事が出来た。こうして俺の中でエヴァを一回終わらせた
訳だ。
 見苦しいが(苦笑)
 「黙示録」は…始め「劇場版」という言葉を聞いて「全体の話を短く纏めた物」かな? と
考えて、ならパイロット達は始めっから明確に集められているべきではないか? という疑問
を形にした話をぼんやりと考えていた。暫くそれは頭の隅っこに放ったらかしにしていたのだ
が、自分でページが持てる状況になって、メインコンテンツが欲しくなって、その妄想に少し
の設定補足をしたところ、脳味噌が乗ってきて今の形となる(苦笑)
 もっとも、自分で書いた第一話が余りにお気に入りになってしまい、満足してしまってそれ
以降の話を書く気が起こらなかったが(笑)……訂正「CHILDHOOD's END」をその後に終わら
せたもんだから、一回エヴァが終わってしまったから。
 そんなこんなで、現在は「黙示録」を細々と書いている。

 一次創作的な事は幾つかアイデアがあるのだが、纏め切れていないので表に出す気は今のと
ころは無い。技量が不足しているというのも大きな理由だ。情けないとは思う。
 その前に某VNシリーズの二次創作に関するアイデアを一つ吐き出してしまおうと思ってい
るのだが…「黙示録」とこれを書き終えたら二次創作は暫く封印…だが、別に一次創作に力を
入れるという訳でもない。元々職業:作家になるつもりも無いので…半ば自己満足。
 まぁ、恥知らずと呼ばれるかもしれないが。
 それに、元々そうそう二次創作なぞ出来るもんではないのだ、俺は。
 大抵のものにはそれそのものだけで基本的に満足してしまう性質なのだ。素直と言えばかな
り素直ではある。まぁエヴァはそれだけ俺としては不満の多い、でも面白かった作品だったと
言う事だ。ちなみに某VNシリーズのは…本編の終わり方が余りに「その後の話がある」とい
うニュアンスだったので、思い付いた。ま、俺のページを見れば何の話かは分かるかも知れな
いのだが。
 でも……やっぱり一次的創作の方が自分の好き勝手出来るよなぁ。
 

VIA MEDIAさん
>いや、実はそれに類するんですな。

 なぬ?!
 ……あ、そっか。ロボット…というか機械人形に人間が乗り込んで闘うというアイデア、と
言う意味で同じなんですね?
 極論ですが、確かにそうだわ。
 ちなみにDUALですが、カズキ−ミツキ−D−遺跡の四角関係(笑)になっていて、次回
がたしか最終回です。

 俺としては「ストーリーそのものをパクらなきゃいいんじゃない?」とは思いますが。
 パクってもばれなきゃOKです(笑)

> 私見では、エヴァのエヴァたる所は、「ストーリーが完全に空虚である」と言う
>事です。私は、「これが人類の存亡を賭けた戦いなのか?」と言う感想しか持ち得
>ませんでしたね。

 これ、同感。
 TV26話の箱庭だかジオラマだかを脚本片手に眺めるシンジ、というのが有りましたけど
正にあれは的を射ている。
 デビルマンの様な「世界中が狂気に陥っていく」事が無い。
 変な言い方をすれば、第三新東京市の外で起こったことは「情報操作によって作られた」と
いう……いや、無理か(苦笑)少なくともエヴァが他の都市で闘うことは基本的には無い。
 「外」の人間は存在している「らしい」程度でしかない。
 エヴァが闘う足元で逃げまどう民間人という構図も第三話以外ない。
 なんかなぁ…

>と考えるしかないので、「芸術論」に踏み込むのは「ピント外れの議論」である、
>と「私は」思っています。

 芸術って……例え話じゃ無かったの?
 かなり極端な。

> だから、「学園エヴァ」にも、「本編再構築」にも興味がない。ましてや「キャ
>ラ論」なんぞは、私にとっては「異次元世界の出来事」でしかないんですな。

 うぐっ……(ダメージを受けたらしい)
 

くわたろさん
>三国志

 ところがどっこい、演義をベースにしたものと確かもう一個有ったはずですよね、題忘れた
んですけども、古い三国志の小説。
 今表に出ている三国志は基本的にそれら二つの話のどちらかを元にしているらしい。
 ちなみに、流石の俺もこれらをパクリと言い切れなくて困ってしまっています(苦笑)
 なんでかは謎ですが。
 ただ…逆に歴史小説の類は史実とされる記録から合間を推察する事によりそこへオリジナリ
ティを出す、というのは有る意味納得いきますし。
 「蒼天航路」は面白いらしいし。

>『「三国志」としてのオリジナリティ』(矛盾してますか? (^^;)

 はい、矛盾してます(笑)
 とりあえず、言葉として。意味的にはあんまり問題なしです。
 

鯖さん
>別に「妹募集」(して何をするのかしらん?)でも良いのではなかろうか。

 妹募集してやること……「おにいちゃん」と呼ばれる事に浪漫を感じているのでしょう……
阿呆です。俺には理解不能ですが。
 

 ん? なんだあのバナー広告は?


【名  前】Aoi Ryu
【タイトル】なんとなく、ノストラダムス。
  06/27 08:02
Mail: aoiryu@aoiryu.net
URL: http://www.aoiryu.net/
【メッセージ】
 『トンデモノストラダムス本の世界(宝島社文庫)』に原文が引用されてました
ので、それを以下に書き写します。
 

L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois,
Du ciel viendra un grand Roi d'effrayeur,
Resusciter le grand Roi d'Angolmois,
Avant apres, Mars regner per bon heur.
 

 で、この中のgrand Roi d'Angolmois(アンゴルモアの大王)という一節ですが、
このAngolmoisというのは通常では訳せないようです。で、ノストラダムスの母国
であるフランス人の研究家によればAngoumois(アングーモア)というフランスの
地名のもじりではないか、という案が一番有力だということです。

 でも、こういう正統的な解釈って人気ないんですよね……(^^;

 あと、私自身はフランス語は読めないし習ってもいないので、独自の解釈は無理
です。期待してくださった方、申し訳ありません。<いないっつーの。


【名  前】VIA MEDIA
【タイトル】海行河馬(絨毯爆撃笑)
  06/27 07:33
Mail: slc31551@biglobe.ne.jp
URL: http://www2s.biglobe.ne.jp/~viamedia/
【メッセージ】
 まあ、「魔法的象徴表現」を理解出来ない者には何百言費やそうと無駄であるの
で、簡単にしておこうと思う。

 「大人」と「子供」の違い。私の信ずる所では、

  「遊びに対して『真剣』に取り組むが『必死』にならないのが『大人』。
   遊びに対して『必死』になるのだが『真剣』に取り組まないのが『子供』」

と、言っておこう。

 「公」の定義。これは簡単(うーむ、こんなものは自明の事と思っていたのだが
ねえ(絨毯爆撃苦笑))。無論、私の中にある「公」の定義なんだが、

  「『個』が存在している場所において『法律』が適用される範囲」

である。判りやすく言えば「国」だ。

 +  +  +  +  +  +  +  +  +  +  +  +  

 しかし、私如きにたった一言ツッコまれただけで、これほどの「無意味な言葉」
が洪水のように溢れて来るとは恐れ入った(絨毯爆撃笑)。余程「イタい所」を突
かれたと見えるねえ(絨毯爆撃苦笑)。

 それも、よく考えて纏めた上で、一つのアーティクルにしてあるのならまだしも、
「思い付いてはすぐ書いて登録」を繰り返すのは、「頭に血が昇って書いた」とし
か思われないな(絨毯爆撃笑)。

 まあ、何にせよ、(私も含めて)こんな所でグタグタ言っても始まらんでしょ。
さっさと続きを書いて完結させましょう。私も最近は、自分の作品をさっさと完結
させてこの世界から早く足を洗いたいとつくづく思っている(絨毯爆撃笑)。

 +  +  +  +  +  +  +  +  +  +  +  +  

 齊藤りゅう 殿

>>「俺はココまで来たぞ。わっはっは」と柱に自分の名を刻んだところで、二次創
>>作というのは所詮は一次創作者の掌の上で遊んでいるに過ぎない。端から見れば
>>髭のカントクの内的世界に片足突っ込んでいる同じ穴の貉だ。

 この御指摘は私の発言、
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////
 余談:

 私の「原初の光」は、

  「エヴァの設定をパクった上、別キャラクターを設定し、本編に対するアンチ
   テーゼとしてのストーリーを構築した。そこにエヴァキャラを折り込む事に
   よって、『続編としての性格』を持たせた」

と言うものなので、「一般的な意味でのエヴァSS」とは多少違うと自負しており
ますが (^^;)。
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////
を受けたものと解釈させて戴きましたので少々弁解させて戴きます(^^;) 。

 私は別に、「俺はココまで来たぞ。わっはっは」と言っているつもりではなく、
「エヴァSSの中でこんなジャンルはどうだろうか」と言う意味で言ったつもりだ
ったんですが、今読み返してみると確かにそう解釈されない事もないと思います。
このあたりは言葉足らずでした。一応、最後に書いた「(^^;) 」で以て、「所詮、
SSなんだから自慢にはならないが」と表現したつもりだったのですが・・(^^;) 。

 ま、いずれにせよ、所詮はSSなんですから、自慢するには足りません(^^;) 。
それはその通り。事実、「原初の光」の続編の「夏のペンタグラム」は「完全なエ
ヴァSS」ですからね(^^;) 。

                                VIA MEDIA


【名  前】せつこ
【タイトル】雨脚が強いです。
  06/27 07:13
Mail: komahi3@suma.kobe-wu.ac.jp
URL: http://www.geocities.co.jp/Playtown/3926/index.html
【メッセージ】
 芸能人の物真似をなさっている、いわゆるものまねのプロの方々などを見ていると、パロディというものは基本的に娯楽なのだなあ、と思います。
 エヴァのパロディも、そこから外れてはならず、パロディである事による面白さを追求しなければならないのでしょう。面白くないパロディぐらい犯罪的なものはありませんから。
 続編・改竄も、また同じ。・・・かな?
 

 しのばさんへ

>ご遠慮なさらずお書き頂く方が、けびんさんとの議論には有益かなと思ったものですから。
 ありがとうございます。とりあえず、鯖さんが「ある神話」について感想を書き次第、私の詳しい感想も書く事にしましょうか。
 とは言いつつも一つだけ疑問。
 本当に成長不信論者なら、「ある神話」のシンジを、葬儀の参列者が大勢いた、というようなものにはしなかったはずですが。せいぜい人並みか、伏木医師と他数人ぐらいではないでしょうか?
 せめて、後年、誰かがシンジのその後の生涯を調べて、やがて書店の片隅に、一つの神話として置かれた、というならわかるのですけれど。
 

 BLEADさんへ

>しかし、なんで「アルゴルモアの大王」が「恐怖の大王」になるんだろう?
 そういえば、ノストラダムスノストラダムス、と騒いでいるにしては、元の詩があまり表に出ないような(出ていても私が忘れているだけか?)
 本当に、「アルゴルモア」ってなんなのでしょうね。
 

 けびんさんへ

>全然関係ないですが、『あの』マヤちゃんの大ファンで是非、自分をオリキャラとして出演させてマヤちゃんと結婚させて欲しいと言っている読者がいたりします。(爆)
 彼女はシンジなんて埃にしか思えないぐらいの良い男と結婚するのです(←勝手な妄想)。
 その読者様がそういう男性を設定してくださった事を願います。かなり本気で。
 

 うらかみさん

>(せつこさん、「ちがーう」と思ったら言ってください(^^))
 さして違いませんでした(←なんだか偉そうですね)。

>余談ですが、「純潔」ってすごい言葉ですよねえ。。。
 男性の書き手は大抵、好きな男としか関係させませんからねえ。私は、ケンスケと関係しても良かったのでは、と思っていますけれど(爆)。
 蛇足ですが、以前、「加持さんへの思いは恋じゃない、シンジへの思いが初恋なの」と主張する話があって、思わず「んな訳あるかい」と突っ込みを入れてしまったことがありました。
 

 それでは。


【名  前】MEGURU
【タイトル】”和”考
  06/27 04:11
Mail:
URL:
【メッセージ】
知らない間に膨大な書き込みがなされている。
発端は俺とけびん氏にあるのは明白だが、全ての書き込みにレスを返すのは面倒なので、それについては割愛。相変わらず書きたいことだけを書く。
 


 

修士論文と重複する部分があるために「キレる人間」に関する考察を続けている。「”キレる”という行為は表現手段が乏しい人間起こりやすい」というようなことを少し前に書いた。
怒気を発することのない人間は精神に重度の問題を抱えていることが多い。怒りは、自分の精神性(前回書いた領域にも関係する)を保つための手段である。

「キレる」ことで問題になるのは、その危険水域の低さと理由である。
理由については少しだけ前述した。要するに関係性を表現する手段が乏しいから、”暴力”という手段に出るのである。
「関係性について表現する手段が乏しい」ということにはいくつかの原因がある。例えばおきまりの「画一的な教育」というのも原因の1つにある。他には「両親が仕事などで忙しく、社会経験が不足している」、「皆が流行に走るために集団のバラエティがなくなってきている」など、数え上げればいくらでもある。

俺が注目しているのは「仲良くしなければいけないプレッシャー」、古風な言い方にするならば「和の精神」である。
日本で「和」が尊ばれてきたのにはいくつかの理由があるが、ここでは細かい説明は省く。例を挙げるなら、共同作業の稲作中心の生活をしてきたため、国土が閉鎖されており社会の同一性が高かった、後発帝国主義国家として団結する必要があった、という奴。

「和のプレッシャー」は今も根強く残っている。小学校低学年の教室を訪れると必ずあるのが「みんな仲良く」という文字。
水戸黄門の印籠のように貼られているのを何度となく目にしてきた。
「和の精神」が悪いのではない。が、「はじめに和ありき」ということになると色々な問題が生じる。
前提が「和」だから、それが傾聴に値する意見であっても、批判は封じられる。そういう考えが根底にある環境が用意されるとどうなるか?

結論から言えば、他者との関係性を築くことができなくなる。コミニケーションがとれなくなるわけだ。

メカニズム的な話をする。
反対意見を封殺する社会では、自分の意見を表明するのが難しい。”自分の領域”については前回書いた。
精神は外的刺激と反応の集積物である、自分を解析すると自己の領域が怪しくなる、どこまでが自分か分からなくなる、という奴だ。
自分の領域とはただ漠然としているだけでは分からない。自分の意見を表明し、他者との違いを確認しなければ分からない。

その際に必要なのは前回書いた敬意。他者の領域を好き勝手に審判すれば、大きくは国家間の戦争、小さくは個人レベルの喧嘩が起こる。
だが、自分(他者)の領域は簡単には判明しない。「はじめに和ありき」で衝突を避けていては、全く分からないままだ。
極端な話、相手の領域に侵入し、警告&反発を受けなければ境界線ははっきりしない。国境線から離れた地点でやり合っても、なれ合いで終わる。

関係性を確保するためには、上記のようなことが必要だ。だが、多くの日本人はこれらを意識しないし、意識しても忌避する。
親、兄弟、友人、恋人に至るまで、衝突を避け和を保つことにプライオリティを置いている。「本当は相手が自分をどう考えているのか」、「自分の考えは他者にどう思われているのか」、「自分は一体どのような人間なのか」は霧の中にある。

自分を保証(肯定&否定)する関係性がない。友人はおろか、親ともない。精神は不安定になる。
加えて、「和」を乱す者は攻撃されるのを見てきた。長年接してきた要素は当人に取り込まれる。結果、自分と少しでも違う人間を否定したがる。精神の不安定さと表現方法の乏しさは、否定を直接的な攻撃という手段に導く。
行き着くところまで行くと、自分を否定しない領域のみに固執し閉じこもる。自閉症の発症例の1つである。
 


 

けびん氏が指摘したように、俺は他者の領域に度々侵入する。
それは経験から得た規範によるものだ。
俺は国際的経験が豊かと言えるほどではないが、外国人の友人が多い。心理学をやっているので、日本人に限定しても、1人1人の人間の精神性が如何に違っているかを知る機会がある。
国境がボーダーレスになり、様々な考えを持った人間が交流するようになった。

最終的なとまではいかなくても、暫定的な「和」を獲得するためには互いの領域を確かめ合う必要がある。嫌いな人間であっても領域を確かめ合うことによって、協調はできなくとも共存はできる。
「敬意と和」を獲得するために、「一時的に敬意を踏みにじる」というアンビバレンツが存在せざる得ないのではないだろうか?

なれ合いでは領域は分からない。あやふやな関係性は、破局を迎えたときにそれを大きくする。取り返しのつかぬレベルまで発展してしまうことがある。

と、いうのが敬意に対することへのけびん氏へのレスになる。
 


 
 

続編云々で少々説明不足を感じたので追記。

人間はそもそも白紙のキャンパスなので、いかなる創造的行為も取り込んだ事例の組み替えであることは否定できない。
であるから、いやだからこそ、はじめに組み替えを行いある世界を確立した人間は評価されてしかるべきだし、事実されていることが多いと思う。

しのば氏が指摘しているように俺は続編物が嫌いだ。だが、全てを否定しているわけではない。
例えば違う作者によって、次々と違う作品が作られている物に「ルパン3世」が挙げられていた。
俺が「ルパン」物で最も好きなのは、ご多分に漏れず「カリオストロの城」だ。カリオストロの城に触発されて、違う魅力を持ったルパン物を作ろうとすることは、全否定しない。
だが、例えば「カリオストロの城2」とかを制作しようとしているのなら、それは作者以外に許されることではない。

例えば「クラリスとルパンはくっついた方が面白かった(そんなことを考える人間はごく少数派だろうが)」と思い立ち、「カリオストロの城2」を作るのは許されることではない。
キャラクターや背景だけを借りた作品は、「カリオストロの城」の系譜の末端に連なり、続編物は「2」の仲間に属する。

まあ、両者とも(エヴァFF作者そしての俺も含む)オリジナリティに欠陥はある。俺はそれを恥じているし、自作に関そうメールが来たときに「恥から来る照れ」を覚えた。


【名  前】鯖@さぼり
【タイトル】まとめ?(すでに定番)
  06/27 02:53
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
あ、ちくちくが(汗)<りゅうさん

下記、いろいろ書いた奴は「一見すると矛盾する」部分も在る。
が・・・

しのぱさんに「病んでる奴は病んでる奴の生き方と役目があるんです、
それで良いじゃありませんか、健全じゃなくても」

と申し上げたのと

無意味な問答途上で「自分探し」に対する疑問を差し挟んだのは直接
的には矛盾しているかもしれないが、大枠としては並列して存在して居る。
少なくともあたしのなかでは。

脅迫観念的な「自分探し」には疑問を感じるし、結局それが「娑婆にとって
良いカモ」に誘導されている訳だから(それがニーズだ、と言う口上は
良く聞くな 笑 が・・・実に強迫観念的に創り出されているニーズじゃないか
苦笑)・・・元々「自分」が無かった(稀薄だった)人達が「無いもの」を
探せば「用意された結論」にレミング式になだれ込むのは不思議でもなんでも
ない。「もともとなんでも良かった、自分を肯定してくれるなら」と言う
んなら「用意されたものの方」へ走るんだろう。矢張り・・・

そしてそれに誰かが「健全」と言うお墨付きを与えればちょっとした
マーケットの出来上がりだ(笑)

・・・んな健全なら沢山だ、と言う事と・・・(そんなものを「公」と呼ぶ
節穴な人間も居るとはな 苦笑)・・・それが現在「常識」とか「正常」
と呼ばれるようになっているとすれば、もともと「常識」自体が誘導の
産物としての幻想に過ぎなかった・・・実体としてあるのは精々が「三大
欲求(食欲・性欲・睡眠)を満たす」と言う単純かつ適当に解決可能な
「共通項」だけだった、と言う話になる。

娑婆がそんなザマなら、んなものは充てにせずに「自分が元々知っている、
信頼性の高いと感じるもの」を当てにする。それが「世間と違う」と攻撃
対象になろうが「知った事か」と言う話である。

結局は「恰好付けても所詮相対的価値観の中でしか自我を保てない」、
娑婆従属の人間にはそれが「逸脱」にしか見えないとしてもそんな事は
関係ない。

役目、と言ったのは、得てして「病」の元はその「生来持って居た
信頼すべき感覚」そのものだったりする事も在るからだ。そうで無い
ものは結局「用意された結論」の方へ誘導されるだろうし。故に・・・

「病」を振り切れぬならばその病に従え。それが貴様の果たすべき
役割だ、と言う事も思う。それは「病」と言うより「特異な機能」
と呼ぶことも適うのかもしれない。自己肯定なぞやっている暇はない。
それよりも「やるべき事」を発見するのだ。

東北に多い「迷い家」の話を御存知の方も在るかもしれない。
さる女房、と言う場合もあるが・・・リップ・ヴァン・ウィンクル。

偶々異界に迷い込んだものは時を経て再びうつしよに回帰する。
しかし・・・それは元の侭に迎え入れられるのではない。一度「異界」
を経たものは既に現世にとって「異端」なのだ。異質な世界の属性を
既に「自分の一部」として抱え込んでいる。

努々「受け入れられる」などと思ってはならない。又「異端」には
其処において果たすべき機能がある。何が出来るか・・・それを探す
事だ。楽ではないが。

面白い話ってのは「それがどの程度身近であり、自分の問題なのか」
って事にも関わって来る訳だろーな。そして、「自分が強制されたら
嫌な生き方」だったら「抵抗が在る」だろうし(・・・LASが苦手な
のって、あれ、あたしには『セクハラ』みたいなもんかもしれんの
ですわ 汗 )例えば「直接関わっても居ないし利害も無いのに首を
突っ込みたくなるネタ」と言うのは「何かその人間にとってコンプ
レックスを刺激するような事が在った」と言う事かもしれん。

本当に無関係で興味の無い言説は人間にとってそれこそ「空気」と
同じ物だから。

まう。


【名  前】齊藤りゅう
【タイトル】書を捨てて、街へ出よう。
  06/27 01:49
Mail: ryu1@imasy.or.jp
URL: http://www.imasy.or.jp/~ryu1
【メッセージ】
「俺はココまで来たぞ。わっはっは」と柱に自分の名を刻んだところで、二次創作というのは所詮は一次創作者の掌の上で遊んでいるに過ぎない。端から見れば髭のカントクの内的世界に片足突っ込んでいる同じ穴の貉だ。

それほど自分の著作物のレベルに自信があるのならば、どうして一次創作へ意欲が向かないのか、私には不思議でならない。
一次創作だからといって、別にレベルの高いことを要求しているわけではない。プロットを書き、世界をつくり、キャラクタを産み出し、そしてその世界で遊ばせる。それだけのことだ。
むしろ、いちから作り上げることのできる自分だけの自由な世界が広がっているのだ。これに比べれば、二次創作は箱庭のようなものだ。
今のエヴァ系二次創作を手がけている方々であれば、それは決して難しいものではない筈だ。

とはいえ、自分も髭のカントクの内的世界に片足突っ込んでいる同じ穴の貉なので、あまり偉そうなことは云えないが。
 

というわけで、UPし直しました。すんません>くわたろさん
 

>1 創造者としての能力欠如に対する無自覚
大変耳が痛い。神妙に拝聴しておこう。
それでも今だに二次創作を続けているのは、一度始めてしまったものを意欲がなくなったからからと云って途中で放り出すことは絶対にしたくないからだ。それが一番大きい。

な、鯖氏。


【名  前】鯖@さぼり
【タイトル】そろそろかしらん?(なにが)
  06/27 01:42
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
まっこうさん

デルタエリート・・・別にこれと言った「欠陥」が在る訳では
無いですが・・・基本的に「システムがガバメントの侭」、
つまり1911年のメカニズムの侭のクラシックなものは趣味としては
受けない事はないし、信頼性もコルトのものゆえわるくは無いですが・・・

矢張りDAD9(ダブルアクション・オート、ダブルカァラム15連発の9
パラ・オートの総称)が主流の時代としては「基本設計が古すぎた」
のかもしれません。元々「コマーシャルモデル」ですし・・・

5.7ミリはファブリック・ナショナーレのP90、次世代の軍事警察用
火器として「携行性に優れ、扱い易い携行火器」「アサルトライフル
位の威力とマシンピストル程度の使い勝手」を求めて人間工学の成果
を設計に生かしたユニークな銃器の為に作られた弾です。

ミニUZI程度の大きさでブルパップ、と言うか銃身の上に並行に
弾倉がセットされる(G11と同じやり方)一種独特の形をした
モデルですね。弾丸の外見上の最大の特徴は「円錐形に尖った
弾頭」・・・弾頭重量が制限される分、着弾時に発生するショック
ウェーブを最大限に生かして破壊効果の拡大を狙った危ないシロモノ
です(苦笑)・・・基本的には「小口径カービン弾」と言うべきなの
でしょうが・・・

未だ正式採用レベルに行っていると言う話は聞きませんが・・・かなり
注目は集めていると思われます(特に対テロ・警備等の分野で)

下記補足

・・・一々対応すべきではないかしらん???

一つだけ感心したのは「大人・子供」云々の下り。
これは中々良い所へ行っている。検討の方向としてはね。
只、言うまでもなく「大人と子供の間には明確な境など無い」
(法的・或る異は娑婆における参加の程度の問題は在るが、
それとて目安にすぎない)故、何をもって「大人」とするか
と言うのは意見の分れる所だ。まぁ・・・「大人としてかなり問題」
であると言う認識は無論常々持ってはいるが。(未熟だ、修行が
足りん、と言う意味だ)

何が必要か?と言う課題は常に付いて廻る訳だ(笑)それが
こーゆー馬鹿話の主題の一つでもある訳だ、結局は。それは
結局「自分が納得行く」ものを追求していると言うに過ぎない
のだが。

ならば、無意味な部分はというと・・・

「公」と言う概念を(説明無しに)出して来たな(苦笑)
それは如何なる意味か?「社会」と言う鵺の様なシロモノ・
責任の所在をぼやかすための装置ではなく「共同体・・組織・国家・
民族」等、あるいはそういったモノとしてそれを提示できるか?
何に帰属し如何なる原理でそれに乗っ取っているのか口に出来るか?

無論、ここで個人主義(風)のセリフを吐いて権利と義務の母体を
漠然とした「社会」だの「良識」だのと言う無責任なものに回帰する
様なら欺瞞にすぎない。

実際・・・「共同体」の問題は個人的に未だに解決がつかないのだが。
実際、その結論が出ないが故に「腰が据わらない」訳だから。実際に
様々な組織に所属しているとは言え・・・どちら側に立つべきか、と言う
問題だ。

公と言う抽象的な単語でしかそれを表せないとすればそれまでのものと
言う事だが。(つまり実体を把握していないと言う事だ)

子供の侭で良い、と言う理屈はこの娑婆全体に蔓延している。
それが「社会」だの「良識」だのと言う実体の無いものに全ての
責任の根元を回帰しようとする行動に現れているのだ。ある意味
それは戦後民主主義そのものと言って良いかもしれん。

所謂「自分探し」の類にせよ、結局は「それ」に尽きる。それは
「現状維持の為の怠惰な自己肯定」であり、EOEってのは正にそれに
なったから「つまらん」と言っている。庵野の提示し、回帰しろと
言った「現実」とやらが非常に「戦後民主主義から派生した責任なき
高度資本主義社会」を匂わせるものであり、「余りに尼ちゃんな結論」
故「反吐が出る」と言ったのであり、(高度資本主義の理論は他人には
厳しいが自分には海女尼、と言うのが定番だったな 苦笑)その結果
こーゆー娑婆(FF)においておや、「戦後民主主義的自分探し」な
結論に甘んじて安心している様が「居心地が悪い」と言っている。

それは常に「怠惰で安楽な自己肯定」の為のものだったから。
それを「健全」と言う言葉で飾る事がつまらなかったからだ。

そして、言って置こうか。今現在「言葉」の世界で「周囲の価値観に
合せる」と言う行為は結局「戦後的『良識』と資本主義的怠惰を肯定
する」と言う行為に他ならない。世間でも、結構その傾向は在る。
実生活ならば「適当に合せて目的達成に漕ぎ着ける」のが筋だが・・・
言葉の世界でそんな真似をする奴は只の阿呆だ。

それが「居心地が悪い」と言う事であり、しかしながら人に強要する
様な事では無いが故に「自分のやり方」なのだ。

実際・・・結局最終的な所で「民主主義」そのものに対する葛藤が解決
した訳では無いが。

馬鹿話はこんなもんにしておこうか・・・


【名  前】まっこう
【タイトル】5.7の拳銃弾は知らなかった
  06/27 00:30
Mail: akagi-labo@NERV.TO
URL: http://www2k.biglobe.ne.jp/~penguin/rtop.html
【メッセージ】
 鯖氏へ

 さっそくのお返事ありがとう。で追加の質問ですが……

>要因は色々ありますね。ブレン・テン、デルタエリート等、あまり
評価が高くないモデルが突端に出てしまった事、

デルタエリートはどのあたりが悪かったのでしょうか?

>9パラも下手すると5.7に取って代わられるかも。(すでにハンドガンが出てます)

 どの様な弾丸ですか?NATOで標準化されています?


【名  前】鯖@さぼり
【タイトル】「ヲタク総括」の定番?
  06/27 00:25
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
庵野君もやりました。

「俺は御前等とは違うんだ!この腐れヲタク共が」

しかし。そのやり方は「果てしなく大人げなかった」事もまた事実・・・

魔王閣下は常々「馬鹿とディスカスするのは嫌いだ」「興味が無い」
を用いる。そして、その後の態度は正に「疲れるから嫌」と言うのに
徹している・・・本当に興味が無いのね、人事なのねぇ・・・

ちょっち寂しい時もあるけど(笑)

本当に興味が無いのと、『興味が無い振りをしたい』人を見分ける
のは結構簡単だ。大抵興味の在る奴は「しつこく繰り返す」事を
常とし、気の無い振りをしつつ巡回を繰り返してちゃんとレスを
付けてくれる。律義で丁寧なのは「敬意に値する」のかもしれないが。
一行レスだとしても、取り合ってはくれるのねん♪

あたしも相当大人げないし、良いとしこいてかなり餓鬼なのは言うまでも
無い(笑)・・・けど。

あんたもしっかり同類だよ(あはは)

何でそんなに気にするのかしらん。そーいや・・・某アイドルは登校した
らしいな(笑)大藪春彦が在学中にデビューした時はわざわざ違う学部
に見に行った人も居たと言うけど・・・賑やかねぇ。吉永小百合氏が在学
していた頃はどうだったのだと親父に聞くと「学内で一辺見掛けた事は
或る。でも二部だったからな」と言う事だったが・・・こんな騒ぎだったのか?

まー広末ファンな学生さん達はともかく・・・マスコミも識者とやらも暇な
事だ。そんな事を一々気にしたところで始まるまいに。(脳死移植にした
所でマスコミ浮かれすぎ、と言われとるに)

防衛反応なのかもしれないな♪或る異は「自己弁護」か。

まうー。


【名  前】鯖@さぼり
【タイトル】硬派論?
  06/26 23:58
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
流石愛夫号氏・・・いろんなもの探してこられますねぇ(感心)

土方トシゾウ(昔マカロニほうれん荘にヒザカタトシゾウって
居ましたね)でっか・・・まぁ「不満が或る」のは良く解るが。

しかして、結局どーすべきだ、と人様に言った所でしょうがない。
魔王閣下流に「〜は阿呆だ・その理由は云々」としか言いようが無い。

別に「妹募集」(して何をするのかしらん?)でも良いのではなかろうか。

元々「硬派」なんてものは一つの「理想としての幻想」な訳だしね・・・
状態を表すものであるから「俺は硬派だ」「あの人は硬派」と言う事
自体は全く無意味ですわん。どーでも良い様な事に文句を付けるのに
一々持ち出す様なもんじゃ無い(笑)それは「美意識」の領域だろうから。

只ね。矢張り一般に「硬派」と呼ばれる類の理念や様式美ってものには
価値が在ると思うし好きではありますが。

「硬派」な理念を持ったり、(喧伝するような事では無いし、それは
アイデンテイティの支えにする様なもんではないけどね 苦笑 一つの
理念とかイデオロギーを追求した結果『硬派』な状態に居るんであって
『硬派な状態を作る』事自体が目的じゃないのねん♪)結果的にそういう
スタンスに立つ事自体は別段揶揄されるような事じゃ無いとは思いますが。

一々姐ーちゃん(自分の事であれ人事であれ)がらみでどーのこーの言う
事は決して美しい事では無いが(だから恋愛論ってのは本質的にカッコウ良い
もんじゃ無いのよう 笑)

しのはさん

『抵抗』っすか。カウンターカルチャー(対抗文化)と言う言い方をした
のはそれが『本流になる気が無いもの』という意味ですね。例えば・・・
えげれすにおいて労働党であれ保守党であれ野党となった側はシャドウキャビネット
を編成し、その時が来れば直ちに「政権を取る用意が或る」と言う風に
してあります。これは「反主流」であっても『本流』としての存在である
事は間違い無い。所が・・・所謂「対抗文化」というのは「非難はしても自分が
社会を維持していく積もりは毛頭無い」存在と言えると思います。

大人は汚い・大人の理論は残酷だ、と言う事に留まり、或るいはそれを
否定する為に「理想化された大人」を設定すると言うのは結局「現行の
大人の理論」に対して「いやいや」をしているだけであって、「本気で
全権を簒奪するつもりがない・そんなら俺がやってやる、自分のやり方で
それを支えて見せる」と言うものが感じられない・・・

それじゃー何時までたっても同じなんじゃねーの?と言う意味ですわん。

まぁ、それやろうとすれば「奇麗事」じゃ絶対に済まないし、やってみれば
「大人の側の論理」の理由とか「こういう事だったのか・・・」てのが始めて
見えてくると、ね。奇麗事を基準に非難していられる内は「卑怯者」の
枠は出ませんわね。

そういう様な感じです(笑)

オリジナリティ云々

・・・基本的に不毛な議論だ(苦笑)いっその事「新しい言語」でも
創設してやってみるか?てな所まで行くでしょ、んな事やってたら。

魔王閣下はそういう知的領域に関わる娑婆の人だから、或る程度
明確なポリシーをもってるってのは解る。

んでもって・・・起承転結の結ね(苦笑)スクラップブックみたいに
「おもちゃ箱ひっくり返した」シロモノに・・・本体に連なる結だけ
求める事が本道なんてのも「単なる偏執狂のマニアックなこだわり」
だと思うけどね・・・

自分が納得するものってのは人に拠って色々在るとは思う。けびんさん
が「補完」に拘るのも又欲求として自然なものなんでしょう。あたしは
そう思ってるけど。(只、多分自分の領域とダブる部分が在るから評論
だのなんだののネタになる訳ね。)

只…こういう娑婆にも「自分のスタンスを固める」のに一々人の言動と
比較しなけりゃ自信が持てない人間も居るのかもしれん(苦笑)

例えば「どうでも良い」と本人が言っている筈の事に一々「無関心な振り
をして首を突っ込む」坊やとかね。気になってしょうがないから「首を
突っ込む」んだろうに(あはは)撤収すると言いつつ「気になってしょうがない
から一々覗きに来て、気の無い振りをしながら『俺は違うんだぜ』をやって
見せる。

子供心に敬礼。

まうー。


【名  前】HIROSHI@前回の書き込み削除しておきました。
【タイトル】ん〜盛り上がってますね。私は、いつもながら、一人浮いた事ばかりやってますが…。
  06/26 23:14
Mail: n-eno@mtd.biglobe.ne.jp
URL:
【メッセージ】
しもじさん、ご指摘ありがとうございます。
本当に、私の様に自分の衝動・欲望に忠実な人間には、ちょっとしたアドバイスが
非常に助かります。

前回の私の書き込み、色々と問題ありですね(汗)。
先のHP、特にマズいですね…。仮名か何かでなかったならば、この様な不特定多
数が参加する公の空間にそれを載せるのは、問題でしょうし…。
その旨、私も煽ってしまったかもしれない責任上、HP管理者様にもお伝えしてお
きました。
(これで、あの自由奔放な妄想炸裂具合がもしかすると薄れてしまうとすれば、非
 常に勿体無くもありますが…(^^;)

それと、私もこの妄想炸裂具合が凄く好きなので、お礼頂けるのも嬉しく存じます
…が…また何とも複雑な気分でもあります(汗)…。
だからこそ、それ以上に、きちんとしたご指摘を頂けたこと、有難いです。
 
 

…と、何となく、大げさな言葉というか、中身ですが…

それでは。


【名  前】くわたろ
【タイトル】桃園の誓は羅貫中の三国志演義が初出だったような
  06/26 23:05
Mail: kuwataro@speed.co.jp
URL: http://www.speed.co.jp/kuwataro/junk/index.html
【メッセージ】

○オリジナリティ

という話はどういういきさつで出てきたんでしょ。芸術論?

つっこめそうな部分だけつっこむと、BLEADさんのいわれた三国志。
陳寿には陳寿なりの、羅貫中には羅貫中なりの、吉川英治には吉川英治なりの、他にも色々な人の書いたそのヴァージョンの三国志なりの、オリジナルな創作部分があって先人へのリスペクトをはらった上で下敷きにしている部分があって、そういうの全部ひっくるめて、アレは面白いの面白くないのという話を、フツーはすると思います。
時系列上では最初に書かれた陳寿の三国志も、これは史書として書かれたものですけど、それ以前の諸々の史書を意識した部分は当然あるわけで、そういう点では独創性を問えないでもないです。

で、数え切れないくらい出てネタとしては手垢にまみれたようでもある三国志、ではこれ以上「三国志」と題した文章を書くことに文芸的な価値は無いかといわれると、有る、と私はいいたいです。
理由は、VIA MEDIAさんのいわれた、『「エンタテインメント」として面白いか否か』を借りれば、『「三国志」として面白いか否か』。この追究はそんな簡単に尽くされるもではないし、生み出される作品にも、パクリと切るには惜しいものもあるはずです。

もちろん『「三国志」として』なんて限定つけなくてもいいですけど、あえて曹操とか劉備とかイメージ出来上がったキャラクター使って物語る以上、まず第一に『「三国志」として』の評価は免れないでしょう。そこを逃げずに『「三国志」としてのオリジナリティ』(矛盾してますか? (^^;)を出したものは面白いですし、そういったものは逆に『「三国志」として』の限定とっぱらっても面白い作品となりうるんじゃないかと、そんなところです。
 

さてエヴァFFでは、ですが……、自作を省みるに“言ったら負け”って気がするんですけど、あえて負けてみます。(^^;;;

キャラとか設定とか一部なりとも借りて話を作るんだから、当然その分ラクです。そこでオリジナリティ云々しても小さな話。
ただ、借りてくる以上、そこから制限も付くわけです。そんでもって、その制限をあっといわせる解釈で乗り越えてくれるようなFFは、面白いですね、私にとって。
そういう話を、エヴァに興味が無くなる前に書いてみたいな、と。そんなところ。
 
 

以下、私信

齊藤りゅうさん

「雨の記憶」完結おめでとうございます、といいたいのですが、最終話が Not Found になっちゃってますよう、あうあう。


【名  前】VIA MEDIA
【タイトル】お前百まで俺九十九まで、共に白髪の生えるまで(絨毯爆撃笑)。
  06/26 19:02
Mail: slc31551@biglobe.ne.jp
URL: http://www2s.biglobe.ne.jp/~viamedia/
【メッセージ】
 しのば 殿
 

>>横レス失礼。
>> >開き直ったガイナックスがnary氏に接触して「Genesis Q 」をアニメ化してくれ
>> >たら「(絨毯爆撃笑)」ものなんですが・・・(^^;) 。
>> 座布団一枚!(●^o^●)

 これは「オリジナティ」の問題にも若干関わっとります(^^;) 。要するに、「ゲ
ージツ性」がどーだ、「イボジナリテイ」がどーだ、なんぞと言う「青臭い、ナイ
ーブな議論」を乗り越えて、「おっ、このSSをアニメ化したら売れるぞ。金にな
る」と割り切るだけの度胸がガイナックスにありゃ、「プロ」として「そーとー」
なもんだ、と言う事が言いたい訳なんですよ(^^;) 。

 +  +  +  +  +  +  +  +  +  +  +  +  

 時に、余談ながら「病んだキャラの性格の矯正論」について私見を少々。

>> >時に思う・・・病んだキャラクターを「矯正」して「娑婆の規格に合わせてやる」
>> >事が補完なのか?と。病気の奴には病気なりの「面白い人生がある」事とか、
>> >
>> それそれ。それです。(●^o^●)
>> なんか、これで納得しちゃってます。
>> #いや、別にけびんさんに反対してる訳じゃないっす。
>> #あれはあれで楽しんだのだし、ワシ。

 私に言わせれば、この「補完論」は全く「どーでもえー」議論なんですな。

 要するに、

   「補完に至るストーリーが面白いか面白くないか」、

または、

   「補完を拒否するに至るストーリーが面白いか面白くないか」、

だけなんですよ。キャラが可哀相だとかそんな事は「どーでもえー」事なんですわ。
私にとっては。

 何故かと言うと、「キャラの性格」なんてものは、所詮、「作者の性格」でしか
ない訳でして、そんなものに感情移入してのめり込み、例えば、

   「監督の妄想でしかない『女の子』に自分の理想の女性像を投影する」

なんぞと言う行為は、私にとっては「気持ち悪い」以外の何物でもないんです。

 私がエヴァSSに求め、自分でも追及しているのは、基本的に物語に要求される
「起承転結」の「結」の部分を描いていないエヴァ本編及びEOEを「ストーリー
的に完結させる事」だけです。

 だから、「学園エヴァ」にも、「本編再構築」にも興味がない。ましてや「キャ
ラ論」なんぞは、私にとっては「異次元世界の出来事」でしかないんですな。

                                VIA MEDIA

 全くの私見ながら、エヴァキャラ論をあれこれやっているのは、私からは、

   「『公』の中における『自己』を確立していない『子供』がいる。そいつは、
    本音では『大人』になりたいのだがどうしてもなれない。それで、『子供
    のままでいてもいい』と言う『お墨付き』が欲しいためにあれこれ『理屈』
    をこねている」

としか見えませんな。


【名  前】しのぱ
【タイトル】意味意図不明者再来
  06/26 14:34
Mail: shinobo@leo.bekkoame.ne.jp
URL:
【メッセージ】
って開き直ってどうする。
私の場合、意味意図不毛(@_@)。

う〜ん?(@_@)。
どうも、苦手な議論が展開されつつあるようで、私はどうしようかな、と
二の足踏む思いです。

取り敢えず、レスから。

> けびんさん
 「成長否定論」ではありません、「成長不信論」です。
 それに論とつけながら、実は「気分」です。
 
 ところでまだ本論始まってないようなので傍観(ごめん!)

> 鯖さん
 >時に思う・・・病んだキャラクターを「矯正」して「娑婆の規格に合わせてやる」
 >事が補完なのか?と。病気の奴には病気なりの「面白い人生がある」事とか、
 >
 それそれ。それです。(●^o^●)
 なんか、これで納得しちゃってます。
 #いや、別にけびんさんに反対してる訳じゃないっす。
 #あれはあれで楽しんだのだし、ワシ。

 >「子供」の側に居るシンジ(アスカも)
 >、両者の橋渡しの上に居たレイ、と言う構図が見えてくるのではないか、
 φ(@_@) ふむふむ。
 もっとも、私、見たのが97年夏の一挙再放送とそれが終わった直後のEOEで、
 僅か数日の間に全編詰めこんだというせいでしょうか、そう言う構図の当て
 嵌め(失礼)は、ちょっち印象薄かったですね(それを破綻と言ってるのね)。
 どっちかというと鵜飼の鵜にされてたみたいな(こりゃ殺されるなm(_ _)m)

 >多分、大人の倫理に子供が抑圧される・・・と言う見方だけに
 >囚われている内は『納得できない』という感覚が在って、その
 >「結局はカウンターカルチャーでしか有り得ない」と言う部分が
 >抵抗、なんじゃ無いかと思いますが・・・汗
 えっと、この文章よく分からなかった、ごめん。
 なんとなく、最後の抵抗っつーところに、ひょっとして同じもの見てる人かな
 という、感じしてるけど(我田引水論法)。

 一応、「大人の倫理に子供が抑圧される」は
 「大人の無根拠のあるいは空虚な倫理に子供が抑圧される」とパラフレーズ
 して、その過程を「内面化しちゃった子供」の話というのが、私の印象でしたね。
 #「大人」「子供」と慣用的に使われている語義の範囲を出ていませんので、
 #大人とは、とか子供とは、と言う議論する用意無いんですけどね、本当は。

> うらかみさ〜ん
 う〜、締切が怖いよ〜(@_@)
 進んでますぅ?。
 #また私信しちゃった。

> VIA MEDIAさん
 横レス失礼。
 >開き直ったガイナックスがnary氏に接触して「Genesis Q 」をアニメ化してくれ
 >たら「(絨毯爆撃笑)」ものなんですが・・・(^^;) 。
 座布団一枚!(●^o^●)

> それにしてもMEGURU氏発言

 私には苦手な議論ですねぇ。
 
 MEGURU氏の日頃の論からそのまま出てきそうにも見えるのだけれど、
 違和感を感じる語調・・・

 で、かの発言の中で、「許される」とされた行為を見てみると・・・
 1).過去の作品に学ぶ:これは無条件に肯定的のようです。
 2).手法・キャラクター・プロット・背景などの一部を借りて別の話を作る。
 3).作品を検証した結果鋭い批判を加える。
 となっていますね。

 之に対して論難されているのは
 ・作品に関知しない続編を作られたり、改竄されたりする
 という行為の様ですね。

 このうち、改竄と2)との差異が私には良く分かりませんでした。
 敢えて推測すると、2)は1)類似の行為の場合肯定される、と読めない事も
 無い。

 逆に「作品に関知しない」とは、FFの場合、確実に原作者は関知していな
 いのでそうなると、FFの内、「続編もの」は全て論難されていることにな
 ります。

 この布置の中で見ると、2)が肯定されて続編が論難される論拠となると、
 「オリジナリティ」よりも「相手の領域に踏み込まない」という当為の論
 のようにも見えます。
 オリジナリティの話は、むしろ、2)が肯定される限定的条件を言うための
 論拠として使用されているようです。

 ここで、私は?になってしまうのです。
 「続編」と1)類似の限定を付けた2)との、「相手の領域に踏み込む・踏み
 込まない」の観点での差異がようわからんのです。
 まさか作者の意図とは言わないでしょう。作品から弁別できる特徴がある、
 と言う事なのだと思いますが。

 と言うわけで、私には分からない話なので反論も賛成も?な状況です。
 こんなバカ者なので私はこの方面での議論はパス( (( (ヾ(;^^)/

 これにたいして、最早氏の言説の文脈から離れて、この問題提起面白いな、
 と思いました。

 オリジナリティ云々ですが、オリジナリティ神話の嘘だとか、
 作者性の幻想だとか、80年代ニューアカやらポストモダンやらで
 解体されまくった概念なので、恐らくその線で反論は幾らでも出て来る
 でしょう。ほんと、この道はいつか来た道。
 著作権も、実は投資保護法なのだ、とか、厚生経済学的には「権利」は
 システム的に許容されない不効率だ、とか、まぁ、これも周知の論でしょ
 う。

 とは言え、じゃ「オリジナリティ大事じゃないのか」と言われると、
 大事でしょ、とか、人の領域にずかずか入り込んで恥ずかしくないんか、
 と言われれば、そりゃそうだ、とか。
 MEGURU氏テーゼの世界に少なくとも片足はコミットしてるように思います。
 少なくとも私はそう。
 #えーっとここではMEGURU氏テーゼを、他人の作品のパロディ乃至続編
 #全般はオリジナリティと作者の領域への侵犯である、としておきます。
 例え、理屈の上では嘘だと聞かされても、生活の実感としてはもう、
 コミットしちゃってる。

 そうなると、私は内面化されたテーゼ(この場合、MEGURU氏テーゼのよう
 なもの)と矛盾した、あるいは調整されない行為をしているのか、あるい
 は調整項を持っているのか、という問題になりますよね。
 適宜、テーゼに対する反論を適用し、別のときはテーゼをそのままコミット
 し、ではそれこそ機会主義者ということになる。
 さぁ、お前は一体どうなんだ?、と言う問題だとすれば、これは非常に
 面白い。
 一人の人間の抱いている当為が無矛盾なんてこたぁない、てな当り前で
 はありますが。
 
 で、この問題に限らず、こうした表層で既に矛盾する言説と行為を為し
 て、気が付かないうちに機会主義者になってる、なんて事他にも一杯
 ありそですよね。


【名  前】VIA MEDIA
【タイトル】ある妄想
  06/26 12:04
Mail: slc31551@biglobe.ne.jp
URL: http://www2s.biglobe.ne.jp/~viamedia/
【メッセージ】
 BLEAD 殿

>> ガ・ガンダム(初代)もマジンガー?

 いや、実はそれに類するんですな。もっと細かく言うと、ガンダムはゲッターロ
ボとかコンバトラーVなんかと同じようなアイデアと言ってもいいでしょうな。た
だ、ガンダムがこれらのロボットと根本的に違うのは、ガンダムは「魔神」ではな
く、「兵器」だった、と言う事です。富野作品でエヴァと似ているのはイデオンで
す(で、エヴァの後、まるっきりそれに対抗するために作ったブレンパワードなん
ですが、スタッフの「思い切り」が足りなかったため、中途半端な結末になってし
まったのは御存知の通り。余談ながら、この所見ていませんが、DUALはどうな
ったんざんしょ)。まあ、この話はこの程度にしておきましょう。
 

>> ところで、マジンサーガに一々反応した理由ですが、ちょいと一冊だけ読んだ
>>んですよ、アレ…でもそん時じぇんじぇんエヴァとダブらなかったからちょいと
>>「?」だったんで。

 いや、その通りです。マジンサーガに関しては、ストーリー的にはまるっきりエ
ヴァとは違うでしょう。つまり、「著作権の発生しない、アイデアの部分」をパク
った所がミソなんですな。

 私見では、エヴァのエヴァたる所は、「ストーリーが完全に空虚である」と言う
事です。私は、「これが人類の存亡を賭けた戦いなのか?」と言う感想しか持ち得
ませんでしたね。

 デビルマンにせよ、マジンサーガにせよ、ゲッターロボにせよ、演出的に苦笑す
る部分は結構ありますが、それでも一応、「『人類』対『その敵』」を描いている
んですが、エヴァにはそれを感じない。正確に言うと、第六話までのエヴァにはそ
れがあったのですが、それ以降はシンジを中心とするキャラの内面を描く事のみに
集中している訳です。強いて言えば、それが「オリジナリティ」と言えば言えるの
かも知れません。

 で、本論たるエヴァSSのオリジナリティなんですが、これはしもじ殿がいみじ
くも仰ったように、

//////////////////////////////////////////////////////////////////////////
>>絶対に『根本的にオリジナル』なFFだけはあり得ない。
>>
>>完全オリジナルなファンフィクションとは意味不明であり矛盾している。
>>
>>オリジナリティを至上とする芸術とファンフィクションとしてのパロディを
>>同列に扱うのは何か間違ってる。
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////

なんですよ。

 私としては、前述したように、「オリジナリティ」なんかどうだっていいんです。
「エンタテインメント」として面白いか否か、その一点ですな。

 ですから、著作権を侵害しない限り、もっと言いますと、ガイナックスが「ファ
ン活動としてのエヴァ関連創作」を一定の範囲で認めている以上(これほど多くの
同人マンガやネットエヴァSSが存在していながら、ガイナックスがそれに対して
何らかの対抗措置を執ったと言う事実が存在しない以上、黙認していると解釈する
しかない)、

  「エヴァSSは『ファン活動の一環』としては『お構いなし』である」

と考えるしかないので、「芸術論」に踏み込むのは「ピント外れの議論」である、
と「私は」思っています。

                                VIA MEDIA

 余談:

 私の「原初の光」は、

  「エヴァの設定をパクった上、別キャラクターを設定し、本編に対するアンチ
   テーゼとしてのストーリーを構築した。そこにエヴァキャラを折り込む事に
   よって、『続編としての性格』を持たせた」

と言うものなので、「一般的な意味でのエヴァSS」とは多少違うと自負しており
ますが (^^;)。
 

 妄想:

 開き直ったガイナックスがnary氏に接触して「Genesis Q 」をアニメ化してくれ
たら「(絨毯爆撃笑)」ものなんですが・・・(^^;) 。


【名  前】BLEAD
【タイトル】もはや尽きた…
  06/26 09:51
Mail: blead@ky.xaxon.ne.jp
URL: http://www.ky.xaxon.ne.jp/~blead/
【メッセージ】
VIA MEDIAさん
 ふむふむ、了解了解。

>要するに、「巨大ロボット物」と言えば、結局は鉄人28号から一
>歩も出ないし、「人がロボットに搭乗する」と言えばマジンガーZに
>なってしまいます。私の言い方を以てすればね。

 ガ・ガンダム(初代)もマジンガー?
 等というのは揚げ足取りですが(苦笑)にゃるほど…言いたいことはわからんでも…
 ところで、マジンサーガに一々反応した理由ですが、ちょいと一冊だけ読んだんですよ、ア
レ…でもそん時じぇんじぇんエヴァとダブらなかったからちょいと「?」だったんで。
 しかも、読んだのはかなり途中の話でしたし(火星だかで闘っていた話)

> しかしそれをどうこう言いたい訳ではないのです。これほど「物語
>のネタ」が出尽くした現在において、「今までだれも描いた事のない、
>オリジナリティだけの作品」を求めるのはどだい無理だと思っていま
>す。

 前回の書き込みで「スキゾ・エヴァンゲリオン」「パラノ・エヴァンゲリオン」の二冊の本
を挙げていますが、この本でも同じ様なことを庵野総監督いっとりますから。気が向いたら読
んでみるのも一興です。
 俺としては「原型が詳しい人が疑いを持てる程度に砕いて、いくつも組み合わせて作り上げ
る」事が出来ればOKかと…要するに、他人の絵を使って貼り絵を作るって事。
 俺としてはMEGURUさんが書いていることをこう解釈しました、貼り絵の紙は人の絵であっ
てもその絵の構図や細部は…少なくとも「自分で考えた」と胸を張って言えるものっての。
 構図が似てる場合は周りから「パクり」呼ばわりされてしまうけど(苦笑)
 …本当に、物語の類型はできったんだろうか? 時々疑問に思いますが。

 ただまぁ…話がそのまんまだったら「パクり」と呼ばれるのは必然だと思いますけど。
 始めっから「ファン同人」だとか「二次創作」として書いているならともかく…
 うらかみさんが書いて居られるように…

>商業的にどこぞのメーカーがエヴァを勝手に作って「これが続編です」

 ってやったら「蹴り」もんです。
 顰蹙どころか社会的抹殺くらうべきでしょう、俺的に。
 ただまぁ…結局は…

>「オリジナルであろうとなかろうと、面白ければ勝ち。つまら
> なければ負け」

 に尽きてしまうのが味噌ですが。
 

 ……ん?
 「三国志」だとかの漫画版とか小説版を書いたりするのは…………パクリだろうか?
 分かりやすい例でジャンプでやってる封神演義はパクリか?
 ……あ、頭痛ぇ……


【名  前】しもじ
【タイトル】オリジナリティと芸術とファンフィクションとしてのパロディ
  06/26 06:03
Mail: HGA01077@nifty.ne.jp
URL:
【メッセージ】
MEGURU氏の発言が氏の目論見どおり物議をかもしている。これについ
て思ったことを私も少し。(って少しじゃないけど)

十年位前の事だろうか、日本でもパロディ裁判と俗称された件があったのを
覚えている。原告の写真家と被告のタイヤメーカーのどっちが勝ったのか、
あいにく覚えていないが、あの広告は実際、ある意味で創造性のある芸術と
言ってもいいんじゃないかと思った記憶がある。

根本的な所でオリジナリティが無いパロディは、創造性がなく芸術とは認め
られない、と言うのは極論だろう。良質のパロディは芸術と言ってさしつか
えないと思うし、そう言った作品展も現に開かれている。

もっと対象を広げオリジナリティと言う事に言及すれば、演出や解釈と称し
て劇や戯曲のアレンジは良く行われるが、これも芸術の範囲であろう。

>作者以外の人間がオリジナルを修正するというのは、小説、映画、絵画・・・・
>と、どの世界をとっても用意に許されることではない。

現実に許されておるし、認められてもいる。原作と全然異なる映画。劇団に
よって結構異なる演劇。指揮者やオーケストラによって微妙に異なる演奏。
Aoi氏が例としてあげられた編曲も含め、こういったモノをあげていけばキリ
がない。要するに、『根本的オリジナリティ』と創造性・芸術性は従属関係
にはない、と言うことだ。

ただ、勿論これはMEGURU氏の論の否定にはならない。単にMEGUR
U氏の意見を一般論と捉えて、その例外を挙げつらねて部分的な瑕疵を指摘
したに過ぎない(氏は瑕疵では無いと言われるかも知れないが)。

問題は、エヴァFFにオリジナリティがあるか、創造性があるか、芸術性が
あるか?と言う事なんだろう。個々に見ていけば、立派に文学的な作品もあ
るし、例外はあるにせよ、個々の作品には作者の個性とか創造性が反映され
ていると思う。が、絶対に『根本的にオリジナル』なFFだけはあり得ない。

完全オリジナルなファンフィクションとは意味不明であり矛盾している。

オリジナリティを至上とする芸術とファンフィクションとしてのパロディを
同列に扱うのは何か間違ってる。

さらに言えば、制作者、作品に敬意を持たずにファンフィクションは創作し
えない。FFを書いたと言う時点で、すでに敬意を表明しているのと同じ事
であろう。続編系はもとより、改変系FFにしても、可能性の追求と言う点
で立派なファン活動としての創作である(例外と思えるケースもあることは
あるが)と認められないのかしらん。

表現力の未熟さ、発想の貧困さ、それを臆さずに発表する羞恥心の欠如、な
どは、身に覚えがあるだけに突かれると痛い事ではある。が、ファン活動と
しての要件は満たしている。要するに、作品が好きだ、と言う事だ。
 
 

HIROSHIさん、こんにちわ。
面白い情報ありがとうございます。特に『漢』ネタ。笑える。
ホントに硬派の漢だったら、ぐだぐだ言わないんじゃね−の、と思うんだが。
ところで、この引用部分、掲示板か何かだと思うんですが、勝手に引用して
問題になったりしないんですかね。個人名とかでてきちゃってるし。
 
 

んでは


【名  前】VIA MEDIA
【タイトル】オリジナリティも芸術性もクソ食らえ(絨毯爆撃笑)!
  06/26 05:03
Mail: slc31551@biglobe.ne.jp
URL: http://www2s.biglobe.ne.jp/~viamedia/
【メッセージ】
 BLEAD 殿

>> MEGURUさんの書いてる範囲で見れば…あるけど?
>> それと、無理矢理こじつけすぎ。
>> マジンサーガ全部読んだ訳じゃないから言い切り難いけど。

 まあ、私の今回の発言の本旨は、「エヴァンゲリオンのオリジナリ
ティの有無」に関してストレートを投げる事ではないので、その件は
「見解の相違」とさせて戴きましょう。

 要するに、「巨大ロボット物」と言えば、結局は鉄人28号から一
歩も出ないし、「人がロボットに搭乗する」と言えばマジンガーZに
なってしまいます。私の言い方を以てすればね。

 しかしそれをどうこう言いたい訳ではないのです。これほど「物語
のネタ」が出尽くした現在において、「今までだれも描いた事のない、
オリジナリティだけの作品」を求めるのはどだい無理だと思っていま
す。

 だから、

  「設定はまるまるパクって、キャラクターの名前だけ変えれば
   オリジナルで、キャラクターの名前と性格を受け継いで話を
   書いたらオリジナルじゃない」

などと言う、「ナイーブ」な論法は嘲笑の対象となるだけなんですよ。
私にとっては。

 ドラスティックな言い方をすれば、

  「オリジナルであろうとなかろうと、面白ければ勝ち。つまら
   なければ負け」

なんです。私としたらね。

 世には、「シャーロック・ホームズ物語」のパスティーシュが沢山
ありますが、ストーリーの面白さ、と言う点で言えば、

  「ドイルのオリジナルの中のつまらないものに比較したら、ず
   っと面白いものがザラにある」

と言う「皮肉な現実」の前にはどんな屁理屈も説得力を持たないので
す。私には。

 要するに、私見では、

  「エンタテインメントは、面白いか面白くないか、だけ」

と言う事です。増してや、

  「『芸術』を標榜する作品が面白かったためしがない」

のですよ。私にとってはね (-_^)V 。

                      VIA MEDIA