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(ろぐ178)


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ここはわたくしフランソワが逃げた兄に代わり仕切っていた(過去形)掲示板ですわ。
大体何でも好きに書き込んで下さって構いませんわ。わたくしが気に入らない書き込みはプチ消しますけれどもね。ぷん。


【名  前】鯖@あーんど
【タイトル】一部れす。
  06/26 04:29
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
ごもっとも(汗)>あにき

りゅうさんが言われた様に・・・病んでいるからネタになる(苦笑)
キャラも病んでりゃ書いているあたしもどーしよーもねー人格破産者だ。

この歳まで「異物・異端者」の侭転がって来て、それでも自分としては
相当に気に入っている人生、これからも更に面白くしてやろうと碌でも
無い事を考えている様な阿呆だから・・・

今更「まとも」だの「健全」だの言われても全くピンと来ない。まるっきり
そんなのは異世界の話だ(わはは)

時に思う・・・病んだキャラクターを「矯正」して「娑婆の規格に合わせてやる」
事が補完なのか?と。病気の奴には病気なりの「面白い人生がある」事とか、
「常識」と「異常」のボーダーに乗ってる奴が「どちらかへ転がり落ちる」と
すればあたしなら確実に「異常」の側を選ぶ・・・とか。

異端者ってのは確かに「しんどい」(苦笑)楽になりたい、なんて泣き言も
勿論でる。けど・・・「あのつまらない常識の側」に居るよりこっちの方が
「楽しい」事は確かだ。しっくり来る。異物は必然的に排斥される。気を抜けば
「免疫機能」が働くのは無理からぬ事かもしれない。だから「異物」が生きてい
くには「常に世界と闘っていかなければならない」。それでも・・・あたしはそういう
人生の方が好きだ。まぁ・・・今更「あちら側」に行けって言われても行きようも
無いが。

あたしが庵野のEOEをくさすのも、一般的にLASがつまらないと感じるのも、
結局はそれらが「異常と常識の狭間に居る病んだ少年」、故に「生きるのが
つらい」少年を「楽な方へ」・・・「常識」の側へおっことす事こそに意義を
見出しているように見えるからだ。そーやって「枠に合せて、周りと同じ
様に皆に従って、楽に生きていく」のが楽しい?と。

今までの僕は病気だったんだ、ほら世界はこんなに明るいじゃないか・・・
などとやっぱり「思考停止」して「修羅場の中から何一つ学ばない」、
与えられた表面的な回答しか導き出せない坊やに、何の興味が湧くと言う
のか(苦笑)・・・眼にした大勢の人間の愛憎から、そんなものしか導き
だせなかったのか?お前はいったい何を背負っているのだ!?

Holy sick(聖なる病)・・・癲癇なんかの事をこう呼ぶが・・・病んでいる
奴には病んでいる奴の役割が在る(事も在る)。修羅場に投げ込まれた奴
には他の人間に出来ないものを負う責任が生じる事も在る。

辛い事はすべて「無かった事」にして(補完と言うのはそういう意味に
聞こえない事も無い)つまらない男として生きていて・・・楽しいか?いや・・・

それなら何の為にお前は「最後まで」、あんなに多くの真摯に生きた人達の
血の上に生かされた?義務が在るんだよ。その血と憎悪をお前は一生背負って
行くんだ。彼等の借りを一つでも返す為に。

しんどかろうね。しかし・・・それは意味の在る人生だ。からっぽの侭生きる
よりはね。それにすら思い至らない奴に・・・あたしは何の興味も無い。

それを放棄するという事は、少なくともあたしにとって「碇シンジという
キャラクターである」意味を喪失する、と言う事だ。何処にでも居るつまらない
餓鬼なら付き合うつもりは毛頭無い。

整理された何の脅威も無い日常の影には、いつも大量の、いろんな人達の
苦痛や怒りが積み重ねられていて・・・娑婆はその上に乗っている。関係ない、
そういってしまえばそれまでだ。が・・・一度その苦痛を「知って」しまえば
それを無視する事は出来なくなっていく。影の様にそれは付きまとう。知識
と理屈で「それでも世界は生る価値が在る」と言う人もあるかもしれない。
・・・その言葉に「馬鹿野郎!」とば声を浴びせる数多の死者・無念と怨みの
中でしか生きられない生者達が居る事を忘れ難い・・・贖罪などと甘い言葉を
口に出来る内は、何も解ってはいないのだ。理不尽だ?そのとうりだ。理屈で
動かぬ魂とは本来理不尽なものだ。

お為ごかしな「健全な生き方」なぞ糞食らえ。手の汚れた奴には、それなりの・・・
生き方と彼にしか得る事の出来ない「特権」が在るのだ(笑)目をつぶり、耳を
ふさいで「健全且つ平和に生きる」より、ありったけの憎悪と悲痛を知ってから
死にたい。何倍もの密度の喜びと哀しみを・・・

でんぱ。

まっこうさん

デルタ・エリート

10ミリ口径の普及しなかった訳ですか。一般に、10ミリ拳銃弾の
破壊力(初速と弾頭重量)は357マグナムとほぼ同等・・・と言われて
おりますが、もともとは9パラの「パワー不足」を克服し、なお且つ
その「速射性」を維持する事が目的だった・・・のですが・・・

要因は色々ありますね。ブレン・テン、デルタエリート等、あまり
評価が高くないモデルが突端に出てしまった事、9パラでもハイドラ
ショック・ワッズカッター等の弾頭の細工を用いれば殺傷力の向上が
容易に図れる事、現在のSOCOMの様に、パワー崇拝傾向の強いアメリカ
において「結局45口径に先祖帰りした」事・・・そしてS&Wの40口径
弾が同じクラスでMP5等の主要モデルに採用された事。

つまり・・・コンバットシューティング用に開発された、と言っても
従来種に対してさほどメリットが無かった事が敗因かと。

現在のNATO規格弾(308Win=7.62×51 223Rem=5.56×45
9ミリパラベラム)について

長いですからね・・・現行規格になって。今じゃ中距離狙撃用、
軽機銃用としてフルパワー扱いの308も、もともとは「ベイビー
ライフル弾」などと呼ばれた「30−06の小型化」だったのですが
(ガーランドからM14に変わった時採用)・・・223が登場して
いつしか「携行火器の主流」となり、今や世界中で22口径高速弾
が跋扈している。

等分の間は5.56が主流でしょうし、近未来においても現在のAK
シリーズ的に第三世界で長く使われつづける事になると思われます。
信頼性に関しても、ベト戦当時の初代M16の様な「燃焼速度の速い
火薬でなければトラブルを起こす」様なモデルはすでに殆ど無い
ですし・・・ゲリラ等であれば5.56でしょうか。

逆に・・・正規軍・警察は何れP90の様な5.7ミリ弾(カービンと拳銃弾
の中間だか高威力)や・・・それこそEVA本編で同じみ4.7ミリカートレス
弾(の実戦配備って結局何時になるのだろう?)みたいなもんはどんどん
出てくると思われます。これから益々近距離戦闘重視な方向へ行くで
しょうから(小火器は。重火器は長射程・高精度・システム化の二極分化
方向へ)マシンピストルみたいなもんが益々幅を利かせると言う見方も・・・

9パラも下手すると5.7に取って代わられるかも。(すでにハンドガンが
出てます)

とりあえず。


【名  前】鯖@うにゃ。
【タイトル】人格批判じゃないんですよう(しくしく)
  06/26 03:01
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
けんけんさん

〜にあるまじき、って訳じゃ無く・・・「迷惑やな〜」と思っただけ
なんですわ(汗)とばっちりがあっちこっちに行くかと見えたし・・・

特に当時はね。それが「嬉しくはない」が、かと言って「いけない」云々
と言う話ではないし、あれはキャラクター論(あんど本田論)であって
けんけんさん自身の事だけ指してる訳じゃないんですよう。

只ね・・・どういう成り行きであろうが「思った事ははっきり言う」事は
大事だと思う訳ですね。矢張り・・・

ある作品に「素晴らしい」とか「凄く共感しました」とか感想を送る
人には多分「なんじゃこりゃ?」と思っている人が居る事、その人が
何を考えていたか、なんて事は「その事実を突き付けるまで解らない」
だろうし、ノリやすい人なら「これが『真実』なんだ」とかそういう
事を言い出しちゃう訳ですね。多面性とか「視点の違い」なんて事まで
思い至らない侭、別の所で色々言い出す人も居る。

だから「変だ」「ここが気に入らない」と言う場合は歯に衣着せず
はっきり言う。『貴方の意見は全てではない。私はこう思うがどうか?』
とね。

けんけんさんの論も又しばしば「気に入らない」作品とかに対して
「唾棄すべきモノ」と言う態度で望んでいる事がやっぱり在る。
まぁ、好き嫌いそのものは仕方ない事ですが。あえてそういう人が
「嫌がるだろう」発言を狙ってやっている時も在るでしょ(笑)

・・・その人達に別に悪意が在る訳では全く無い時に。「下らない奴等だ」
と言う態度を陰に採る(笑)あたしは過激尼LASだろうがなんだろうが
「何らの悪意無く書かれた作品」に対する執拗な攻撃はあまり好きでは
無い(故に、LAS嫌いと言う意味では立場を同じくするAL氏の発言に
あえて反発・挑発した)し、(故に所謂「尼モノ」を純粋に追求している
作品に関しては種類を問わず批判・苦言の類は呈する積もりは無い。優れて
居ると思えば口にしますけどね。ハード系シリアス作品は・・・そりゃ批評を
受けてなんぼ、でしょ。)

愛情とかからあえて「諸々の辛い要素」を一時忘れて心暖まる・・・てな
趣旨のものに一々突っ込みを入れる理由は無いし。まぁ「それ一色に
しようとする」と言うような「活動」が作品の外に在るとすればその行動
自体は問題ですけどね・・・

おとぎ話(優れた童話作品が硬派な純文学に劣る、と主張して鼻高々
なような事を言うのならばそういう批評家は脳外科の予約をした方が
良い)と赤裸々な文学を比較して自我を保つ事も愚かならば、その
純文学の露骨さを嫌って「全ての書物を絵本にしよう」とする行為
も又「正気の沙汰ではない」・・・

それがごちゃごちゃになってるでしょ・・・FFに関しちゃ。

AL氏やけんけんさん(は露骨ではないにしても)は「良い歳を
して絵本なぞ」と怒ったり嘲笑ったりする。余り賢い行動には
あたしには見えない。

けんけんさんも「〜する位なら認めてやるよ」的ニュアンスの発言
を時々するでしょ?あたし自身は「ハード路線志向のジャンキー
野郎」故に「けんけんさんの欲求」そのものは勉強になる。あー、
そうすりゃ中々ハードな方向へ行くよな、シビアだね。良いね・・・と。

けど、まぁそれを「一般論」的ニュアンスで語られるとあたしも突っ込み
を入れざるを得ない(苦笑)言っちゃいけないと言う訳じゃありません。

只・・・そういうネタのやり取りは「危ないゲーム」です。人格批判を恐れる
人間は「ハードな作品」とか「その路線に纏わる批評」をしない方が良い。
文芸ってのは「弱肉強食」なんだから(あはは)

人格の弱い奴から潰れてきます(断言)だからこそ面白いんだし。
勿論腹を見せるようなら容赦無くかぶりつきますぜ?(笑)

あんなもんは「人格批判」の内には入りません(再度断言)

人の領域に踏み込まない、と言う魔王閣下の「敬意」論は一般社会に
おいては正に正論。が・・・

メディアの中でフィクションを発表すると言う行為は「タオルの無い
リング」に上がるのと同じ。口惜しければ反撃して相手が潰れるまで
闘うのが筋。一般通念上「一々そんな事をせずに一般社会と同じルール
で行く」べきモノも多々在るけれど・・・「シビアにやりたい・そのつもりだ」
と言うのであれば「ルールなどと言ううざいものは捨てた方が良い」でしょ。
その程度で価値を失うようなものは「芸術」などと名乗る資格は無い。

道を志すものが遣り合うのに「敬意」などは不要。
魔王閣下にしちゃ「尼ちゃん過ぎ」ですな。

まぁ「尼いのが一番」な人が「そうでないもの」を攻撃するのも、
又「硬派文学」な人が「尼い」ものを差別するのも筋違い。

特に「硬派」は意見の違いは「硬派同士の真剣勝負」でケリを
付けるのが筋かと(作品or論文)そして・・・無論その場合、喧嘩を
売られた人は「無礼・非常識」等のセリフで逃げるべきでは無い
でしょうな。そんな事する奴は「器が知れている」。

ハード・シリアス系を書くという事は「刀を腰に帯びる」のと同じ
様なもの(『凶器』を見せたと言う意味において)。丸腰の人間を
斬ったりしてはならないし、『剣客』である以上は『如何なる勝負も
受けて立つ』覚悟位は必要・・・じゃねーかしらん。刀を下げていながら
『浅野乱心じゃ!』と泣き言かましながら逃げ回る吉良上野介では
なさけない。

作品上におけるけんけんさんの「二の太刀」に期待(わくわく)
腕の立つ剣客と見込んだから「仕掛けた」んですから♪

次は・・・「御命頂戴」級を狙うかも(をい!)

庵野が駄目だ、つーのは「泣き言かまして逃げたから」ですわん。
フィルムを枕に討死にする覚悟がねーんだもん。尼ちゃん、よ。

んなやつぁ「ペンやメガホンを取るものとして失格」!

とりあえず。


【名  前】齊藤りゅう
【タイトル】相変わらずの脊髄反射。
  06/26 02:23
Mail: ryu1@imasy.or.jp
URL: http://www.imasy.or.jp/~ryu1
【メッセージ】
けびんさん
はじめまして。めぞんではお隣さんということで、どうぞよしなに。

さて。
ここでの書込みで興味が出てきたので、「二人の補完」を最初から読み直して見た。
実は以前にも途中(確か惣流某が帰国したあたり)から読んでメゲたことがあって、そのままになっていたのだが。
で、未だ最初の数話しか読んでいないので、ここで感想を付けるのは本当はよろしくないのだが、読み終わる前に話題の方が終ってしまいそうなので。
 
 

大変申し訳ないのだが、あまりいい印象を持てずにいる。
以前読んだときと全く同じ感想なのだが、率直に云うとなんだが落ち着かないのだ。
多分原因は、登場人物たちに葛藤と妥協が無いように見えてしまうせいだと思う。
誰もが自分の正しいと信じることを目指してまっしぐらで、その目標が間違っているかもしれない、などという迷いが微塵もない。例え迷っても、周囲の人間の適格なアドバイスで見事に迷いをふっきってしまう。
それはそれで価値観が明確で大変よろしいことなのだろうが、そういう人が目の前に居たら私のようにいい加減な人間はきっと避けて通りたくなること請け合いだ。
登場人物の誰もが、私を掴まえて「XXXは何があってもXXXされるべきなのだ」とか云い出しそうだからだ。ヘタに口答えすると一晩中説教をされるかもしれない。
あるいはそれが「補完されている」ということなのかも知れぬ。だとすると、私にとっては大変気味が悪い。
 

一番困っているのは、これはきっと先入観もあるのだろうが、「碇少年と惣流嬢が結ばれることこそ絶対的真実なのだっ」というけびんさんの主張が底見えてしまって、そんなことははっきり云ってどうでもいいと思っている私にとっては、入り込んでいく余地をふさがれているように感じて相当鼻につく。
おかげで物語でなくて、まるで論文を読んでいるみたいな気になってきてしまった。

という具合に、イタイとかカユイとかストーリーを追うとか、そういう以前になんだか入って行けない。読むのに大変苦戦している。
読み進めるうちにもう少し違う感想が出てくることを期待したいものだが、はてさてどうなることやら。
 

少し技術的な話をしよう。これは純粋に創作作業上のテクニックの話だ。

以前にどこかで書いたと思ったが、小説は最初の20行で決まる。まぁ当作品の場合、全体の長さからして第一話か二話くらいまで大目に見るとしても、そこで読者を(今回の場合私を)引き込めなければ作品としては半分失敗している。

創作とは自分の中の畸形に歪んだ部分を映し出す行為に他ならない。そこに映し出されてくるものは、自分自身の弱みであり負い目でありコンプレックスである。
だが、当作品は少々イイコチャン過ぎるようだ。なんだか類型的な建前ばかり並んでいて、あまり面白みが無い。その一方で主張だけはやけに明確で押しつけがましい印象すらある。
「決して自分の心を偽ることなく」というのは大変結構なことだが、それをナマのまま読者にぶつけても効果的ではない。ナマの感情を受け入れられる人間はそう多くはない。大半の読者が引いてしまう。自分が逆の立場だったらどう思うかを考えてみれば想像がつくと思う。

「自分が病んでいる」という自覚があるのなら、その自覚を腹に溜めてもう一段階くらい客観化して「へへっ。俺ってバカだよな」と云うくらいにしてから文章にした方が、かえってまっすぐに伝わることが多い。
「自分を笑え。その笑っている自分を楽しめ。そしてそれを絶対表に出すな」というのは、一般に小劇場と呼ばれているジャンルの芝居で使われる手法の一つだが、文章表現でもなかなか役に立つ。抑えた方が感情というのはより伝わるものだ。

病んでいる人間の方が実は創作の中では人間としてより魅力的だ。エヴァのキャラクタの魅力も同じところにあると私は思っている。
だから「自分は病んでいる」と云えてしまうけびんさんなら、きっと面白いものなるだろう。

今後に期待する。


【名  前】うらかみ
【タイトル】お久しぶりです。いまさら二作品の感想です。
  06/26 01:56
Mail: plumeria@ss.iij4u.or.jp
URL:
【メッセージ】
エヴァのSS・FFは、たかが同人誌なんだから、ってのが私の持論
ではある。
どんなに原作を愛し、原作者以上の力量をもった人間が、続きを書い
ても、サイドストーリーを書いても、それが本物にならないことは書
いてる方も読んでる方もわかりきってることだ。
しょせんパチもん、バッタもん。それが楽しい、あくまでもファンが
やってる活動が、いわゆる同人誌ってやつなんだから。

商業的にどこぞのメーカーがエヴァを勝手に作って「これが続編です」

ってやったらトンデモないことだけど、、、
同人誌の活動ってそういうんじゃないからねえ。まあ、今は厳しく
なってしまったところもあるけれども。

ま、それは置いといて。
 

私なりの「二人の補完」と「ある神話」に対する感想を、書いてみた
くなったので書きます。
 

「ある神話」(主に、本編)
すごい話。
なにがすごいって、いきなりシンジがおじいちゃんなんだもん。
それも死にかけの(笑)。
LASな話のほとんどが、いかにしてEOE後の二人を、くっつけた
り幸せにしたりするかってことに終始している中で、これはもう最初
から夢も希望もない。
いや、夢も希望もあるのかも知れないけれど、とにかくシンジが「い
わゆる幸せ」な人生を送ってこなかったこと、で多分そのまま死んで
しまうことが明示されてれる。
読者は、最初が絶望的な所から始まってる分、何らかの救いが待って
いるのではないかと希望をもって読んでしまう。
でも、結局二人は会わないまま終わる。
暗い、暗すぎる。。。。

私はやっぱり、せつこさんと同じに、会いたい人がいたらガマンでき
ずに会いに行ってしまう話の方がタイプだし、好きな人とは若いうち
から(せめて40才までくらいかねえ)一緒になって、いっぱいキス
してセックスして、(出来れば子供とかも作って、楽しくくらしまし
たとさあ、となるとドラマでもなんでもなくなるところが悲しいが(笑))
どちらかといえばそういう話の方が健全だよな、とは思う。
だがしかし。

だがしかし、この話はそういうの、どうでもいいよ。
だってさ、いきなりシンジったらじーちゃんで、きっとアスカもよ
ぼよぼのばーさんなのよ。
14才から一気に御臨終よ?
書けない、普通、絶対書けない。凡人には(笑)(しのぱさん、失礼(笑))
 

十年たって、思い出す。
きっと他のお気に入りだったはずの話のほとんどは、あらすじを思い
出せないに違いない。
でも、この話は絶対に覚えてると思う。
「そうそう、シンジがおじいちゃんで、そんでアスカは世界総裁に
なってて、でも結局二人は会わないまま終わるんだよねえ」
「で、最後は確か同じお墓に入るんじゃなかったけ?」
「いやあ、暗い話だったよねえ・・・」
それってすごいことだ。
短い話なのに、すごいインパクトがある。読んだら絶対忘れない、
他の話とごっちゃになることもない。

っていうか、好きキライはともかくとして、こんな話、いったい他に
誰が書くっていうの?ってとこが、最大の評価ポイントです。

もちろん、私はこの話は大好きです。
しかし、好きなのは本編だけなんですけど(笑)。
(続きはホントに暗すぎて・・・読んでますけど、もちろん)
 
 

「二人の補完」
すみません、あんまり好きな話じゃないかも。。。

(以下、これはもう、私の好みなですが)

惜しいなーと思うのが、すべてのキャラクターに介入する作者の視点。

何かことが起こるごとに、みんなが自分の動機や心情や何もかもを
説明する。地文、モノローグ、セリフ、行動、すべてを使って。

こういう小説って、シンジならシンジ、アスカならアスカ、と一人に
視点を絞った方が、いいのになー、と思います。
(せめて一話ごとには)
そうでないと、感情移入の持って行き場がないんですよ。
アスカの視点でしか書かなければ、読者はアスカに感情移入しなが
ら、アスカと一緒にシンジの行動に悩んだり、迷ったりするし、ケ
ンスケを傷つけたら、アスカの立場から、ケンスケの心情を慮る。
でも、結局みんながみんな、言いたいことを言って説明してくれる
から、読者としてはつまらない。

でもってなにか事がおこると、その後に必ず「気づきのとき(笑)」
を迎えるんですよね。
出来事が起こる>なんで自分が!と思う>いろいろ>でも待てよ?
と思う>そして自己反省
っていうパターンがあまりにも多く出てきすぎてて、でもってそれを
おのおのキャラクターが全部説明してくれるもんだから、もう「はい
はい、わかったよ」って感じ。
結局、キャラクターが行動してるんじゃなくて、作者がこうしたい
から、こういう展開を用意して、それに沿ってキャラが動いてるっ
ていう感がどうしてもぬぐえない。
作者が自分の考えを寸分違わず、全部全部伝わらないといやだと
思ってるって感じ。
でもそれじゃあ、読者の楽しみ(入り込む余地)がないじゃん、・・・と思うわけです。
 

せつこさんが書いている、

>おまけに、全員が、「私は悪くない」、少なくとも「○○のために
>悪事をするのだ」と思って行動しているため、読んでいる際に生じ
>る感情のぶつけ所が余計に無くなってしまい、結果的に多くのキャ
>ラクターにはあまりよい印象が残りませんでした。
>特に女性陣に言えることですが、もっと感情や行動を徹底させて
>欲しかったです。なんだか、箱庭の中で人形を動かしているように
>可愛らしい行動しかしなかったので、とうとうどの行動も、
>「Air」編のアスカの行動ほど強い印象が残っていません。

を言葉と見方を変えるとこうなるのかもしれません・・・
(せつこさん、「ちがーう」と思ったら言って下さい(^^))

余談ですが、「純潔」ってすごい言葉ですよねえ。。。
「貞操の危機」と「妊娠」の使い方は余りにもパターンで、ちょっとなあ、
と思いました。
 

以上、感想でした。それでは。


【名  前】ファーストアヤナミスト
【タイトル】確かにかみ合っていない
  06/26 00:52
Mail: CZN01522@nifty.ne.jp
URL:
【メッセージ】
 MEGURUさんとけびんさんの会話。
 MEGURUさんは「醜男をみて不細工と思うのも言うのもかまわな
い。が、だからと言ってそいつを無理矢理整形して良いわけない」
と言い、けびんさんは、「醜男がいなくなる事が全てなんだ」とか、
「整形されて喜ぶ人だっている」とか言っているように感じる。

 今回に限ってはMEGURU氏に賛成。だし、そういう意味において
はMEGURU氏はちゃとモラルを実践していると思う。


【名  前】ファーストアヤナミスト
【タイトル】パクリとこじつけ
  06/26 00:16
Mail: CZN01522@nifty.ne.jp
URL:
【メッセージ】
 そこらで売ってる予言本を読めば分かることだがこじつけようと思え
ばいくらでもこじつけられる。
 こじつけで「○○は××からのパクリ」などと指摘する遊戯はエヴァ
においては二年も前に終わっている。
 そういえば赤と青と紫のロボットがでてくるからガオガイガーはエ
ヴァのパクリと主張して失笑を買ってた人物がいた。

 ところでエヴァというと、デビルマンという構図が一時期あったが、
これは庵野と仲の良いヤオイ作家の野火ノビタ氏が同人誌でそんな事を
書いたせいだった。無論それ以前はそんな論調などなかったのだが。
 直接描写では魔獣戦線の方が100倍もエヴァに近い。主人公の名前
がシンイチでその父はゲンゾウ、敵の名は使徒で主人公は母親と融合す
ることで最強の魔獣になる・・・。偶然の一致ではすむまい。
 だが実際に挙げられるのはデビルマンであって、魔獣戦線ではない。
マイナーだったのでこじつけようとする人がいなかったからだ。
 ようやく発掘された時には元ネタ探し遊びは廃れてしまっていた。
 もう一年早く発掘されていればね・・・。


【名  前】けびん
【タイトル】エンターテイメントとそうでないモノとの違いは…。
  06/26 00:00
Mail: itirokai@gol.com
URL:
【メッセージ】
どうも、MEGURUさんとは話が噛み合わない…というより、話している次元
が異なるという気がしないでもない。
自分が興味があるのは、芸術の思想ではなく、“新世紀エヴァンゲリオン”
(もっと端的に言えば、シンジとアスカというキャラクター)そのもので
ある。

自分が小説という形態を取って「二人の補完」という作品を書いているのも、
あくまで「キャラクター補完」を達成する為の手段にすぎず、小説を書くこと
そのもの…さらにはそのバッググラウンドとなる芸術的思想には然したる
興味は無い。
だから自分は新世紀エヴァンゲリオン(さらには「二人の補完」シリーズ)
以外の同人作品を書くつもりはないし、MEGURUさんと壮大な芸術思想に
ついて語り合う気にもなれない。

そんなわけで、あくまで「新世紀エヴァンゲリオン」という作品とその
創造者である庵野監督(若しくはガイナックス)に限定して話を進めさせ
てもらいます。

ところで
>「原作を明記しているし、自分が変えた部分も明言している。これは
>正々堂々としたもので、オリジナル作者に対する著作権料を払う用意
>もある。作者に敬意を表してその世界観を変えることのない作品に
>仕上げたのだ。」
>そんなことを言っても誰も相手にしない。

なんか、「揚げ足取り」という気もしないではないが「相手にされてます。」(笑)
上記の理論は詭弁である…という主旨であれば、特に反論する気はないですが
上記の理論で書かれた作品が「他者に相手に(評価)される・されない」…
という論点で突き詰めれば、エヴァネット界に限定すれば、それなりに
自作は評価されているみたいです。(本当に只の揚げ足取りだな。(苦笑))

>パロディをする者は創造者としての才能が欠如しているのだから、
>そのことに対する恥の感情があって当然だ。
>しかし、曲がりなりにも創造者としての恥じらいは感じないのだろうか?

この辺りが認識(というか話の次元)の違いでしょうね。
エヴァをエンターテイメントとして見て、その作品の設定の一部をパロって
作品を書いているMEGURUさんが「創造者としての恥じらい」を感じる
のは良く分かりましたが、あいにくと僕にとってはエヴァは単純な
エンターテイメントの枠組みを大きく逸脱して「今現在の人生の一部分」
に組み込まれています。
だから、MEGURUさんが言うような「創造者の恥じらい」なんていう
程度の小さいスケールの話はどうでもいいんですよ。

ご承知のように「たかが一アニメ」を「今現在の人生の一部分」とまで
言い切った僕の心は思いっきり病んでいます。
そして、その「病んだ心」を自己カウンセリングする為に作品を書いて
います。
それが僕にとっての総てであり、エンターテイメントとして「たかが一
芸術作品」という小さいスケールでエヴァを語る人とは最初から話しが絡み
合わないのはある意味至極当然。

だから
>精神曲線が交わることは一生ないだろう。
という前回のMEGURUさんの見解にも思いっきり賛同の意を示しました。

尚、自分をMEGURUさんの基準に照らしあわせて「馬鹿」と定義して
もらってもけっこう。
MEGURUさんにはMEGURUさんの品性と他者を図るモノサシがあるよう
に、僕にも僕なりの品性と他者を図るモノサシがあります。
その品性とモノサシの前提が根本的に異なる相手から、人格を酷評された
所で然したる痛痒は感じませんので。
(自分が作品を下手だと言われることには耐えられるけど、シンジとアスカ
というキャラクターに対する「思い入れ」そのものを侮辱されるのには
耐えられないのはそのへんかな。)

>「所詮は素人だから・・・」というのは関係ない。創造にはプロもアマ
>も関係ないのだ。

「創造にはプロもアマもない。」
それそのものは認めています。
だから、厳しめの批評も受け入れていますし、(その批評に対する意見
そのものを表明することはありますが)作品を足がかりとした不条理な
「人格攻撃」もネット上という不特定多数の人間が目に付く場所に、
作品を公開すれば、「そういうことをする奴もいるだろう。」と苦々しく
思いながらも、割り切っていますし。(尚、こちらの方は無条件に
受け入れるつもりはないです。)

で、敬意に対する概念について…。
>敬意とは、相手に対して丁寧な言葉遣いをすることでも、褒めちぎるのでも、
>熱を上げることでもない。
>相手と自分の違いを確認し、相手の領域を確かめ、無原則に相手の領域に
>踏み込まないことを敬意というのだ。

これそのものは、筋が通った立派なモノに感じますが、僕の主観ではこの
総合掲示板に限ってはMEGURUさんがそれを実践しているようには全然
感じられないですね。
僕が見た限りでは、この掲示板内でMEGURUさんは相当無原則に、相手の領域
に何度も突っ込んでいるように見えます。(あくまで僕の主観なので、事実は
違うのかもしれませんが、自分は心底そう感じます。)
自分を基準にするわけじゃないですが、自分に限らず、この世界(エヴァネット界)
には「一部、心の病んだ」人間が少なからずいます。
そして、MEGURUさんは、「そういう病んだ人間にとっては決して犯し
てはならない領域を、「理論」という刃で何度も無原則に切り刻んでいる
ように自分には見えます。

勿論、MEGURUさんにはそのつもりはなく、上記の“敬意”の概念に基づ
いて行動しているのかも知れませんが、「無原則に相手の領域に踏み込まない」
というのを敬意の前提とするのなら、「相手がどう感じたか。」ということ
こそが総てであり、MEGURUさんがMEGURUさんの基準で勝手に見定めた
領域など然したる意味はありません。
また、「自分は自分の敬意に基づいた行動だけが大事であり、その結果、相手
が受けた衝撃そのものの方にはまったく興味が無い」というのであれば、
最初から他者に対する“敬意”などという言葉を持ち出す必要はないように思います。

MEGURUさんも心理学の心得があるのなら、「事実」よりも「真実」の
方がはるかに大事なタイプのヒトが多いのは分かっているはずなのに、
そのヒトにとってかけがい無い「真実」を根底から破壊するような
ことばかりしている癖に「無原則に相手の領域に踏み込まない」ときては
呆れるほかないですね。

先ほどから「心の病んだ」という言葉を強調していますが、別に、「エヴァ
に心底嵌っている奴らは弱者だから労われ」などという馬鹿げた主張を
しているつもりはないです。
ここは「カウンセリングルーム」でも「温室」でもなく、それどころか
エヴァFF界屈指の人外魔境の地である「総合掲示板」(フランソワさん。失礼)
ですから、“調和”・“寛容”などという言葉は笑止でしかなく、ここに来るものは、
自分の言葉だけで自分自身の大切なモノを守らねばならず、その覚悟のない者が
ここに顔を出すのは間違っているのは良く分かっていますから。
少なくとも自分はそれだけの覚悟をした上で参戦したつもりです。
いずれ徹底的にMEGURUさんに論破されて「捨て台詞」を残して消え去る
可能性も無きにしもあらず…ですが。
(もっとも僕の本当のターゲットは周知の通りMEGURUさんじゃないんですけどね。
本当に無駄なエネルギーを使っているよな>自分)
今まで自分はMEGURUさんもそれを分かった上で“理論という刃”で相手を傷付け
てきたと思っていたのですが、「無原則に相手の領域に踏み込んでいない」“つもり”
だったとは、正直驚きを通り越して呆れています。
(どうやら今までの自分のMEGURUさんに対する評価を大幅に塗り替える必要が
あるみたいです。やっぱり直接話さないと他人のことは分からないものです。)

以上が、僕がMEGURUさんの「敬意」の概念から正直に感じたことです。
「敬意」の概念そのものには特に異論はないですが、少なくとも僕は
自分自身が実践出来ていない「モラル」を他者に対して説く人の言うことは
あまり参考にする気にはなれないです。

……………………………何か書いてきてそろそろ飽きてきましたが、
(元来自分が総合で語りたいこととまったく違うことで議論しているので)
MEGURUさんは随分真剣に持論を唱えているようなので続けます。

>作品自体を「つまらない」「未熟だ」「完成品とはほど遠い」と酷評する
>のは許される。
>庵野氏や制作者も表現者として批評を受けることは覚悟しているだろう。

前述した通り自分は芸術としての一般論には興味が無いので、あくまで
「エヴァとその製作者」のみに絞って話をすると、庵野さん個人に限って
いえば、「表現者として批評を受ける覚悟」とやらがなかったのは
周知の事実です。
(MEGURUさんはそういう作品そのものから離れた製作者の「私生活・
私情」には興味がないようなので知らないと思いますが…。)
その辺りの庵野監督の事情についての記述は探せば、書籍でもネット上でも
いくらでも転がっているので詳細は省きます。

>だが、制作者の領域にヅカヅカと踏み込まれて、作品に関知しない続編を
>作られたり、改竄されたりするというのは表現者として耐えられないだろう。

もう一度庵野監督に限定して言えば、あの人はエヴァと作品と何よりも
シンジ・アスカ・レイというキャラクターを壊して捨てました。
その壊して捨てられた「庵野監督の廃棄物」に群がって泣きながら必死に
再生しようとしている自分のような人間を見ても、庵野監督は恐らく
「憐れみの目」で見下すだけでしょう。

>作品を買えられるのは作者だけである。「新世紀エヴァンゲリオン」という
>話自体はあれでももって終了しているのだ。

確かにエンターテイメント(と呼べる代物だったかどうかは別にして)としての
エヴァは既に終わっています。
けど、「僕の中のエヴァ」はまだ終わっていません。
それが今僕がこの場所にいる理由です。

>作者以外の人間がオリジナルを修正するというのは、小説、映画、絵画・・・・と、
>どの世界をとっても用意に許されることではない。
>手法・キャラクター・プロット・背景などの一部を借りて別の話を作る。又は作品
>を検証した結果鋭い批判を加える。
>それくらいが、相手の領域に踏み込まないギリギリのラインだ。「好きだから・・・」
>「ファンだから・・・」「法律に違反していないから・・・・」という理由で相手の
>領域にヅカヅカと踏み込むのは品性に欠ける。

再び庵野監督に限定して言えば、僕もMEGURUさんも完全に同じ穴のムジナです。
庵野監督は「エヴァに何らかの形で拘っている人(ようするにオタクか)総て」を嫌悪
しています。
エヴァという作品に限れば続編だろうがパロだろうが、エヴァに何らかの形で手を
加えた地点で庵野監督から見れば、“同類”でしかありません。

>以上2点
>1 創造者としての能力欠如に対する無自覚
>2 敬意の取り違えと他者に対する領域を考えない無知
>という理由に付き、ためらいも感じず続編を嬉々として書いている人間は恥と品性
>が欠如している。

1の点は特に異存無し。
僕としては創造者としての能力なんぞどうでも良く「決して自分の心を偽ることなく、
自分にとって納得のいく話を書けたか…。」の方がはるかに重要ですから。
2に関しても特に異存はないですが、それを言うならMEGURUさんにも十分当てはまる
と自分は思います。
(その相手が「面識の無い創造者」か「掲示板上偶然知り合った、自分と異なる価値観
の所有者だったか」の違いだけですね。)

>付け加えておくと、これは価値観の相違というレベルの問題ではない。

価値観の相違というレベルですね。
あくまで、エンターテイメントの芸術作品としてエヴァを見ている者と、そうでない者
との違いでしかありません。

>特に2つ目の理由は人間としての根幹に関わる問題だ。

本気でそう思っているのなら、今一度ご自分の態度を省みられた方がよいかと思います。
人間、他人の欠点は分かっても自分の欠点にはなかなか気づかないものですから。
(その点MEGURUさんも例外ではなかった。)
一度ゆっくりと総合の過去ログを見直してみるのも、己の人生を振り返る…という
意味ではちょうどいいかと思います。

僕が考える“浪漫”に関しては、長くなるので後述…。
 

☆笑い猫さんへ

>レスが遅れている事と、こちらから話題打ち切って本題へ移行を促した失礼と、
>そもそもやり方があまり誉められたものじゃなかったという点などなどについて、
>あいすみませんという事で。

いえいえ、気にしないで下さい。
(自分もかなり感情的なレスを返してしまいましたし。)

>もうちょっとだけお待ちくださいまし。週末休みに入れば何とかなると思いますので。

はい、いつでもかまわないのでお待ちしています。
ただ、今度こそお互いにとって実りの有る意見交換で在りたいですね。
(今そうでないことにけっこう時間を取られていますので。)
 

☆ Thrkさんへ

Thrkさん、こんばんは。

>最初の2話を(後書きを含めて)読んだ時点で、Thrkには、お話の大体の
>展開が読めてしまいました。
>それを称して、“最初の2話で全てが決している”と書いています。
>あとは、その予想を確認するような読みこみ作業が続きました。
>これを称して、“あとは、ただ読んだという感じです。”と書いています。

なるほど…。

>その読みこみ作業は結構辛くて、特に最後の8話位は、アスカとシンジの
>関係自体に興味がないとなかなか辛いと思います。アスカ×シンジで典型的
>な展開なので予想範囲内ではあるんですけど(苦笑)
>それで、「LASな人の為だけの作品」というのに、ちょっと共感を覚えた
>という感じです。

予想範囲内ですか。(ちょっとショック(笑))
確かにそれじゃ「LASな人の為だけの作品」と言われても反論できないです。(苦笑)
「続編」を書く時はさらに精進せねば…。
さらに詳細な解説ありがとうございました。
 

☆「続編」を書いているエヴァを愛している総ての皆さんへ

なんか、自分が総合に顔を出したばっかりに、今回のMEGURUさんとの遣り取りで
かなりショックを受けた繊細な方もいられるかと思うのですごく申し訳ない気分です。
(尚、自分は全然平気です。「決して譲れない『何か』の為に、物事をやり遂げようと
すれば必ず“敵”はできます。たかが第三者の“戯言”程度で、自分のエヴァに対する
“思い入れ”を疑ったり、捨てるようなら最初から“その程度のモノ”でしかない
わけですから。)
自分のような「重度のエヴァ患者」が総合に顔を出して「補完」だ「カウンセリング」
だ「救済」だと騒げば必ずMEGURUさんが絡んでくるのは予想の範囲内でしたが、
まさか、あれほどきつい毒を吐き出されるとは…。(やや誤算)
ただ、MEGURUさんの「意見」はあくまで「エンターテイメント」というレベルから
語られたものであり、「エンターテイメントの枠組みを超えてエヴァそのものに対する
思い入れ。」で作られたネット世界の一部分にはまた別の法則が在るかと思います。
だから自分のやってきたことに「誇り」を持って下さい。
どれほど「もっともらしく」聞こえたところで、所詮は「エヴァとキャラを愛すること
が出来ないために『この世界』に入ることが出来なかった人間」が、『この世界』
の外側から、エヴァの本質とかけ離れた持論を唱えて、何とか揺さぶろうとしている
だけですから。

ではまた。


【名  前】BLEAD
【タイトル】スキゾ・パラノ・エヴァンゲリオンを読むことをお薦めする
  06/25 20:39
Mail: blead@ky.xaxon.ne.jp
URL: http://www.ky.xaxon.ne.jp/~blead/
【メッセージ】
 続編とか勝手に改竄とか……耳が痛い(^^;
 俺の書いてるのってこれにモロ当てはまるし。
 ま、確かに庵野総監督とGAINAX以外があれを作っても「偽」とか「似非」以外の何者でも無
いし言い訳も言ってて空しいし。ただ…庵野総監督抜きでGAINAXが関わっても、結果が似たよ
うな物になってしまうのは……悲しい(「鋼鉄」「EVAと愉快な仲間達」シリーズ等、サターン
のあれは、第一作はTV放映中に発売したところだけに意味がある)

 似たような事で昔嫌な気分になったことがある。
 「ラムネ&40炎」という個人的に悪名高きアニメ。
 ……あれはエヴァ小説で続編勝手に作ったのと同じ様なもんだったな……あの頃作っていた
連中のインタビューにかなりむかついてたのに…今や同じ穴の狢(苦笑)
 俺も、墜ちるところまで墜ちたなって具合。
 ラムネは元のアニメは結構オバカで好きだったんですけどね。
 

VIA MEDIAさん
> なんだかなあ、この「パクリだらけ」の作品のどこに「オリジナリティ」がある
>のかねえ・・・。

 MEGURUさんの書いてる範囲で見れば…あるけど?
 それと、無理矢理こじつけすぎ。
 マジンサーガ全部読んだ訳じゃないから言い切り難いけど。
 

 それとは全く関係なく「魔王ダンテ」を読んだ。
 結構面白かった。


【名  前】Thrk
【タイトル】RE:まとめレス…。
  06/25 18:09
Mail: thrk@mte.biglobe.ne.jp
URL: http://www2s.biglobe.ne.jp/~Thrk/
【メッセージ】
けびん さん、こんにちは。

>それ、何となく興味があります。
>もう、少し詳しく説明してくれると嬉しいです。

了解しました。

>>最初の2話で全てが決しているので、あとは、ただ読んだという感じです。

最初の2話を(後書きを含めて)読んだ時点で、Thrkには、お話の大体の展開が読めてしまいました。
それを称して、“最初の2話で全てが決している”と書いています。
あとは、その予想を確認するような読みこみ作業が続きました。
これを称して、“あとは、ただ読んだという感じです。”と書いています。

>>「LASな人の為だけの作品」とは、鯖 さんが言われたんでしょうか?
>>なんとなく鯖 さんが何を思ったのか分かりました。

その読みこみ作業は結構辛くて、特に最後の8話位は、アスカとシンジの関係自体に興味がないと
なかなか辛いと思います。アスカ×シンジで典型的な展開なので予想範囲内ではあるんですけど(苦笑)
それで、「LASな人の為だけの作品」というのに、ちょっと共感を覚えたという感じです。


【名  前】VIA MEDIA
【タイトル】オリジナリティ
  06/25 16:39
Mail: slc31551@biglobe.ne.jp
URL: http://www2s.biglobe.ne.jp/~viamedia/
【メッセージ】
 えーとなになに、「新世紀エヴァンゲリオン」だと。

 ふーん、液体を満たしたコックピットにパイロットが乗って、頭で考えた通りに
ロボットが動くのか。で、ロボットが受けた衝撃がパイロットに伝わる、と。

 ほう、地下に作られたピラミッド型の基地ねえ。なになに、敵の遺伝子は人間と
ほとんど同じかあ。なるほどねえ。

 おお、主人公の少年と天使のような青年とのやをい関係かあ。主人公は父親と女
にトラウマ持ってる、と。

 なんだ、こりゃ、マジンサーガのまるまるパクリじゃないか。

 おっ、アスカが量産型にやられて腕が二つに裂ける、と。こりゃバイオレンスジ
ャックだな。

 うーむ。エヴァンゲリオンは、子供が乗っているから、母性本能で戦う、ねえ。
こりゃイデオンだ。

 なんだかなあ、この「パクリだらけ」の作品のどこに「オリジナリティ」がある
のかねえ・・・。


【名  前】まっこう
【タイトル】鯖氏に質問(追加です)
  06/25 15:52
Mail: akagi-labo@NERV.TO
URL: http://www2k.biglobe.ne.jp/~penguin/rtop.html
【メッセージ】
 世界の軍用拳銃、小銃の今後の傾向(9mmNATO弾は今後も使われるのか?5.6mm小銃弾は?)等についてもヨロシクお願いします。

【名  前】まっこう
【タイトル】鯖氏に質問です(拳銃関係)
  06/25 14:20
Mail: akagi-labo@NERV.TO
URL: http://www2k.biglobe.ne.jp/~penguin/rtop.html
【メッセージ】
 実は今書いている話の中でコルト・モデル・デルタ・エリートを出したのですが、使用弾丸の10mm AUTO弾は結局普及しなかったと聞いていますがどのような理由からでしょうか?ご存じでしたらご教授ください。お願いします。

【名  前】ここへの記載をしないことを明言しておきながら、再び
【タイトル】一言だけ
  06/25 13:50
Mail: fwiy0146@mb.infoweb.ne.jp
URL: http://village.infoweb.ne.jp/~fwiy0146/index.htm
【メッセージ】
MEGURUさんのおっしゃっていることは正論だ。だけれど、それをこの時期、この場所で、貴方がおっしゃるのは卑怯だと感じた。発言の内容には異論を挟むところはないが。

それともう一点、これは自己弁護。
アメリカにおいては「バットマン」「スーパーマン」などはさまざまな監督によって制作されている。日本においては「ルパン三世」などがそうであるだろう。
 「ルパン三世」の著者であるモンキーパンチ氏は設定の大幅な変更のない限り、どなたにでも制作していただいても結構です、と明言されている。
私などは「新世紀エヴァンゲリオン」とはそう言った作品と同様のものだと考えている。

とは言っても私自身もうEFFに興味がないのでどうでもいいことなのだが。


【名  前】Aoi Ryu
【タイトル】大学より、横やり的に
  06/25 10:17
Mail: aoiryu@aoiryu.net
URL: http://www.aoiryu.net/
【メッセージ】

 多少疑問があります。>MEGURUさん

 では、編曲というものは、一体どのようにして芸術性が認められているのでし
ょう。

 創作することのみが芸術に当たるわけではなくて、組み合わせ、組み替えるこ
とも芸術に当たるのではないでしょうか。

 続編を書くという行為には私自身、剽窃的なものを感じますが(それに対する
自己弁護も用意してあるところが自分ながらに少々情けないところです)、パロ
ディを作るという行為は、そもそも創作とは関係の薄いことで、創作の遡上では
語りきれないのではないかと思います。

(能力欠如ないし手抜きについては自覚の上〜<おい)

 ……うぁ。講義まで後10分だわ。


【名  前】sou
【タイトル】鯖くんてば
  06/25 08:34
Mail: sou-1701@qc4.so-net.ne.jp
URL:
【メッセージ】
こんなところで批判、批評じみたことしてないでつづきかきなさいって。

【名  前】MEGURU
【タイトル】根幹考
  06/25 02:25
Mail:
URL:
【メッセージ】
魯山人の指摘を待つまでもなく、芸術は模倣から始まる。
人間の精神は外的刺激を主構成成分にしているのだから当たり前のことだ。無から有は作り出せない。
芸術家に限らず、全ての創造者は、自分以外の誰かの作品・言説・たち振る舞い、自然、建造物などにインスピレーションを得ている。

和歌や陶芸の世界には本歌取りという手法がある。過去の名品などに学ぶのは重要な経験だ。
そこで許されるのは過去の作品に学ぶということである。過去の作品を勝手に作り替えることではない。
例えば、ある抽象画に感動を得たとする。その抽象画は全体としてはとても気に入っているのだが、配色と空白部分の多さが気になった。そこでオリジナルをコピーし、配色&加筆を行い、それを明記した上で発表する。
例えばある曲が気に入った。だが、歌詞の一部が気に入らない。そこで歌詞の一部を変えて発表する。

「原作を明記しているし、自分が変えた部分も明言している。これは正々堂々としたもので、オリジナル作者に対する著作権料を払う用意もある。作者に敬意を表してその世界観を変えることのない作品に仕上げたのだ。」
そんなことを言っても誰も相手にしない。

芸術で最も重要なのはオリジナリティである。パロディはキャラクター、プロット、背景のいずれか、又は全てをオリジナルに依存している。
パロディをする者は創造者としての才能が欠如しているのだから、そのことに対する恥の感情があって当然だ。
映画のパロディが極端なお笑いに走るのには意味がある。制作者は内心恥じているのだし、照れているのだ。

けびん氏は「続編を書かせるのはロマン」と発言している。俺はロマンなど感じないのだが、それは氏の感じ方なのでどうでもよい。
しかし、曲がりなりにも創造者としての恥じらいは感じないのだろうか?
「所詮は素人だから・・・」というのは関係ない。創造にはプロもアマも関係ないのだ。
 


 

「個人の精神領域というのはどこからどこまでか?」
困難な命題だが、考えなくてはならない。
人間の精神が外的刺激から多大なる影響を受けていることは何度も触れた。外的影響というのを分析してみる。
例えば俺の場合だと、倫理的判断基準の一部は父親に、哲学的考え方の一部はヴィトゲンシュタイン・ヘーゲル・バタイエに、生物学的側面ではローレンツに、料理手法はアラン・シャペルの著作やブリヤ・サヴァランに・・・・、という具合だ。
書き出すときりがないし、無意識・忘却・分類不能な分野もあるので全てを挙げることはできない。

自分の意識がどこにあるか、どこまで広がっているかというのは判断不能な問題の1つだ。
脳の一部が破壊されると意識はなくなる。が、脳だけあれば意識が発生するわけではない。脳に意識が存在しているわけではない。
意識(人格、精神・・・)を保つには社会性が必要だ。他者に保証されることによって意識は意識たりうる。
「おまえなんか知らない」と周囲の人間全員に宣告され、そういう扱いを受ければ人は発狂する。俺は周囲から「MEGURUである」ということを認められているから。MEGURUたりうるのだ。

そう考えると意識は自分の脳だけではなく、もう少し広がる。親しい人の中にある自分のイメージ、自分が過去に作った創造物、実績なども広範囲な自己の一部である。
けびん氏は敬意の意味を取り違えている。
敬意とは、相手に対して丁寧な言葉遣いをすることでも、褒めちぎるのでも、熱を上げることでもない。
相手と自分の違いを確認し、相手の領域を確かめ、無原則に相手の領域に踏み込まないことを敬意というのだ。

「新世紀エヴァンゲリオン」は庵野氏及びガイナックスの領域である。
作品自体を「つまらない」「未熟だ」「完成品とはほど遠い」と酷評するのは許される。庵野氏や制作者も表現者として批評を受けることは覚悟しているだろう。
だが、制作者の領域にヅカヅカと踏み込まれて、作品に関知しない続編を作られたり、改竄されたりするというのは表現者として耐えられないだろう。
作品を買えられるのは作者だけである。「新世紀エヴァンゲリオン」という話自体はあれでももって終了しているのだ。
作者以外の人間がオリジナルを修正するというのは、小説、映画、絵画・・・・と、どの世界をとっても用意に許されることではない。

手法・キャラクター・プロット・背景などの一部を借りて別の話を作る。又は作品を検証した結果鋭い批判を加える。
それくらいが、相手の領域に踏み込まないギリギリのラインだ。「好きだから・・・」「ファンだから・・・」「法律に違反していないから・・・・」という理由で相手の領域にヅカヅカと踏み込むのは品性に欠ける。
 

以上2点
1 創造者としての能力欠如に対する無自覚
2 敬意の取り違えと他者に対する領域を考えない無知
という理由に付き、ためらいも感じず続編を嬉々として書いている人間は恥と品性が欠如している。
付け加えておくと、これは価値観の相違というレベルの問題ではない。
特に2つ目の理由は人間としての根幹に関わる問題だ。


【名  前】笑い猫
【タイトル】ちょっとボロボロ
  06/25 01:16
Mail: cheshire_cat@geocities.co.jp
URL: http://www.geocities.co.jp/Playtown-Denei/1986/index.html
【メッセージ】
 って塩梅な今日この頃。

◎けびんさん
 レスが遅れている事と、こちらから話題打ち切って本題へ移行を促した失礼と、そも
そもやり方があまり誉められたものじゃなかったという点などなどについて、あいすみ
ませんという事で。

 もうちょっとだけお待ちくださいまし。週末休みに入れば何とかなると思いますので。
 それでは。


【名  前】けびん
【タイトル】まとめレス…。
  06/24 20:03
Mail: itirokai@gol.com
URL:
【メッセージ】
☆せつこさんへ

>坂本龍一の曲は、「energy flow(ウラBTTB)」という、
>ピアノソロの曲で、オリコンの上位にも入っているので、耳にされている
>かもしれません。どこか物悲しい、けれどとても綺麗な曲(って、どこか
>で聞いたような説明ですね・汗)です。

なるほど…。
情報提供感謝です。
今度機会があったら聞いてみます。
(その上で久しぶりに自作を再読してみるかな。)

>ええっと、ひょっとしてここに来られている方の中でまだ「二人の補完」を
>最後まで読んでおらず、なおかつ最後まで読む気がある方のために伏せて
>いましたが、念の為に確認。「○○○○」は「妊娠した」です。

ええ、もちろん分かっています。
自分も多分ネタバレ防止で伏せたんだと思ったので、「○○○○」で返事を
返しました。

>前章はマヤ視点で読んでいたため、後章の、あまりの役柄に戸惑ってしま
>いました。
>それでも最終話までマヤを応援させていただきました(それがあっさり思
>いきるんだもんなあ・・・)。

全然関係ないですが、『あの』マヤちゃんの大ファンで是非、自分を
オリキャラとして出演させてマヤちゃんと結婚させて欲しいと言っている
読者がいたりします。(爆)
一応、小猫の常連です。細かい設定までメールで送ってくれました。(笑)

>後、「I need you」は私から見れば良かったです。
>納得がいかないのは最終話「希望」でした。まるで絵に書いたような希望
>だったので、反発を感じてしまったのです。

それはそれで嬉しいかも。(おいっ)
自分としては「I need You」が書きたくてこの作品そのものを書いてきた
ようなものなので、それと比較すれば「希望」はサービスエピローグみたい
なモノですから。
(その割には容量100Kbyte超で背景・イラスト付きの豪華版でしたが…。)
 
 

☆しのぱさんへ

>避けんでよろし(笑)。
>上で少し書いちゃったけど、やっぱり読んだ人のメールに答えるようには、
>ここには書きません(笑)。
>だから、遠慮せず、ガンガンやっちゃって下さい。

それはどうもです。
ではご本人のお許しを得たということで遠慮無くいかせてもらいます。
ただ、言及は避ける…と書いたのは、砂漠谷さんが一読するまで(>しつこい)
は、余計な先入観を与えたくない…という意味合いの方が強いです。
自分は砂漠谷さんが「ある神話」から感じられた“有りの侭の印象”に強く
興味がありますので。
(周りの雑音に惑わされるような砂漠谷さんではないと思いますが…念の為。)

>ただしカキコは週末オンリーになりそうです。
>もっとも居らんほーが話しやすい雰囲気のときは、引っ込んでます(笑)。

その辺りの判断はおかませします。
しのぱさんの成長否定論に関して思ったことがありますが、まとまらない
ので、またいつか…。
 

☆ Thrkさんへ

ども、Thrkさん。
メールありがとうございました。

>そうだったんですか。
>ただ、しのぱ さんも書いてますけど、書いてないものは、書いてないんですよ。
>そして、しのぱ さんの真意は、それなりに書いてあると思います。

そうですよね。
やっぱり読んでで読者が感じたことが、その読者にとっての“真実”ですよね。
自分も後書きで見苦しいぐらい、作者の意図を説明してしまうので、
(読者の感性を無視した作者の身勝手な統一見解なぞ作ってどうするんじゃ)
その辺りは本当に反省モノです。

>読みました。長かったです(苦笑)

前章は短かったのに、後章に入って極端に長くなったので戸惑われて
るかと思います。
やっぱり“壊す”のはすごく簡単ですが、それを“修復”するとなると
並大抵じゃないですね。

>最初の2話で全てが決しているので、あとは、ただ読んだという感じです。
>「LASな人の為だけの作品」とは、鯖 さんが言われたんでしょうか?
>なんとなく鯖 さんが何を思ったのか分かりました。

それ、何となく興味があります。
もう、少し詳しく説明してくれると嬉しいです。

>“念”は、全体的には、アスカ×シンジな人の感じですけど、少し弱めかな。
>シンジ至上主義者であるせいかもしれませんね。

普通のLAS人の場合、「まずアスカがいて、その相手としてシンジがいる」
という構図みたいですが、
(前章でシンジが壊れたことに文句が言う人はほとんどいませんでしたが、
後章の途中で例の事件が起きた途端……。)
僕の場合まったく逆で、「まずシンジがいて、その相手としてアスカがいる。」
というスタンスだからかもしれないですね。

>あとは...けびん さん、“いい人”みたいですね。

メールで真意を伺うまでは“誉め言葉”には聞こえなかったです。(苦笑)
“良いヒト”のままでいられるのは、「それが許される環境で今まで生きて
これたから」と言えないことはないです。
多分、それは僕の作品内のシンジとアスカにも言えることなんでしょうね。
(「本物の修羅場を知らない奴が見よう見まねで修羅場を演じている」と
いう砂漠谷さんの言葉が耳に痛い。けどだからこそ総合に顔を出す価値が或る。)

後、メールの返事はメールの方で返しますのでしばしお待ちを…。
 
 

☆ 砂漠谷さんへ

どうも、御久しぶりです。
(砂漠谷さんの場合、総合でちょっと見掛けないと本当に久しぶりって
感じですよね。総合の主…というか。)

>けびんさんと猫様が再燃し、しのぱさんが見えている。

実りの或る意見交換に移行したと思うので大丈夫です。(多分)

>(けびんさんごめんなさい、今更ながらすげー失礼な事書いてます 汗)

いえいえ、言いたいことはそのうち纏めて主張するつもりですので
気にしないで下さい。(笑)
 

それではまた。


【名  前】故 けんけんZ
【タイトル】アカウンタビリティーの放棄
  06/24 10:44
Mail: ken-kenz@kk.iij4u.or.jp
URL: http://www.kk.iij4u.or.jp/~ken-kenz/kurige/
【メッセージ】
作家にとって「表現」とは作品が全てであり、作品を以って其の人格を批判されようと
何ら反論するに当たらない、と覚悟するのが妥当である。
作家の人格と出現した作品は同一である。
そうで無いなら、名を代え別の人格を名乗りその人格まで含めて創作にあたれば良い。
故に本作家名において発表された作品を以って
「かような性癖により綾波のファンを名乗るとは許せん輩である」
と断じられたとしても、それは仕方の無い事と理解する。
人格批判であっても、これに反論するに値しない。

表現した時点で「己の意図したモノ」を表現しきれていない未熟故の誤解であろうと、
今後の作品展開上矯める事の出来ない演出上の必要性に拠る物であろうと、既に書かれ
た作品とその感想を以って批判を展開している読者と、相互に理解しようされよう等と
思うのは傲慢に過ぎる。
理解出来るものであれば作品以って理解させるべきモノであるし、本来作品を終らせれ
ば言い訳する必要の無い誤解も多く存在する。
作品を大事に思うならまずは拙作の終了を持って回答とするのが本筋であり、徒に言葉
多く語ればそれは続きを待ち望んでいるその他の読者に対して不敬であると考える。

故に、この場においていかな批判・批評・分析が展開されようと反論しない。
ただし、上記理由を以って拙作終了まで批判批評の類を制限しようと意図するものでは
ない。
作品の発表途上における批判批評であっても甘んじて受け入れ、更に作品の質の向上に
充てたいと思う次第であり、ご自由に論じて頂ければ幸いと思う。
上記理由により作者は議論に参加しないので其の点については先にご了承頂きたい。
またこの文章を以って他の作家の創作姿勢を批判するものでは無い事は特に留意して頂
きたい。
「私はかく在りたい」と願っているに過ぎず「かく在るべき」と断ずるものではない。

                                    以 上

とまあこうしておけば良かったと思うのよね、初めから(笑)
そうゆう事でよろしく(^_^)/~>鯖さん
人格批判に現時点で敢えて答えるなら上記文章を持ってその代りとします。


【名  前】鯖@生きてます
【タイトル】藁しべちょうじゃ。
  06/24 02:24
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
先日、業界組合の所要で東京に出張っていた親父が、東京駅構内で
東北訛りのをっちゃんに遭ったらしい。明瞭なずーずー弁の紳士は
かなり酩酊状態に在ったらしいが・・・それだけなら別に珍しい事では
無い。

しかしながら、当該紳士は親父に四着の生地を見せてこういった
のだと言う。

「これは某大手デパートに卸す筈の生地だったのだが、訳在って
売れず、又、田舎に持ち帰る事も出来ない。英国製の生地だ。
四着分一万五千円で買わないか?」

なんじゃいこれは・・・?無論そう思ったらしいが生来人生を冗談の
合間に生きているようなをっさん(親父)は念の為生地をチェック。

・・・厚手だな。物自体も確かに悪くは無い様だ・・・けどな。

普通なら一着分で三万は下るまい、本物ならば。

「一万円に負けてくれたら買う」<をい!!

「兄さん、五千円札見えとるでないけ」

「をっと・・・これは使う予定が在るんでな。」

「なら三着分じゃ」

「をっけー」<・・・・・・・

無論、時後皆が口を揃えて「偽者だ」と言ったのは言うまでもないが。
親父は普段江戸でのヤサにしている伯母宅(持ち家である雑居ビルの
最上階を勝手に占領している・・・あのヲヤジは)に宿代がわりにおいて
来たと言う。

数日後、出入りの仕立て屋氏に伯母が見立てを頼んだ所、「卸値で
全部合せて二十万は下りませんね。本物の英国製です・・・小売だと
幾らになりますかねぇ・・・」との事だった・・・

疎の侭持って居れば一財産に化けたかもしれんのに。残念(んなわけ
あるかい)・・・そーゆーことも在るのね・・・

書き込み控えて何とか今月中に・・・は無理か(それがいかんのじゃ)
出張だの酸欠防止主任者の試験だの(何の事はない、講習の中身は
海保のタンカー火災消化訓練だの陸自の特殊武器防護(対NBC戦
訓練)だのと重複しまくりではないか・・・一生ついて廻るのね・・・
しくしく)・・・その間に「屍鬼」が届いたので上巻を読み出したら
嵌まったり(だーかーらー!!)・・・ジープが再度修理屋送りに
なったり(事故じゃないです、念の為)・・・はぁ・・・

で、久しぶりに除いたら少し盛り上がって・・・るのかしらん???

MEGURUさんの「国家」論に思う所が在ったのだが・・・未整理なので
又今度。(凄く面白かったのよ 笑 ヒントになった)根本的に
パトリヲットからは程遠い「人民の敵」(笑)なあたしでは在るが
国家・共同体・社会or規範と言うのは興味の尽きないテーマ・・・という
より避けて通れない問題なんだと思う。それに興味がなきゃわざわざ
兵隊になったりしませんしね(あはは)「権威」に対して抜き難い
憎悪が根底に在るくせに、或る程度まで行くと「それでもトラディショナル
な権威の意味と言うのは重要なのだ」と言う結論に行かざるを得ない。

「国家・社会」と言う奴に対する不信・憎悪と「其処に根差す自らの
アイデンテイティ」・・・どうも重傷のエディ・コン持ちだな(何を
今更)国境・領土国家と言う奴の質の悪さを厭い、こすもぽりたん
(というより只の漂流民?)とやらに餓鬼の頃から惹かれつつも、
所謂「生涯旅行者」と言うものの存在に「冗談じゃねぇ・・・あれは
違うだろ」と思う。境界・内外=敵味方の概念に抵抗を感じたとしても、
「地面から遊離した連中」になってしまっては御終いだ・・・とも感じる
訳だ。

「政府(or経済体制)」と「民族」は無論別物だ(笑)

多分、「戦争は祭司」なのと同じようなレベルで「国・邑」と言う
のは「熊一家族が食っていく為の必要面積は山一つ分」・・・と言う
テリトリーの概念・感覚にさかのぼっていくものなのだろう。

山を下りてゴミ箱を漁れば「遥かに少ない面積で食料がまかなえ」、
やがて人を襲う様になったクマは射殺されるのだ・・・これは「算盤と
法典」の世界の住人達の領域では無いが(苦笑)

御役人や経済人(日米一般の)はどうも「文学的教養」と言う奴を
おろそかにしすぎているのではなかろうか・・・魔王閣下が「闇の領域」
と呼ぶ非合理な価値は、実は全く「非日常では有り得ない」んじゃ
ないかとあたしは思っている。其処が見えないものは「人間を語る」
には不向きな人達だ・・・少なくとも一緒に住んで楽しい人種ではないな。

亜米利加は「神の居まさぬ邑」なれば・・・(無論プロテスタント教会云々の
話ではない)

それは又こんど。

「知ってるつもり」で大藪春彦をやっていた(笑)・・・まぁテレビで紹介
するとあんなもんになるのかね。良く「〜に影響を受けました」と言う人が
居るが・・・少なくとも自分的に思うに、「一冊の書物で確かに見方は広がる
が」・・・良く言う「人生に影響」ってのは少々疑わしい様な気もする。
あたし個人にとって大藪やハメットやチャンドラーは記念的な存在では在るが、
それに影響を受けたと言うより・・・自分にそれが「合っていた」と言う事なの
だと思う。要は「共感」か。ハードボイルド書き・志向者と言うのは「そうなる
べくして」そうなってしまった人種と言えよう(苦笑)スタイルでやるには
余りに面倒で厄介なシロモノなのかもしれない・・・

『伊達邦彦』(野獣死すぺし)は大藪氏の自画像だと言うのは良く言われる
事だ。其処に嵌まる奴も又、大抵は皆「似た様なケダモノ」が腹の中に
巣食っているに違いない・・・どうしようもなく血に飢えた、どす黒い食人鬼が・・・
だから社会不適応者なんだよ(苦笑)<あたしもだ

不正確で日和った人間・社会に対する不信と嫌悪から「血の通わない無機物・銃と車」
だけを信頼し、人を厭い、社会に対する憎悪と破壊衝動を募らせる・・・身に覚えの
在る話だよなー(あはは)・・・十四歳の頃の自分って、そんなだったよな。クルマに
乗れる歳では無いし、銃を手にする事も未だ出来なかったけれど。懐に隠したナイフ
だけが信用できたのかもしれない(我ながらあぶねー餓鬼だ)。何の事
はない、酒鬼薔薇ではないか(あはは)・・・子供と動物に手を上げる奴は物凄く嫌い
だったけどね。・・・「雪風」の深井零も同じような奴だな、そう言えば・・・

まぁ、「サイボーグ・マッチョマニズム」と言う奴では在るかもね(笑)
大藪さんは脊椎カリエスから「肉体の限界」と「銃の威力」を知った。あたしは
生来の運動音痴から来る「スポーツ嫌い」と「一対多数が当たり前」と言う喧嘩の
状況から来てるんたろうけど・・・幸いにして同時に「道具無しでハンディキャップ
を消失させる方法」にもはまり込んでったのが幸いしたのかもしれない。使い方
一つで「おんなのこみたいになまっちろくてひ弱な身体」が「凶器」になる事を
憶えた訳だ(苦笑)・・・ゆえに「体育系の肉体至上主義」にも「武器ヲタクの玩物
喪志(フェティシズム)」にもきわどい所で一線を引く・・・わざわざ武器を持った
相手に素手で挑むのは只の阿呆だが、武器が無ければ何も出来ない様な奴は結局
大した能力は持っちゃ居ない=そもそもマッチョマニズムに拘って「意味の無い
ルール」に囚われている事自体が「駄目」なのだ、と。

基本的にあたしは「フェアネス」なんてものは全く信じちゃ居ない(苦笑)
フェア、と言うのは強者が弱者に恫喝と一緒に強いるものだ。それが「通用
する」のは御遊びとしてのスポーツ位のものだ。本気になった人間にフェアネス
の精神を説く者はそれこそ「大馬鹿者」としか言いようが無いのではないか?
「タテマエ」なんだから・・・

それでも・・・美辞は欺瞞と知りつつも「両者にとって流す血を少なくする為」の
ルール、と言うものは存在するし必要だ。空々しい「フェアネス」の遥か底の
方を、「残酷で優しい」ルールが常に流れている。

矢張りこういう発想の持ち主は「ロクデナシ」と分類されるのだろうか(苦笑)
 

書いては消し。消しては書きする内に思った事

けびんさんと猫様が再燃し、しのぱさんが見えている。
(けびんさんごめんなさい、今更ながらすげー失礼な事書いてます 汗)

けびんさんが「ある神話」に拘られる様に、あたしは昔高嶋さんと、
後、けんけんZさんの「エヴァンジェリスト」に「何じゃこりゃあ!?
舐めとんかい!」(御両者、すんません 汗 当時の感想です)と言う
第一印象を抱いた事が在る(苦笑)上手いのよ、技が在るから余計に
「納得の行かん所は腹が立つ」のね(笑)

私見「アスカに転ぶ様な男に綾波を愛する資格と理解する能力は無い」と言う
横暴百パーセントな見解が形成されていったのもその頃かしらん?(我侭だ)

・・・なんか確信に変わりつつあるんですけど(こら)

けんけんさんごめんねぇ(汗)・・・「過夏」のレイは凄く可愛いし
素敵だけどやっぱ「違うレイ」なのね。いろんな角度は在るんですけど
それでも「外してるかな?」と思う・・・

「エヴァンジェリスト」に関してはアレですな。2015の時点でナニが終わった
後のシンジのモノローグ・・・自分自身が「相手に何の執着も持っていない」が
故に「自慰としか感じられない」=「最低男の自分が悪い」所をなんか「レイ
の所為にしている」感じ。あのシンジは単に「フェティシズム」しか持ち合わせ
とらんのですわ。「ポルノグラフィの成立要件は『愛情の欠如』」だとか言う説
はどうか解らんが、要は「大抵のメディアにおけるポルノと言うものは純粋に
フェティシズムから成り立っている」・・・エロ本だろうがイベントのコンパニオン嬢
のコスチューム?だろうが。其処に在るのは「モノ・造型としてのオンナとそれを
飾り付ける衣装のデザイン=記号性」であって「欲情の対象は記号とそれによって
イメージを喚起される制度としての『女』」・・・「相手じゃなく、制度に欲情している」
んですな。中身は「一定の条件を満たしていれば代替可能」。

それがポルノグラフィと言うものの本質じゃないかと思う。

それは・・・薄情な話では在るが野郎と言うのは時に「使い終わった
エロ本は見たくも無い」「何でこんな高いものをこんな下らない目的
の為に」「終わった後の風俗嬢に愛想笑いで応じながらも『何でこんな
馬鹿馬鹿しい事の為に大枚叩いたんだろう?・・・申し訳ないんだけど少し
ゆっくり横にならせてもらえる?』などと失礼極まりない事を考える」
・・・と言う反応を往々にして見せる。それは結局相手・対象を「ポルノグラフィ」
としてのみ捉えている=フェテッシュな欲情と興味のみが存在している」
・・・フェミニズム流の言い方をすれば「女をモノとしか見ていない」と言う事に
なる(苦笑)例えば、その客にした所で風俗嬢を「モノ」だの「人格は無い」
などと馬鹿な事は思っては居ない。相手が契約・商取引としてサービスを供給
してくれただけの事だと言うのも解って居る・・・そういう事では無くて結局
「人格やコミュニケーションとは全く別問題として、彼の目的は彼女の肉体や
それに纏わる記号に対するフェティシズムであった」と言う事なんですな。

それをして・・・あの書き方は「気に入らない」と思った(笑)彼女が「人形」
なんじゃない、彼女を「人形扱いしかしていない」「その精一杯のコミュニケーション
に対してフェティシズムと、その好意を踏みにじる事でしか答えられないオナニスト
野郎」が最低なんだ、と。んで・・・それが答えならば「この人は結局フェティシズムの
対象としてしか彼女を捉えていないのね・・・そーゆー人間がアヤナミスト名乗るかぁ?
すっげー迷惑だし不愉快な・・・」とか「LAS書きの人ってこういう自分のフェティシズム
を他人の所為にして悪いと解ってて自己改革はしないのが多いんだよなー」とか酷い事も
考えた(笑)「フェティシストでしかない事に対する罪悪感みたいなもんに取り付かれてて、
その結果アスカに救済を求めてすがり付いて改革しないまま誤魔化してるんだよなー」とか・・・

物凄く酷い事考えてました(汗)ごめんなさい(平身低頭)

結局、汎魔殿の「意見書」とか秘書そおこ女史の攻撃とか、
「余り身に覚えの無い、無茶苦茶な誹謗」が「綾波者一般」充てに
書き散らされるのは「こーゆー人の言動が原因かい!」と言う
少々無茶な方向へ・・・(汗)

まぁ、ね。「フェティシズムの対象としてしか女を見ない」のは
ヲタクに限らず「広く世間一般にありがち」な話だし、ヲタク系
メディアにおいても特に「ギャルゲー」系なんかは色々そういう
傾向が見られ易いんだと思う・・・LASブーム以前にはそれ一辺倒で
綾波ネタをかます諸君も多かったようだし。それに女性の立場から
怒る事は意義の在る事だとは思う。

しかし・・・結局は実体は「批判を受けたふぇティッシュな諸氏」は
「あっさりLASに乗り換えた」だけの事だったんじゃねーの?
と言う疑念は今も在りますな(苦笑)大体そういうアジの大元の
あの御仁にして「筋金入りのフェティシスト」じゃねーの・・・

あたしは個人的に「恋愛とかセックスと言うのは決して恰好良かったり
綺麗だったりするもんではない」と言う感触を持っている(苦笑)
特に男が「スタイルを第一に考える」のであれば「女に無縁」であるか・・・
或るいは「女に対する執着や想いに囚われず、自分のスタイルを仕立てる
為の道具に徹する」しかない・・・少なくとも「男の側から見れば」そういう
もんだと思います。

女に惚れている男と言うのは実際恰好悪いし情けないし惨めな姿だと
思う(苦笑)少なくとも「スタイルに拘ったナルシズム」はズタズタですな。
恰好良く「恋愛する」なんてのは余りに空々しく感じる・・・幻想は「裸のオトコ
の尻」が剥き出しになってる状態で吹っ飛びますな(あはは)

それでも、「恰好悪い・惨めだ」と思いながらも「それでも離れたくない」と
思うから「少なくとも彼女の眼にだけはマトモに映る様に」考えながら、
端からみれば「無様で滑稽」な姿をさらす・・・内心苦虫は噛み潰しつつ。

これはあたしの邪推だけれど・・・某氏ってのは「ヲタクなのは嫌だ・恰好悪い」
「もっとスタイリッシュなのが良い」→「あいつらみたいな無様なのとは違う
んだ」と言う意識に囚われてたんじゃないかと思う時がある。だとすれば・・・
馬鹿な話ですな。「フェティシズムから逃げて、結局自分の「近代的倫理」と
「プライド」を満たしてくれる女に依存する・・・しかし、結局フェティシズムと
ヲタク性からは逃げられない」

なんて事をつらつらと思い出してしまった・・・

けんけんさん、思い付きで書いてごめんなさい(陳謝)

しのぱ様

始めまして(平伏)・・・いずれ、御作、拝見に上がらせて頂く
予定なのですが・・・又宜しくお願いいたします。

(多分、大人の倫理に子供が抑圧される・・・と言う見方だけに
囚われている内は『納得できない』という感覚が在って、その
「結局はカウンターカルチャーでしか有り得ない」と言う部分が
抵抗、なんじゃ無いかと思いますが・・・汗)

(上記構図だと確かにおっしゃる通り綾波は説明不能なのです。が・・・
その世代間の問題を「代替わり(実質的にはEOEで破綻・失敗)・
王権交代としての通過儀礼の物語」として捉えた時彼女の「わかろうと
したの?」の意味が少し見えてくると思う訳ですね。大人と子供の間
に明白な線引きなどありません。確かに・・・が「支えられた枠の中に
住む存在」と「その枠を支えている存在」と言う立場で仮に「大人」
「子供」と言うのを捉えたとすれば、「子供」の側に居るシンジ(アスカも)
、両者の橋渡しの上に居たレイ、と言う構図が見えてくるのではないか、
とも思っています。)

とりあえず・・・訳解らんな<あたし

まうー。
 


【名  前】けびん
【タイトル】珍しく職場からレス
  06/23 12:12
Mail: itirokai@gol.com
URL:
【メッセージ】
仕事の関係上、一時的に職場のネットワークが外に繋がったので、
昼休みを利用してカキコ。
何時も、こうなら便利なのに・・・。

☆MEGURUさんへ

はじめまして(ぺこり)
やっぱり反応してくれましたね。
“補完”と“カウンセリング”という単語がセットで出れば、必ず
MEGURUさんが突っ込んでくると思ってました。

>自分の感情を埋め合わせるために、他人の著作物に介入する
続編に限らず、今エヴァネット界でFFを書いている人の多くは
エヴァのオリジナルに納得がいかない所が在り、その不満を
解消する為に、最初から本編を再構築するなり、途中から分岐
させるなり、その後の続編を自分なりに考えるなり、または
エヴァのオリジナルの暗さを一切省いた明るいラブラブモノを
書くなりしていると自分には感じられます。

>続編を書くというのは恥が欠落して
とのことですが、僕の見解では続編を書くのは浪漫の成せる業だと思います。
(まぁ、それは続編に限らず総ての分野に共通して言えることでもありますが)
浪漫とはようするに可能性の世界。
僕から見ればエヴァというのは、“無限の可能性を秘めた最高の失敗作品”
であり、庵野監督とは異なったモノサシの同人作家達がそれぞれ自分の
モノサシで自由に作品を書いているからこそ、様々なジャンルの作品が
生まれ無限の可能性を見せているのだと思います。
勿論作品とジャンルに対する好き好きはあると思います。
MEGURUさんが自作のような補完モノが嫌いなように。
(自分も最近人様の作品をほとんど読めなくなってきましたし(汗))

>自分の感情を埋め合わせるために、
それは別に続編に限ったことではないと思います。
本編再構築、分岐、別世界総ての分野に平等に言えることですね。
>他人の著作物に介入するというのは敬意と品性に欠ける行動
だとすれば、続編こそ最も作者に対して敬意を示した作品のよう
な気がします。(MEGURUさん流に解釈すればですが)
本編再構築、分岐と異なり、その作者(庵野監督)が作った世界
に敬意を表して、本編の設定を一切弄ること無く、それからさらに
想像の翼を羽ばたかせていくわけですから。
(“品性”に関してはMEGURUさんの品性の基準が良く分からな
いので割省)

尚、
>精神曲線が交わることは一生ないだろう。
というのはまったく同感。
その上でお互いのモノサシの違いを堪能出来れば…と思ったのが
議論が苦手な自分が総合掲示板に顔を出した理由です。

で、MEGURUさんの“救済考”正直面白いです。
こういう他人の“本音”が聞けるのがこの掲示板の一番の強みですね。

>極端な話、治療者に意図があるならば、患者をいつまでも立ち直らせ
>ないことも可能なのだ。
>悪意と知識と経験を持った人間ならば、「立ち直った人間」に過去の傷を
>思い出させ、元に戻すことが可能だ。
この辺りは自分も同感。
だからこそ、砂漠谷さんは“言葉”(は人類史上最大の発明であり…と同時に
最も人を傷付ける最悪の“凶器”となり得る)に“何らかの意図的な悪意”
を介入して使う人間(“悪意”の有無自体はあくまで砂漠谷さんの主観でしたが)
を“法”、“理論”の枠組みを越えて“斬って”きたんじゃないかと思います。

ですが、
>自分の心を救済できるのは自分だけなら、自分の心を救済しないままでいさ
>せることが可能なのも自分だけ。
という等量的な法則にMEGURUさんとは違った見解からちょっと疑問有り。
物理・精神世界の両方に言えることだと思いますが、ポジティブな方向へ
進むのとネガティブな方向へ進むのでは、例え進む距離が同じだとしても
その為に必要なエネルギーの量は決して等量ではないのでは…。

物理世界で言えば、“何かを壊す”(花瓶・料理・人間・国その他色々)
という物事をネガティブな方向へ導くのに
必要なエネルギー(時間、労力、物質等)は極めて少量ですみますが、
“何かを作る…または修復する。”という物事をポジティブな方向へ導くのに
必要なエネルギー(上と同様)は極めて多大な量を必要とすると思います。
(むろん例外は必ず存在すると思いますが、上の例の逆の現象は本当に稀
でしょう。)
だとすれば、精神世界にも同じことが言えるのではないですかね。
ようするに精神病の患者をポジティブな方向(回復)に導くエネルギーと
ネガティブな方向(さらなる自閉)に導くエネルギーは決して等価では
無いのでは…ということです。

後半部分のカウンセリングから離れた記述に関しては、特に意見は無いので割省。

こらから先も自分は自分の勝手な事情でカウンセリングに関して好き勝手な
“素人意見”を書いていく予定ですので、MEGURUさんはMEGURUさん
の事情で興味が持てるような記述を見かけたら、また今回のようにつっこんで
もらえたら、また楽しくなりそうです。

それでは、また…。