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(ろぐ129)


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ここはわたくしフランソワが逃げた兄に代わり仕切っていた(過去形)掲示板ですわ。
大体何でも好きに書き込んで下さって構いませんわ。わたくしが気に入らない書き込みはプチ消しますけれどもね。ぷん。


【名  前】BLEAD
【タイトル】ねっ(……オイ)
  12/09 00:43
Mail: blead@fat.coara.or.jp
URL: http://www.coara.or.jp/~blead/
【メッセージ】
 今日は卒研を寝坊してそのままサボってしまった。
 布団から出たくなかったのだ…いかんな。
 mp3がエンドレスで流れている、ビバップのサントラだったりダイナギガのOPだったり
まぁ様々、lainのOPEDも両方ある。
 んな状況で何をやっていたかというと…何もやっていない。
 まさしく不毛の大地という奴である。
 冷静に考えるとここ数週間何もやっていないに等しい、卒研のプログラム弄ったのが最後に
まともに「何かをやった」行動ではないのだろうか?
 はっきり言ってやばい。

笑い猫さん
> アニメ版Layer:08冒頭の「あなたも傷つきたいの?心をヤスリにかけられるような
>思いがしたい?だったら、絶対に目をそむけないで」というのをなぜか思い出した次
>第です。

 ぎゃぁ!
 ん〜、心に鑢かけられるのは…柊子センセは結構気に入ってるんだが…

>って
>いうか清潔感が無くなった時点でリストから抹消かなって次第なのは我侭でしょうか、

 いえ、社会生活を営む人間としてなかなか的確な選択でしょう。
 喩えるなら、徹夜3日のプログラマは人間ではないという事でしょう、少なくとも社会的で
はないですな、風呂入ったら社会的人間に戻れるだろうけど。
 戻ることを止めたら社会生活は営めませんし。
 で、俺に清潔感とやらがあるか? となると……はっはっはっあんま自信ないや(苦笑)

ファーストアヤナミストさん
>相変わらずアスシンにはゲロ甘で大人にはキツイ。
 俺のようなガキにもきついものが多い、というか大半はただの現実から逃げてるドリーマー
であるのでしゃぁない、というかあぁうので良く出てくるシンジの口説き文句で落ちる女を見
てみたい、というか落とせないから現実の埋め合わせをしているのだろうが。
 けんけんZさんのように甘いと見せかけてなんか油断できない話を書く人は良いのだが。
 KAZUさんもドリーマーだという話が卒業した先輩(まぁKAZUさんと共通の友人とい
う訳)というのが出た、ドリーマーな部分さえ無くせばテーマという部分で俺はKAZUさん
を評価している。芯のないそこらのゴミよりはずっと良い。
 話が相変わらず矛盾しながら関係ない方向へ行っているな。

そんだけ。


【名  前】鯖@酔っぱらい。
【タイトル】うにゃ?
  12/09 00:09
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
ふああ・・・

成長拒否と言う怠慢や他人の不幸を省みない自己憐憫、
自暴自棄な八つ当たりと自己破壊・・・

まぁ、人間聖人君子にゃなれない、誰にでも見られる「愚かさ」
っすけどね(苦笑)

けどそれは「純粋」と対極にある「汚さ」だわ。
自分がどうしようもないと解っているくせに、他人・周囲に
それを転化して「僕は悪くない・お前が悪いんだ」と言いつづけるのは。

造られたチャイルド・アビューの記憶、立ち上がる事を拒む口実。

弱い事は決して「美しく」などない。それから逃げずに見詰める態度は
美しい。しかし・・・「それに甘んじる事程汚い真似はない。」

それを許さないのが「誇り」の筈だから。

ねごと♪


【名  前】鯖@酔っぱらい。
【タイトル】はつあげ。
  12/08 23:57
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
又は「初搾り」。その年(醸造年度ととっても可。)の造りに
おける最初の搾り。(モロミを圧搾して酒粕と原酒を分離する)

故に酔っ払っているのれす(説明をはしょるな!)
元蔵人に陸自OB(っつーか警察予備隊OBと言うつわもの・・・)
な人がいて、飲みに来てたもんだから又色々説教を伺う(笑)
(あんたら大学出の小隊長は・・・とまあお馴染みの話。)

まぁ、Uの幹部上がりなんてんなもんだ(苦笑)

何にせよ、まぁ一段落。杜氏さんから秘伝のれくちゃーを受ける(をい)
中身は(杜氏・蔵元の)一子相伝らしいのでないしょ。って言うか企業秘密だ(笑)

まぁ、大体予想どうりの軌道に落ち着いてますね(笑)>T.OKAさん

方々に話が振れたけど。アダム・スミス以来の原点に近づいた訳だ。
(只、国家乃至企業生存の為に介入等が戦略として必要、或いは
「現実問題として市場そのものに偏差が存在する為、人為的対策を
取らなければそれがウィークポイントになる」と言う観点からある種
の規制(法)は必要、と言う所が『現実認識に鑑みた結果』夜警国家
ではリスクが大きい、と言う相違点になる訳だ)

まぁ、これなら「争点自体の消滅」は避けられますわな(笑)

(快楽原則の「ベクトルか目盛か」・・・「限界効用」に関する部分から
すれば、個人的には「快楽の極大化」と言う用語より(どうも自分的に
誤解を招く元になっている・自分にとっつき易い言葉ではないので)
以後個人的に「自己状態の最適化(傾向)」と言う用語で代替させて
もらうとしましょ。あたしとしてはこっちの表現の方がしっくりくるし、
そう違うニュアンスでは無いっしょ?)

で・・・倫理は倒錯か?と言う問題に一端立ち戻り・・・

T.OKAさんの説を省みるならば「倫理を人間が『意識的』に伝承し、
当該個体がそれを遵守しているとすればそれは基本的に『長期的な個体利益
追求を目的とする生存戦略』である(多分に無意識的な部分もあるが)、
しばしは見られる『明らかに個体保存に反するが如き行動(自己犠牲等)を
取る個体』に関しては『倫理と言う手段が一人歩きし、その仮定で手段と
目的の倒置が起こった結果』としての『変則例』である(=倒錯)」

と言う事で問題ありません?

この時点で所謂「倫理的行動」には・・・

★ 「意識的戦略」乃至「自己保存の為の無意識的な種の文化」としての
文化的戦略

☆ 「戦略」としての刷り込み仮定で「目的と手段の倒置」を起こした為の
倒錯

と言う二種類のケースが存在すると言う事になりますな。
(故に「それは倒錯である」「倫理は倒錯か?」と言う議論が噛合わなかった)

此処で両者を分けるのは「長期的自己保存にとってそれがプラスかマイナスか」
と言う事・・・(読み違いの結果、と言うのはこの際除外)

しかしながら時に「全体的現象としては」「マイナス選択(つまり個体単位では
明らかに倒錯)をする個体」の存在が「その群の優位さを生み出す」傾向を持つ・・・
(結果論としての『種の保存』から行けばそうなる?)

と言う不思議な話になりません?

基本的に「逸脱した変異体・鬼子(偶然の産物)」の存在が「群を救う」とすれば。
(白蛇や白猪が『神』として祭られるような感じだな、なんとなく。)

それこそ「神の介入」か?それとも「奇跡」?(をいをい)

ま、T.OKAさんが「模倣子、あるいは情報のプールとしての種」に
関する所で述べた「生存確率の高い自己犠牲的個体」ってのは「戦略(囚人の
ゲーム的な)としての倫理を遵守する個体」の事で、単にそれが「ルールを
守らない個体の多い群(つまり長期的に損な戦略をみずから取っている単なる
愚か者?)」よりも生存確率が高い(有利な戦略を用いているのだから当然
ではある)と言うだけの話だ、そういう意味ではない、のかもしれんけど。

(しかしそれなら「自己犠牲的」なんでなくて単に「戦略に長けている」
だけ(相手より智恵が廻る・闘いが上手い)の話なんじゃ・・・)

それに「結果としてその遺伝子が(本人の意思と関わりの無い所で)保存され、
(これまた本人がまったく意図していない生物的な意味での)利益を得る」
と言うのは「その替りに個体が著しい・再起不能なダメージを受けた」場合
は勿論として、そうではなくても「本人は何ら個体としての利益は(倒錯の
結果の異常値としての固有の快楽を除いては)受けていない」と言う話に
なりません?・・・つまり「異常感覚としては快楽であっても、生物本来の基準
に照らせば明らかに逸脱・自己破壊と言う理不尽な行動」・・・)

これは「次世代として見れば」の部分にに掛かってくるんですが。

(もしも「倒錯としての倫理」の存在が結果的に「種の保存」に効用を
及ぼすとすれば・・・「全ての個体が『自己最適化(正常な形での)』を図る
普通の群」が克服できないような異常事態を「異常因子を含んだ群」はその
結果として克服可能である・奇跡的生存を達成する可能性がある・・・と言う
ものすごい話になりますが・・・)

そうすると・・・「神の介在」はともかく「生物としての最適状態」の定義は
「単に知覚し易い基本的快楽」は無論(努力の項のサッカー練習のジレンマ
の話でもありましたが)「個体保存の為だけに設定されているのでは無いかも
しれない」と言う見方も出て・・・まさかとは思うが。

(つまりね、今までの説と「逆」に見えるかも知れんけど「生理的感覚としての
種の利益が個体保存を上回る快楽である」と言う機構が在るのかもしれない・
顕在化はしてないが・・・(ガイア仮説とかにかなり近い)と言う話。)
それと「最適化」に関する事を少し・・・明日にでも。

落ちそう。

まう。


【名  前】ファーストアヤナミスト
【タイトル】眠羊
  12/08 23:51
Mail:
URL:
【メッセージ】
 いつのまにやら眠羊へのリンクが張られている。
 相変わらずアスシンにはゲロ甘で大人にはキツイ。
 どこが面白いのかさっぱり分からないSSを書いているシロクマ氏以外はチルドレンよりも
サーティーズに近い年齢のはずだが・・・・。
 自虐趣味でもあるのか、それともああ主張することでさりげなく、「自分はあれよりも立派
な大人です」とアピールしているのか。

 ただ言えるのは彼らはエヴァを「純真な子供達が外道な大人達に潰される話」だと思ってい
るらしいということか。
 自分では、子供が駄目で回りの大人も駄目だとどうしようもない、という話だと思っている
のだが。

 話は変わるが、あそこではエヴァとの対比でランバ・ラルが人気だったが、彼が戦争初期に
核の無差別使用で五十億人を殺した内の一人だった可能性には気づいていないらしい。
 一面的な見方というのは良くないな。


【名  前】T.OKA
【タイトル】(3)「種(群、組織、会社、国)の利益」と「個の利益」の一致
  12/08 17:15
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
「「戦争論」(?)の前に」の前段
>前述の「生理的に各種傾向が・・・」と言うのがあくまで「結果論」
>であって(形質獲得等にしたってそうなんだけど・・・)別に
>「そう設定されている訳ではない」と考えるのが妥当なんでしょうが・・・
>(中略)
>故に「倫理というのは種の傾向として存在する」
>(模倣子(ミーム)説は面白いが完全に納得出来るものではないと思いますけどね。
>ガイア仮説とかと同じで・・・決定的な『確証』と『何故そうなったのか』という事を
>論証できない点において。『そう言う傾向が在る・そう考えると説明できる』という
>点では四大元素説とか陰陽五行の類とあんまり変わらない。)

>仮に其処まで認めたとして・・・

 ということで、ミームはともかく、「神の見えざる手」に書いたことの半分はきちんと
書いてある。・・・無駄なことを書いてしまった。
 でも、後半部分はやっぱり理解されていない・・・。

>(つまり行動原則の基本は「自己保存を前提とした個体の利益・快楽」であって其処から出ない、
>其処からの逸脱は「変則」的ケースである)→(しかし結果的に「生存性・効率性」を追求すると
>他者の利益を保証せざるを得ない)→(故に大幅な利益偏差は発生しない・バランスの維持)

 私の考えは、それで良いです。

>これに対して「自己保存が他者の不利益を生じさせるケース」等についてのリアクションから
>倫理等に付いて考察すると言う話だったのが・・・

>其処で「個体は遺伝子の伝播手段であり、全体としての情報のフローのプロセスに過ぎない」
>と言い出したら「争点そのものが消失」するじゃないですか(笑&爆)

 争点は損失していません。常に、「自己保存を前提」に戻っています。

>「種・全体バランスの維持→種・全体の最大利益の追求」=「生物目的・人間の快楽に見られる
>傾向」と言ってしまったらそれはその時点で「利己的でもなんでもない」・・・極論すれば、
>「人間は元来利他的で倫理的な生物なのだ」と言ってしまっている様なもんですわな。

 だから、そんなこと言っていません。
 長期的な視点に立てば、「神の見えざる手」のシンジの立場に、個々の人間が立つと言うことを
言っているのです。あくまで、自己保存が原則。

>(脅威度の低い状態では個体利益を通常どうり追求しているが、種としての脅威が高まれば、
>種全体を個体利益より優先して維持しようとする傾向が強い、その傾向を持つ者が結果的に
>生存し、次世代にそれを伝播する・・・非常に「理想的」じゃないですか、それじゃ。非の打ち所が
>無い苦笑)
>「種そのものが目的」と言う話になったところで「個体利益」と「全体の利益」の区別は
>消滅してしまうので(対立仕様が無くなるので)争点一個消滅?

>しかし・・・そうかね、実際・・・
>(そうだったら良いんだけどね、凄く。)

 「種全体」の利益を「個体利益」に優先する傾向を個体が持つ必要は全くありません。
 ではなくて、「種の存続」の危機において、

1 個人の利益とか意思とは無関係に、自動的に「種の存続」の危機から脱するためのオート・
 スタビライザーを備えること、又は、

2 「種の利益」(或いは「群の利益」)と「個の利益」を個人の実感レベルで一致させること

 が出来ない種(「群」)は、滅びる運命にあると言い換えた方がよいわけです。

 1の例は、のりさんの湖の捕食者と被捕食者の関係があてはまります。
 例えば、同類の捕食者の人口(?)密度が多くなってきたら、産卵数を減らし、人口密度が
低いと産卵数を増やすというような習性が捕食者に組み込まれていたとすれば、湖の中の
捕食者と被捕食者の数の関係は、定常状態になるか穏やかな上下の変動を繰り返すことになり、
明らかに捕食者はその湖の中で生き延びていくことができます。

 しかし、捕食者がそのような産卵数を調節する機構をもたないとすると、捕食者が増えすぎ、
被捕食者が補食され尽くされて、両者とも絶滅する可能性が高くなります。
# 勿論、この場合に、一番ありそうなのは両者とも絶滅寸前まで行き、次にまず、被捕食者が
#爆発的に増え、遅れて捕食者が爆発的に増え、また両者が絶滅寸前まで行くというサイクル
#ですが・・・

 2は、人間にあてはまるわけですが・・・
 例えば、労働組合運動と会社の関係を考えてみましょう。
 会社の業績が好調のうちは、組合はストライキでも何でもして、何がなんでも労働時間の短縮、
給料と福利厚生のアップを勝ち取ろうとします。これは、組合員から見れば利己的利益の追求です。

 しかし、その結果、業界標準と比較して人件費が高くなりすぎたとします。
 次に来るのは、当然、会社としての競争力の低下であり、業績の悪化です。
 ここで、組合員は、二つの選択肢があります。一つはストライキをして、今年も待遇改善を
求めることであり、もう一つは会社の競争力回復のために給料カットを受け入れることです。

 この組合員は、会社の競争力回復を優先し、短期的な自分の給料の低下を受け入れているわけ
ですから、一見、個人の利益を犠牲にして会社の利益を優先しているよう見えます。
 が、別にそれは会社のためにやっているわけではなくて、将来の雇用の確保という自分の利益の
ためにやっているのです。
 つまり、現在の不利益と将来の利益を比較して、より自分の利益になる方を選んでいるに
過ぎないわけです。

 ところで、そもそもの前提として、人間は「個人の利益のために組織を維持する」のですから、
このような「組織の危機」(種の危機、群の危機)においてさえ、「個人の利益」と「組織の利益」
が一致しないようでは組織として存続する価値がないことになる。
 というか、一致するような組織でなければ、そもそも作る価値がないのですから、そうでない
組織など希な筈です。(途中で変節して、機能低下を起こすことは十分に考えられますが。)

 何も、崇高な「個人の利益よりも全体の利益という倫理」などというものを持ち出す必要はない
わけです。

>別に性悪説を説いて、「故に人間は規範によって拘束しておかなければ
>ならない」と言う話じゃないんですけどね、あたしの思ってるのも。
>只、「種として自然状態から逸脱してないか?」とか「その侭ほっといて
>種族維持の為の規範(同時にそれが種の価値?)が伝承されるのか?」とか
>言う話。そう楽観的にはなれない。どうしても・・・

 繰り返しになりますが、「倫理を伝承する」方が生き残る確率が高いという話をしているので
あって、「人間ならば必ず倫理を伝承する」とは言っていません。
 「倫理を伝承」しなければ、死ぬ確率が高いと言うだけなのです。

 実際にも、内戦のベイルート(東洋の真珠が数年で瓦礫の山)とか、ユーゴとか、北アフリカ
諸国の一部とか、「群」単位であっても際限ない利己的利益に走れば、国破れて山河ありとなる
例があるわけで、突っ走る場合も多い。
 でも、そうなれば、国はめちゃくちゃ、国民は悲惨でなんにもよいことが無いため、国として
存続できなくなることが多いわけです。
 つまり、単に、そういう規範が伝承されること無ければ、人間が滅びる(或いは日本という国が
滅びたり発展途上国の仲間入りをする)だけのことです。

 前の話の流れから、国についても「個人の利益のためにならないのであれば維持する価値はない。」
とすれば、上の結論は当たり前の結論に過ぎません。

 逆に、種であろうが、群であろうが、組織であろうが、その危機において、「個の危機」と
シンクロできれば存続する可能性が高くなります。

# これの悪い応用として、国が戦争状態にあるときに、「兵役拒否は銃殺」とするなど、
#「同じ殺されるなら戦争の方が生き延びる可能性があるだけまし」という状況を作り出すことですね。

 問題は、日本という国がそういう無理をせずとも、「個の利益」と「国の利益」が一致する組織として
設計されているか(そうじゃないと国がつぶれたり、難民が発生したりする)です。
 で、今の規制過多の状況では、「国の利益」と「個の利益」が多少一致していないので、少し規制緩和
しましょうというのが、今の状況なのだと思います。

# その設計は一次的には政治家や官僚がしているわけですが、しかし、それはある意味国民の
#総意でなされています。
# 例えば、政治家や官僚に自らなって自分で設計の一翼を担うというのも、自分の代わりに特定の
#政治家に投票して設計を委任するというのも、自分に関係ないからと言って、投票を棄権して
#誰でもよいから他人任せにするというのも、どれも同じ一つの選択です。

それでは。


【名  前】T.OKA
【タイトル】(2)相対的快楽、ただし、閾値と限界効用に注意
  12/08 17:14
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
>「苦痛回避」=「快楽の増進」と言う「ニュートラル状態を考えないコインの
>裏表的前提」である様なので(前述したが如く)あたしの仮定はT.OKAさんの
>説には意味を持ちませんが・・・

>(相対的に「苦痛が軽減される事自体も快楽と見なす」のであれば「苦・快」という
>のは矢印の向きの問題になる・・・あたしはパラメーター上のポジションと言う認識で
>言ってたんですけどね・・・(生理や心理へのマイナス方向への圧迫が消滅し、安定を得た
>時点をニュートラルと設定するのはちと困難なので、まぁ明らかに心理・生理に悪影響を
>及ぼされていると本人が認識しなくなる時点を考えた。極端な話、「完全に不可触賤民状態」
>の人が何らかの影響で「村八分」(葬式くらいは出してもらえる)に軽減された所でそれが
>「快い状態」とは言えませんもの。)

 私自身は、基本的には符号(快楽か苦痛か)が問題なのではなくて、相対値(より快楽か、
とか、より苦痛が少ないとか)が問題だと考えています。

 それともう一つ問題なのは、「閾値」と「限界効用」ですね。
 暑い日に100円のアイスをどうしても食べたいと思っている人にとっては、1円も10円も
同じ価値しかありません。つまり、アイスを食べれないのであるから価値は0です。
 これが低い方の「閾値」。
 逆に、たらふく水を飲んだ後の人にとっては、バケツ一杯の水もバケツ2杯水も同じ。
いずれしても飲めないのだから、価値は0。これが、高い方の「閾値」。
 砂漠で脱水症状寸前の人にとっての水一杯と、基本的に喉が乾いていない人の水一杯は、
前者の方が価値が高い。つまり、前者は時計と水を引き替えたいと思うかも知れませんが、
後者の人は100円でも高いと思うかも知れない。これが、限界効用の低減。

 鯖さんの例で言うと、「村八分」が低い方の閾値を超えていないとすれば、「不可触賤民状態」
との区別は無いに等しいですし、逆に超えているときは、「限界効用」から類推すれば、かなり
高い効用があることが予想されます。

>まあ、例えば「決壊した堤防を土嚢で埋めている(水害に遭っているのだからその時点で
>完全に不幸)と水の勢いが徐々に弱まって来たので嬉しい(実際マシになっただけで基本的に
>幸福な訳ではない)」のも「立派に快楽ではないか」と言われたらそれまでですが。

 だから、そう言っちゃいます。正しくは、「立派に「より」快楽ではないか」ですが。

それでは。


【名  前】T.OKA
【タイトル】(1)神の見えざる手
  12/08 17:13
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
 自然淘汰では、それに参加している個々の個体が「種の保存」を意識する必要は全くないし、
「種」が何か能動的意識を持って、個々の個体に役割を割り振る必要はありません。

# その方が競争上有利かも知れませんが、必要条件ではない。

 経済学で言えば、需要者も供給者も、効用最大化のための資源の最適配分(経済的効率の達成)
を目的として行動しているわけではありませんが、完全競争・情報の対称性・サンクコストゼロ
が確保された市場へ参加した場合には、個々の欲求に忠実に自己の利益の最大化だけを考えて
行動するだけで、不可避的に最適価格、最適供給量が達成されしまうのに似ています。

# ただ、経済学の場合には、完全競争・情報の対称性・サンクコストゼロを満たす市場という
#のは現実には存在し得ないので、「規制」による介入が正当化されるわけですが・・・

>人間は通常「意識上においては」恐怖心・苦痛・嫌悪感、あるいは快楽等に
>よって「個体維持」を優先するよう初期設定されていますが・・・(この辺は
>異存ありますまい。)「自己犠牲的傾向」と言うものは「後天的に刷り込まれる」
>結果、と言う説と(つまり情報蓄積・分析によって生まれた『文化』としての『戦略』
>である、という事)少々矛盾してくるのではないでしょうか?

 後で説明しますが全然矛盾しません。

>それだと「生理的に自己犠牲的傾向・倫理的感情を持った個体が一定割合で種保存の
>為に設定されている」と言う事になる。

 生理的にそうである人が居ても構いませんが、「後天的に刷り込まれる」人だけでも
全く構いません。また、目的的に「種保存の為に設定」されている必要もありません。
 これを説明するのに、そういう目的意識は全く必要ありません。

 「囚人のジレンマゲーム」で考えてみます。
 一般的な状況(「常に裏切り」の人しか居ないような特殊な状況(注1)を除く)では、
このゲームで高得点を挙げるためには、「基本的に協力。ただし、裏切られたら復讐。」を
選択すれば良いことは前に話しました。

#注1 「常に裏切り戦略」の人しか周りに居ない状況では、最初に出す「協力」が最後まで
# 響いて「協力&復讐戦略」は一人負けしてしまいます。
#  しかし、このとき、他の「常に裏切り戦略」の人も、たった一人の「協力&復讐戦略」
# の人には勝てても、他の「常に裏切り戦略」の人との間では低いレベルで同点ですので、
# 全体としては決して高得点を上げるわけではありません。
#  逆に、「協力&復讐戦略」が多い他の「群」の人は、平均的に高い得点での同点が多く
# なります。
#  つまり、この場合、「常に裏切り戦略」群の「常に裏切り戦略」個体と、「協力&復讐
# 戦略」群の「協力&復讐戦略」個体と比較した場合、ほぼ確実に前者の負けになります。
#  また、「群」としても、「常に裏切り戦略」群の総得点が非常に低くなっていますので、
# 群同士の競争でも負けてしまい、長続きしません。のりさんの湖の例で言えば、捕食者しか
# 居ない湖のようなもので、「常に裏切り戦略」群はすぐに死滅してしまうことになります。  
 
 ここで、重要なのは「協力&復讐」という行動パターンであって、その行動パターンを
とる動機ではありません。
 つまり、それが生来の「生理的」なものであろうと、熟慮の末の「ゲーム理論に基づく戦略
的思考」に基づくものであろうと、「経験的」なものであろうと「感情的」なものであろうと
何の関係も無いわけです。
 動機がどうであれ、「協力&復讐戦略」をとった人が「結果的に」より多く生き残るだけの
話に過ぎないのです。

 だから、「生理的」に「協力&復讐戦略」をとる人が居ても構わないわけですが、
居なくても特に困るわけでもない。
 「文化」(これがミーム)として、そういう戦略をとることを後天的に条件付けすることが
出来れば、ゲームでの行動の観点からは何ら区別がつかない。
 そして、その後天的な条件付けは「ゲーム理論に基づく」必要さえもなく、単に、経験的に
「和をもって尊し」とするだけで十分。
 大事なのは、そのような「文化(=ミーム)」を確実に継承していくことだけです。

 さらに、そのような戦略をとる「個体」は、「種の保存の為に」目的的に保存されている
わけではありません。単に、そうでないと生き残る確率が低いので、結果的に多く生き残る
だけの話で、「個体」が「種の保存」を目的とする必要はないのです。
 単に、自然淘汰による生き残る確率の問題に過ぎないのです。

>自然法?・・・つまり当該個体においては一般通念的な「禁欲的態度」とか「献身」とかが
>「快楽乃至苦痛の回避」になり、それは該当しない個体にとっては「不可解な態度」に映る、と。

>(敢えて飛躍するならば、それが「競争的傾向」や「全体優先傾向」を発生させる要因だと?)
>で、結果的には方や「不利益回避」の為に、方や「自然的欲求から」どちらも「倫理的基準」に
>従わざるを得ない、と・・・

 前半は、自然淘汰の過程をあまりにも目的論的に見過ぎです。
 「競争的傾向」や「全体優先傾向」というのが種の保存の目的のために発生するのではなくて、
どちらがより多く生き残ってきたかというのは、自然淘汰の結果に過ぎません。
 だから、「倫理的基準」と言うのは、経験的に導き出された自然淘汰を勝ち抜くための最良の
戦略の最大公約数と言えないことも無いのです。

>故に「如何にルールを甘くし、あるいは半強制的に弱者保護の対策をとらずとも『倫理的目的』は
>自然に達成される」と。

 そんなことを言っているわけではありません。
 「ルールを甘くしすぎ、全くの弱者保護の対策の無い社会」は、「群」としての平均的な富が
低くなり(「囚人のジレンマゲームで言えば、「常に裏切り戦略」の人だけで構成された「群」)、
例えば「協力&復讐戦略」の人が多い「群」との競争には負けてしまうことになる。 
 従って、そのような社会は長続きしない。逆に言えば、「群」が生き残るのであれば、必然的に、
必要な範囲で「弱者保護」が組み込まれていなければならない。と言うことです。

 で、今の日本で言う「規制緩和」は、現在の規制下でこのような「協力の強制」が行き過ぎて
いる部分があり、それによって一方的に損を被っている人がいる。
 だから、一部に「競争」を入れろと話が出ているだけの話で、「弱者保護」をやめろと言って
いるわけではないのです。
 しかも、この場合に「協力」によって儲けているのは「既存企業」であり、損をしているのは
「新規参入企業」と「消費者(いわゆる弱者)」であるという理念に立っているわけです。
 だから、そんなに心配する必要が無い部分がある言っているのです。
# 規制緩和の具体的内容は長くなるので別の機会に。

> ・・・なんか余りに楽観的なような・・・

 これは楽観的と言うよりも、むしろ、個体として生き延びるための厳しい現実の反映です、
 つまり、これを自然淘汰の側ではなくて、それに参加する個体の側に立ってみると、例えば、
シンジがエヴァに搭乗すべき否かという問題に似ています。
1 もし、シンジがエヴァに搭乗すれば、戦闘で負傷して死ぬかも知れない。
 (もし、協調的な行動をとれば、一時的に大損してしまうかも知れない。)
2 もし、エヴァに搭乗しなければ、少なくとも戦闘で死ぬことはない。
 (もし、裏切りを選択すれば、少なくとも目の前の相手よりも損をすることはない。)
3 しかし、エヴァに搭乗しないと、結局の所、シンジを含めて人類は滅亡してしまう。
 (しかし、裏切りを選択すると、「群」全体の誰もが勝者になれずに、他の「群」に負ける
  可能性がある。)
 だから、自分が生き残るためには「協力」を選択する方が結果的には有利。

ということです。

>(それだと『倫理基準』というのは生物目的に合致した必然的基準であり、基本的には人間は
>其処からの逸脱を避けるように出来ている、と・・・性善説じゃねーか、これは・・・)

>人間以外の動物に関してこれを言うなら、何の問題も無いとは思いますけど。

>結局「人間の欲求は元々全体性(倫理性)を追求するように出来ているものであり、極度に利己的
>になる事は健全な?状態としてはあまり無い、故に自然に(外的要因としてのルールを設定せずとも)
>過度の競争による弱者排除は抑止され、基本的に福祉が損なわれる事は無い」と言う訳ですか・・・
>その説によれば・・・

 もうお分かりと思いますが、「人間の欲求は元々全体性(倫理性)を追求するように出来ている」
ことを仮定しているわけではありませんし、「過度の競争による弱者排除は抑止され、基本的に
福祉が損なわれる事は無い」ことを保証しているわけでもありません。

 単に、過度の競争により基本的な福祉が損なわれている「群」は、「群」として生き残る確率
(或いは群全体の富)が減るということを言っているに過ぎないのです。

 従って、私の理解に従って言い換えるとすると

1 「もともとの人間の欲求が、全体を追求するもの(倫理的個体)であるか、個々の利益を追求する
  もの(利己的個体)であるかとは無関係に」

2 「普通の状態においては利己的な個体の生き残る確率は低く」、

3 また「利己的個体が増えすぎた「群」の生き残る確率も低い」ため、

4 「結果的に、生き残った「群」を観察すれば、そこには倫理的個体が多く観察される。」

ということです。
 当然そこでは、死滅してしまった「過度に利己的個体」と「利己的個体が増えすぎた「群」」
の屍の山が隠されている。ということになります。

 現実の例で言えば、内戦ばかりやっている国と、国内が平和的に統一されている国とを
比較すれば、多分、後者の国の国民の方が平均的には圧倒的に幸せである。
 と言うのが、最も近い例だと思いますし、内戦が余りにも激しい国は、長続きせず、
すでに地図上から消えてしまっているということなのでしょう。

それでは。


【名  前】笑い猫
【タイトル】炭酸抜きコーラ
  12/08 14:42
Mail:
URL:
【メッセージ】
 やや頭痛気味でミス悪役ヅラな今日この頃、笑い猫でありますです。
 タイトルには深い意味はないです。いつもの事でありますですけど。
 

>BLEADさん
    やってたら時系列でなんとか判ります、まぁ全然進まないってのが実状ですが。
    ビデオと違って能動的に鬱になる作業をする羽目になりますので、意識的にそれを避けよう
   とする程度の自衛本能は残っているらしいです。

 進めば進むほど、いい塩梅ですな。何というか、柊子が。
 アニメ版Layer:08冒頭の「あなたも傷つきたいの?心をヤスリにかけられるような
思いがしたい?だったら、絶対に目をそむけないで」というのをなぜか思い出した次
第です。
 まあ、それほどエグいわけではないですけどね。

    鋼鉄学園、ケイタの末期的な姿を垣間見える友人なら色々と居ますが。

 私も、一部にいますです。人として間違った道に進まない事を祈るのみです、って
いうか清潔感が無くなった時点でリストから抹消かなって次第なのは我侭でしょうか、
って疑問形になってどおするよ>私状態です。
 

>鯖さん
   良いな♪・・・良いですなぁ、VT。アナスタシアやマォ・イェン・ライ、
   ジェッドと言い・・・「イカすおばさん・おっさん」がかくも見せてくれる
   所・・・「伊達に長く生きてない」人達の味が良い・・・

 オヤジやオバサンなキャラがいい味出してるってのは大事だと思う次第です。あり
がちでお約束な雰囲気を出さずにしっかり脇を固めている感じで。大吉です。

   それと・・・フェイかわいいぞ(いろんな意味で)信用は出来んけど♪
   (する方があほなの 笑 其処が良いんだから。)

 自称ロマニーですからねぇ。ホント、いろんな意味で可愛くて大吉です。後10年
くらい修行して、峰富士子クラスのおねえさんになっていただきたいなぁと思う次第
です。
 

 と、あいかわらず意味不明であり脳が煮えてるような書き込み、おしまいです。
 それでは。


【名  前】鯖@・・・
【タイトル】追加
  12/08 01:02
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
しかし、ミームにせよガイア仮説は当然としても・・・
「種の保存と言う傾向」の大枠で結局人間も動いているってのは
物凄く「母性的」な発想だよなぁ・・・

(故にそれが希望なのかもしれんが。)


【名  前】鯖@・・・
【タイトル】続きはあした。
  12/08 00:59
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
戦争論とマズロー(保健体育か倫理社会の教科書を思い出す 笑)
に付いてやるつもりだったが・・・明日も早いので御返事は明日。

単に「性善説と性悪説」な感じになっとるな、これは・・・(汗)

別に性悪説を説いて、「故に人間は規範によって拘束しておかなければ
ならない」と言う話じゃないんですけどね、あたしの思ってるのも。
只、「種として自然状態から逸脱してないか?」とか「その侭ほっといて
種族維持の為の規範(同時にそれが種の価値?)が伝承されるのか?」とか
言う話。そう楽観的にはなれない。どうしても・・・

二等兵氏

CGS試験頑張って♪

(地水火風・・・古来から現在に至るまで戦術とはエレメントを操る事・・・)

まう。


【名  前】BLEAD
【タイトル】遠い叫び
  12/08 00:49
Mail: blead@fat.coara.or.jp
URL: http://www.coara.or.jp/~blead/
【メッセージ】
 あ゛〜、なんか疲れた。
 意味不明の疲労が身体に蓄積されていく、ん〜なんでだろ?
 単に運動不足のせいのような気がして仕方がない、運動不足で疲労が溜まるってのも結構愉
快だが、でもちょっと運動しただけでまた疲れるんだよなぁ…どうしようもないな。

 生命は遺伝子の乗り物である。
 単に遺伝子を次代に受け継ぐ為だけに生命の営みというのは存在している、ならそれは最後
にどんな目的を持っているのだろう? そんな事に大脳新皮質から生じる意識とか言う代物は
単に邪魔でしかないのではないだろうか? 腐る事と滅びる事を助長する無駄に発達した知能
と牙を持たない残虐性。
 人間は自らを発展させるために科学という存在を手にしたが、そのせいで環境というのは悪
化して、結局は自分で自分の首を絞めている。もし生命があることが次代に遺伝子を受け継ぐ
という事ならば、科学技術は間違った技術なのだろうか?
 滅びるために人間は発達してきた。
 人類という種に対する致死遺伝子とやらが発現しているという事だろうか?
 何れにしても人類は黄昏時に立っていると思う。

 などといつもの様に好き勝手書く。
 あむ。


【名  前】鯖@・・・
【タイトル】「戦争論」(?)の前に
  12/08 00:42
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
前述の「生理的に各種傾向が・・・」と言うのがあくまで「結果論」
であって(形質獲得等にしたってそうなんだけど・・・)別に
「そう設定されている訳ではない」と考えるのが妥当なんでしょうが・・・

(文化的累積の結果、「よりそれに適合した文化を持つ種族」が結果的に
残ったと言う意見?野生動物が「手加減」をする習慣を持つのはやはり「親の
監督下において各種の遊戯を通じて感覚的に把握する」んでしょうから・・・)

とすればそれが「脳内分泌等の生理的条件として当初から設定されている」等の
傾向では無いとしても、「人間以前の段階から何らかの形で伝承されて来た」
種族単位の傾向、と言う訳だ。

で、各個体間の誤差により「極度に群重視」なのから「唯我独尊・好き勝手」
なのまでバリエーションが出るが結果的には「群単位でしか生存できないので」
極度に利己的なものは傾向として残り難い、突発的にしか存在できない・・・

(内容がリフレインしているが若干ニュアンスが違う 笑)

故に「倫理というのは種の傾向として存在する」
(模倣子(ミーム)説は面白いが完全に納得出来るものではないと思いますけどね。
ガイア仮説とかと同じで・・・決定的な『確証』と『何故そうなったのか』という事を
論証できない点において。『そう言う傾向が在る・そう考えると説明できる』という
点では四大元素説とか陰陽五行の類とあんまり変わらない。)

仮に其処まで認めたとして・・・

前提事項の事前調整が無い(会議やプレゼンテーションをやる訳ではないので 笑)
為「争点そのものが無意味化する(T.OKAさんの方では一貫しているのかも
しれませんが此方としては「前提そのものを変えられた」所がある 笑)」と言う
状態になってます、これ。(って元々なにが争点だったんだ?>御馬鹿)

当初は「個体にとっての快楽増進」を前提とする「利益の極大化」の話であって、
その前段階として「個体の自己保存」が在ったのでは?
(故に『一見利他的に見えてもそれは個体の快楽追求の二次的産物である』、であるから
それは極めて利己的な行動であり、全ての行為は個体の利己性に帰結する、と言う話だった
筈ですが・・・だから『個体自体の生存を脅かしたり、著しい不快感・苦痛を伴うにも関わらず
条件付けによる利他的行動に快楽を見出す傾向は倒錯であり、目的と手段の倒置の結果である』気
と・・・)→だからあくまで「個体保全・個体にとっての利益乃至快楽」を前提として「個体内で
完結する行動」であることを前提にした話だったのでは?

(つまり行動原則の基本は「自己保存を前提とした個体の利益・快楽」であって其処から出ない、
其処からの逸脱は「変則」的ケースである)→(しかし結果的に「生存性・効率性」を追求すると
他者の利益を保証せざるを得ない)→(故に大幅な利益偏差は発生しない・バランスの維持)

これに対して「自己保存が他者の不利益を生じさせるケース」等についてのリアクションから
倫理等に付いて考察すると言う話だったのが・・・

其処で「個体は遺伝子の伝播手段であり、全体としての情報のフローのプロセスに過ぎない」
と言い出したら「争点そのものが消失」するじゃないですか(笑&爆)

「種・全体バランスの維持→種・全体の最大利益の追求」=「生物目的・人間の快楽に見られる
傾向」と言ってしまったらそれはその時点で「利己的でもなんでもない」・・・極論すれば、
「人間は元来利他的で倫理的な生物なのだ」と言ってしまっている様なもんですわな。

(脅威度の低い状態では個体利益を通常どうり追求しているが、種としての脅威が高まれば、
種全体を個体利益より優先して維持しようとする傾向が強い、その傾向を持つ者が結果的に
生存し、次世代にそれを伝播する・・・非常に「理想的」じゃないですか、それじゃ。非の打ち所が
無い 苦笑)

「種そのものが目的」と言う話になったところで「個体利益」と「全体の利益」の区別は
消滅してしまうので(対立仕様が無くなるので)争点一個消滅?

しかし・・・そうかね、実際・・・
(そうだったら良いんだけどね、凄く。)
 


【名  前】二等兵森での修行中
【タイトル】高原で警備だの巻き
  12/07 23:47
Mail: VZF10347@niftyserve.or.jp
URL:
【メッセージ】
>何とか、めちゃくちゃな仕事も整理された。(助かった)。しかし、人に仕事を押しつける人には、人望はないよな。やらせるにしても、仕事しやすいように環境・条件を整える仕事を最低限やらにゃーあかん。ほえ。

>試験勉強を集中的にやっているけど、てきすとに乗っている戦い方の、構造や意義がこんなもんだったのか、と改めて知った。火、土、空気、(水?)の4つの力を利用して(戦力化・組織化して)戦う(戦わせる)のだから、たいへんだことだ。

>戦争(戦い)って、今のへいわしゅぎの人達が、考えているようなものではない、とつくづくしみじみと感じるのでありました。ほえほえ。


【名  前】鯖@・・・
【タイトル】倫理は本能の一部である?
  12/07 20:20
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
「自然発生的欲求として種の維持に重きを置く」ものと、
「個体維持の為の快楽の極大化が常に優先する」もの、
或いは「両者がほぼ等分に存在するもの」が、先天的及び
後天的環境によって発生すると言う説はまあ良いとして・・・

苦痛の原則による条件付け。

条件付けに使い難い、と言う意味ではなく(そんな訳が無い。もっとも
短絡的に使用されているもの。)・・・

「苦痛回避」と言うファクターは「発生回数が多い」・「コントロールの
為の条件付け以外にも多大な回数の条件付けが自然発生的に行われる為、
より一般的傾向を(平均値として)見せるのではないか?」と言う意味だったの
ですが。(それに対して人間が「和えて快楽を与えられる機会はさほど多くない」
逆説的には「故に餌としての効果が多大である」と言う事でしょうが。)

「苦痛回避」=「快楽の増進」と言う「ニュートラル状態を考えないコインの
裏表的前提」である様なので(前述したが如く)あたしの仮定はT.OKAさんの
説には意味を持ちませんが・・・

(相対的に「苦痛が軽減される事自体も快楽と見なす」のであれば「苦・快」という
のは矢印の向きの問題になる・・・あたしはパラメーター上のポジションと言う認識で
言ってたんですけどね・・・(生理や心理へのマイナス方向への圧迫が消滅し、安定を得た
時点をニュートラルと設定するのはちと困難なので、まぁ明らかに心理・生理に悪影響を
及ぼされていると本人が認識しなくなる時点を考えた。極端な話、「完全に不可触賤民状態」
の人が何らかの影響で「村八分」(葬式くらいは出してもらえる)に軽減された所でそれが
「快い状態」とは言えませんもの。)

まあ、例えば「決壊した堤防を土嚢で埋めている(水害に遭っているのだからその時点で
完全に不幸)と水の勢いが徐々に弱まって来たので嬉しい(実際マシになっただけで基本的に
幸福な訳ではない)」のも「立派に快楽ではないか」と言われたらそれまでですが。

(基準の問題ね・・・)

つづく。


【名  前】鯖@・・・
【タイトル】それは少々楽天的な見方じゃねーかな?
  12/07 19:47
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
「戦争目的」云々について入る前に、ドーキンス周辺から。

種と言う概念に中心をシフトしましたね(笑)遂に・・・

結局それを持ち出さなければ「説明がつかない」と言う事になりましたか。

この場合「種」と言う概念は狭義には「直系の遺伝子」、広く解釈すれば
「社会」「人類」と言う所に行きますが(「民族」と言うのは余りに恣意的な
存在なので除外。)・・・

人間は通常「意識上においては」恐怖心・苦痛・嫌悪感、あるいは快楽等に
よって「個体維持」を優先するよう初期設定されていますが・・・(この辺は
異存ありますまい。)「自己犠牲的傾向」と言うものは「後天的に刷り込まれる」
結果、と言う説と(つまり情報蓄積・分析によって生まれた『文化』としての『戦略』
である、という事)少々矛盾してくるのではないでしょうか?

それだと「生理的に自己犠牲的傾向・倫理的感情を持った個体が一定割合で種保存の
為に設定されている」と言う事になる。

自然法?・・・つまり当該個体においては一般通念的な「禁欲的態度」とか「献身」とかが
「快楽乃至苦痛の回避」になり、それは該当しない個体にとっては「不可解な態度」に映る、
と。

(敢えて飛躍するならば、それが「競争的傾向」や「全体優先傾向」を発生させる要因だと?)
で、結果的には方や「不利益回避」の為に、方や「自然的欲求から」どちらも「倫理的基準」に
従わざるを得ない、と・・・

故に「如何にルールを甘くし、あるいは半強制的に弱者保護の対策をとらずとも『倫理的目的』は
自然に達成される」と。

・・・なんか余りに楽観的なような・・・

(それだと『倫理基準』というのは生物目的に合致した必然的基準であり、基本的には人間は
其処からの逸脱を避けるように出来ている、と・・・性善説じゃねーか、これは・・・)

人間以外の動物に関してこれを言うなら、何の問題も無いとは思いますけど。

結局「人間の欲求は元々全体性(倫理性)を追求するように出来ているものであり、極度に利己的
になる事は健全な?状態としてはあまり無い、故に自然に(外的要因としてのルールを設定せずとも)
過度の競争による弱者排除は抑止され、基本的に福祉が損なわれる事は無い」と言う訳ですか・・・
その説によれば・・・

今一つ納得が行かんなぁ・・・

つづく。(戦争目的の話はどうなった?)


【名  前】T.OKA
【タイトル】(2)快楽原則、苦痛原則、そしてリスク
  12/07 14:37
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
>快楽原則、と言う事がT.OKAさんの説における「行動原則」
>になっとりますが・・・同時に「苦痛の抑止・回避」と言う面が
>等価に存在すると思うんですけどね。

 まさにその通り。

>両者は「共通する」事も多いが「必ずしも一致するとは限らない」。
>(快楽追求と苦痛回避が完全に裏表でニュートラル状態を考える
>必要は無い、と言うのでなければ。)

 一致しないのは当たり前です。
 例えば、「サッカーが上手になってもてる」という快楽には、サッカーが上手になるための
「退屈で辛い筋力トレーニング」という苦痛がセットでついてきたりするように、物事には
大抵両方の側面があって、結局、快楽・苦痛を同列に並べて、結局したいことをするという
ことです。むしろ、区別して考える必要はない。

>衣食足りて礼節を知る・・・人間がまず行うのは「ニュートラル状態への回復」、
>即ち「苦痛の軽減・回避」であって「快楽の増進」てのは「余裕が出てからの
>話」(瞬間的な意味でも。)・・・と言う考え方は如何?

 だから、この話は余りにも当然。要するに、ある特定の局面における行動の優先順位を決定する
基準は、その人の状態、環境によって異なるということを言っているだけに過ぎないわけです。

>物の消費・流通から始まりその為の機構整備に至る「物質文化論」(経済人類学
>ならちょっち齧りましてね。経済学そのものには素人でも。)サイドの発想には
>「リスクの回避」と言うのはあくまで二次的な問題であって「根本的問題には
>なり得ない」様な気もしますが(だってそれだけ見ててもモノは動かないし、関係
>による利益の派生からも遠回り)・・・しかし「人間(生物)の行動原則」と言う
>観点からは「考慮しない訳には行かない」んじゃないかと思いますが。

 「リスクの回避」は、快楽を奪われないようにするという意味で、二次的問題どころか
快楽の追求と全く等価だと思います。とすると、その後の都会の女性の「危機意識」の例も
全く同じ平面上で考えるのに何の困難もありません。
 単に、考慮すべき事項が増えたに過ぎません。

>んで、恐らく「快楽追求」と「苦痛回避」の原則の最大の差異は・・・

>「快感原則はT.OKAさんの言う如く『刷り込み』的に創り出す事が出来る」
>つまり「馬にニンジン」的に行動をコントロールし易い訳ですが・・・
>(任意の行動を導き出す為に誘導する訳だから。)

>「苦痛は本人の意思や周りの思惑にあんまり関係なく本人を襲う」ので
>恣意的コントロール下に置かれる事は少ない・・・

 ここが多分違います。「アメとムチ」という言葉が示すとおり、快感も苦痛も同じように、
ある行為の条件付けに使われます。
 これには、確か猿を天井の開いた檻に入れておくというような有名な実験があったと思います。
 それは、檻の上半分には、感電死はしないけれど、かなりショックがあるくらいの電流を流して
おくと、猿はすぐに学習して、その部分には昇らない。つまり、逃げなくなる。
 暫くして電源を切っても、或いは別の檻に入れても、猿は檻の上部には昇らなくなるという
実験だったと思います(実験の詳細は違うと思いますが、構造はこんな感じです。)
 つまり、苦痛によっても条件付けされます。

 この場合の苦痛は、必ずしも生理的苦痛である必要はないわけで、これを前に挙げた「努力」の
例で言い換えると、「努力」が「檻を昇ること」にあたり、「電流」が「努力に伴う苦痛」、
「脱出できないこと」が「失敗」にあたります。
 「失敗」(或いは努力してやってみたのに「失敗」したという認識)というのは、かなりな苦痛
です。
 ですから、それまでの成功の経験が少なかった(つまり、今までは昇ろうとすると必ず電流が流れ、
その苦痛に耐えきれず脱出できなかった)りすると、結局、努力してもどうせ失敗する(昇ろうと
しても、結局電流が流れて脱出できない)ので嫌な思いをすることになる。だから、そもそも
苦痛の伴う努力何かしないという行動パターンをとるようになります。

 このを行動パターンを矯正するのは、努力すること自体を誉める(檻に昇ると電流は流れるけれど
バナナが貰える)とか、時々は脱出に成功して、自由を謳歌できるとかいうことで可能です。
 つまり、快楽原則で苦痛原則をひっくり返すことが可能。

>叱られる・親や教師に殴られる事でそれを認識すると言う場合もありますが、
>何も「いやな事・苦痛」はそういう作為的な事には限らない。理不尽だったり
>自然発生的だったり、単なる成り行きだったりするわけですな。そして、機会
>としては「気持ちの良い事」よりも「いやな事・痛い、苦しい事」の方が世の中
>には圧倒的に多い・・・

>故にその「効率的回避行動」はより「自然発生的」に人間の傾向を規定する、
>と思うんですが。他人に対する信頼とか安全保障と言う観点も其処に由来する、と。

 これまで述べたことで分かると思いますが、私は「快楽原則」も「苦痛原則」もどっちが先とか
後とかはないのだと思っています。意思決定の際の基準としても、その基準を条件づけるための道具
としても、ほとんど等価だと思っています。
# 「怒られる=殴られる」の連想の反対に、「誉められる=抱っこされる(頭を撫でられる)」
#が来たりするので、「苦痛」と「快楽」とは切っても切れない関係にある部分も多いですし。

 むしろ、効率よく条件付けを行う(例えば、洗脳などをする)のなら、両方ともあった方がよい。
やっぱり、「アメとムチ」なんです。

 では、条件付けの道具としてどのような分類を行えば良いか?
 私は、マズローの欲求の発展段階説が参考になるのではないかと思っています。
 例の生物学的欲求から社会的欲求へ、欲求が発展しいく奴ですね。
 私は、あの分類が無批判に正しいとは思っていませんが、まさに、生物学的条件付けが、条件付け
の段階を経て、倫理的とか思想的な条件付けへ複雑化している例として有効だと思っています。

 何故そうなるかは、鯖さんの宿題と言うことで・・・(笑)

それでは。


【名  前】T.OKA
【タイトル】(1)「倫理」は「倒錯」か?
  12/07 14:22
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
今回は論点を絞って短めに・・・と、思ったのにやっぱり超長い・・・。

 「ミーム」(まるしー、リチャ−ド・ブロディ、講談社)を参考に

>倫理等

>大体の所、言われているものとして「長期的なデータの蓄積によって
>生じた経験則」(歴史的に)→「最適な個体保存(あるいは自己目的
>としての直系の遺伝子保存?)の為の行動原則」→「自己のグループ
>維持(大抵は直系血縁乃至それに類似する『自己目的の継承者』)を
>目的に生存戦略として次の個体に再教育」・・・が「自然法」発生・維持
>の仕組みである、と言う事と・・・(社会規範の自然発生説ね。言わば)

>その過程において(個体に対する刷り込みとしての条件付けのみがその
>起源になっていると言う説を容れれば)初期設定に拘束された結果、
>状況の変化に対応し損ねて目的と手段の倒置(これは明らかに一種の「倒錯」
>と言えると思う・・・「フェティシズム」に近いものだと思う。)が発生、

>時に自己破壊的行動に至る等の個体保存に反する行動を生じさせたり、
>それに至らずとも「結果的に不利益な選択支」を好き好んで選ぶと言う
>傾向が発生する、と。

 「利己的な遺伝子」に従えば、自然淘汰の過程自体は、「個体の保存」を目的としたもので
はなくて、「遺伝子の保存」です。(これは私もそれなりに納得。)
 「個体の保存」は、単に「遺伝子の保存」の手段というか、単なる中間的な目的に過ぎないので、
「個体保存の法則に反する行動」が「倒錯」とは言い切れないと思います。

 ここで、自然淘汰の「目的」と言ってしまうので、個体が自分の遺伝子を残すために、
それを意識しながら意図的に自己犠牲をするように誤解しやすいのですが・・・
 そうではなくて、ある個体にとって一見「結果的に不利益な選択支」を選択してしまうような
傾向をもった個体(自己犠牲的個体)と、そうでない個体(利己的個体)とが両方とも複数居た
として、平時であろうが、戦時であろうが、組織的な行動の方が有効な状況であれば、結果的には
自己犠牲的個体の方が多く生き残るようになるということです。

 つまり、鯖さんの言うある個体にとっての当面の不利益を避ける傾向と、結果として次世代に
生き残る確率が違うことが多いわけです。
 利己的個体は一代限り、或いは、狭い範囲で数代栄えたとしても、それが種全体の中で多数派に
なれないということです。
 ここには、自然淘汰を「個体の保存」の過程と考えるのか、個体を特定の個体としている遺伝子、
考え方などの「形質等の保存」の過程と考えるのかで違ってくると言うことです。

>・・・こう整理してみると矢張り「倫理」と言うものは「武器・戦略」として
>こそ価値がある(まぁ、賢い人間は大抵それを重んずる所を見ればその面は
>間違いあるまいが)、逆に言えば「それが武器になり得ない状況下においては
>それは破棄するのが本来の意義」(幾ら使い慣れてそれを好き好もうがスープを
>箸で食う馬鹿はいない。「倫理」が道具であるならばそれは時によって破棄される
>べきだと言う事になる)と言う事ですな。

 必ずしもそうはなりません。「ミーム」(これも納得。)によれば、人間という種は、
「遺伝子(=生物学的特徴)」と「ミーム(=情報)」を伝播する「遺伝子プール」或いは
「文化・情報プール」に過ぎません。
 そして、人間個人は、特定の「遺伝子」なり「情報」なりを運ぶ媒介に過ぎないのです。

 例えれば、オセロゲームの特定の升目が人間。盤が人間という種。(この盤自体が、地球全体の
中では、他の生物とか動物とかとその大きさを競っている。)
 で、「遺伝子」と「ミーム」は、この盤を出来るだけ多く占領することを目指しているような
ものです。(厳密には意識などないので目的とは違いますが)
 当然ですが、同時に、人間という種の盤も大きくすることを目的としている。

 だから、ある「特定の個体」が「土壇場で倫理を捨てる」ことによって生き残ったとしても、
そのような「利己的個体」の生き残りの数が、「自己犠牲的個体」の生き残りの総数よりも多いか
少ないかが問題となってくるのです。

>しかし、「倫理道徳に拘束される」変態が一定量を超えた場合、それが
>何らかの形で「正常に活動している社会」に対して何らかの好ましからざる
>影響=歪みを与えはしないか?とか

 勿論、影響は与えると思いますが、それが好ましいかどうかは、簡単には決められないと思います。
 のりさんの捕食者・被捕食者の数の変動の例で言うと、まさに、「倫理派」と「利己派」の数は
変動し続けるわけで、その変動はオセロゲームの盤の大きさにも影響を与えるし、その盤の中での
シェアへどのように影響を与えるか。その影響をどう評価するかは、立場によって異なりますから。

>それは単に「倒錯者が国家戦略や現地の人間の状態を無視して、身勝手に自己の「倫理的満足」
>と言う快楽を求めた結果、国家目的そのものが破壊されてしまった」と言う事なんでしょうか、
>それとも・・・)

 戦争の勝利を国家目的と考えたり、そのような「国家目的」を所与のものと考えるから、そういう
発想が出てくるので、視点を変えて、そもそも「何故、戦争しなければならないのか?」
「戦争の利益は何か?」という国家戦略の観点から考えていけば、鯖さんの言う倒錯者こそが、
まさに国家目標(つまり、国民が栄え、安寧な生活を送れること)に即した行動をとっていることに
なります。それを「国家目的の破壊」と捉えるのは、余りに軍人的発想では?

 例えば、湾岸戦争もベトナム戦争も、アメリカは経済封鎖されていたわけでも、国境侵犯されて
いたわけでもなく、勝手に他国に出ていって、自国の都合でお節介を焼いていたわけで、
戦争行為自体がお節介の目的(この場合は、資本主義・自由主義・人道主義の理念を守ること)から
逸脱したり、そのコストが大きくなりすぎれば、辞めるのは当然の話です。

# アメリカでは、他国に資本主義・自由主義・人道主義を広めることが、自国の国民の経済的
#或いはその他の幸福に直結しているという共通の理解がある。だから、コストが小さいならば
#積極的に広めるべきと言う政策が成り立つ。

 で、ベトナムでは、コストも大きいし、自由主義とか人道主義とかアメリカの掲げる理念とも
かけ離れた闘い方をしているので失敗し、湾岸戦争では多分にパブリシティの勝利ですが、
資本主義・自由主義・人道主義の理念を守ることと一致させることができて、コストも比較的
小さくて済んだ(この場合のコストは、お金だけではなくて、当然、人命も含まれる)ので、
勝利できた。こういうことでしょう?

>倫理と言う奴は、それが「国家側」であれ「戦争を忌避する側」であれ、
>「戦争の如く著しく通常の倫理が適用できない行為」(しかし、それは総体
>として「倫理」や「ルール」を維持する為の埋め合わせとして不可避だと
>考えるんですけどね。)を認識してしまうと「何らかの形でそれに関わる事を
>強要する」訳ですな。関わらなければ「苦痛」が待っている。

>それが「自己増殖」に類似した効果を生む、と。故に「倫理と言うのは
>初めから個人の嗜好の範囲では納まらないように出来ている」。

 まさに、その通りと言うか・・・
 「倫理」に限らず「理念」「嗜好」「道徳」などのミームは、人間プールの中に出来るだけ
拡散することを目指している点は、遺伝子と同じ訳で基本的に全部同じ。
 逆に、そういう効果がないミームは、一代限りで死に絶えてしまうので、決して社会の中で
優勢な勢力にはならないということです。

>これが「倒錯」であり、「無思慮な幼児に対する刷り込みや、複雑化した
>社会環境・対人関係がもたらした一種の歪み」としての「目的と手段の倒置」
>=「生物目的からの逸脱」の結果とすれば・・・

>マルクスが「宗教は阿片だ」と言ったが如く、それは「疫病」なんじゃ
>ないですか?

 「疫病」かどうかは「倫理」の内容によるわけです。
 人間は、多くの寄生虫或いはバクテリアを体の中に持っていて共生していますが、病原体と
言われるウィルスのように宿主に悪影響を与えたり、死に至らしめたりするようでは、瞬間的に
爆発的に広まったとしても(例えばペスト)、長期的には、胎内の寄生虫(例えば大腸菌)には
負ける運命にあります。
 それと同じ。「倫理A」の内容が、それを信じる個人を全てを殺してしまうような内容では、
その「倫理A」は決して広まることがないし、例え一瞬爆発的に広まったとしてもすぐに劣勢に
なってしまう(ナチ理論、或いは大東亜共栄圏構想など)。
 逆に、全ての個人が常に目先の自己の利益だけを考えて行動するような「倫理B」では、
平常の中で徐々に追いつめられていってしまう(囚人のジレンマゲーム)。
 要は、ある「倫理」が生き残るためには、そういうバランスが大事だという事ですね。

>単に「世の中には変な奴もいるんだ、ほっとけば良いさ」では済まない
>のでは?(湾岸の時に国防総省はパブリシティになんぼ使ったろう・・・
>その「倒錯」を満足させる為にマスコミを通じてショーアップしてみせた訳だ。)

 鯖さんの観点から「世の中には変な奴もいる」というのと、大多数の「世の中」の人にとって
「変な奴」が違うことは十分あり得るわけで、そこを混同してはいけないでしょう。
 この点でも、「戦争に勝てばよい?」みたいな点だけとれば、確かに「何でもあり」が良いわけ
ですが、「戦争をする大義名分」が無ければ長い目で見れば国家が立ち行かないわけで、そこが
理解できない人こそ「変な奴」と思われても仕方ない側面があります。

# 「長期的総当たり囚人のジレンマゲーム」は、国家間の関係にも当てはまりますので、単に
#「短期的に自己の利益になる」ということで戦争をするような国家は、周辺国家に警戒されて
#長期的にはアウトになります。
 

 最後にまとめれば、

1 一見、短期的な「特定の個体の保存」には不利な行動であっても、長期的には「遺伝子」や
 「倫理」の保存には有利となる行動がありうる。(長期的総当たり「囚人のジレンマゲーム」状態)

2 そういう場合には、鯖さん曰く倒錯的な行動をとる個体が結果として多く生き残ることになる。

3 このような自然淘汰は、「行動パターン」が問題となって起こるのであって、その特定の個体が、
 「遺伝子」や「倫理」の保存を目的として自己犠牲をしているか否かという目的意識とは無関係。
  理由は何でも良い。(つまり、簡単な条件付けで構わない。)

4 このような場合には、長期的な「遺伝子」の保存(即ち自然淘汰での勝利)と、短期的な個体の
 保存が必ずしも一致しなし、長期的な「倫理(=ミーム)」の保存と短期的な個体の保存も
 必ずしも一致しない。

5 つまり、「個人の観点」からは「倒錯」に見える行動も「倫理」(の繁殖)という観点からは
 当然の行動であることが多いと言うことでしょう。

6 「倫理」(の繁殖)の観点から見れば、むしろ、「個人に留まり他人へは伝導しない」とか
 「信じた者は自殺しなければならない」などの、「倫理」の自殺行為的内容を含んでいるかが
 「倒錯」にあたるかどうかの分かれ目で、その倫理を信じた個人が死ぬこともあるくらいは、
 むしろ「自然」と言えないこともないです。(肉を切らせて、骨を断つみたいなもんでしょうか?)

それでは。


【名  前】鯖@・・・
【タイトル】あ、・・・
  12/07 12:09
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
あはははははははは(汗)

ほっとした?様な、少し残念な様な・・・

あーあ。(何だかな。)

二等兵氏

いや、情報感謝。(早耳だからねぇ。確認取らなかったあたしが
悪い 笑 いやほんとに。)

まうー。


【名  前】二等兵からの伝言げーむ
【タイトル】re:(1)伝言ゲームの間違い
  12/07 01:03
Mail: VZF10347@niftyserve.or.jp
URL:
【メッセージ】
>鯖氏へ。
申し分けない。誤解の誤解。早とちりしたわけ、ご安心を。ただ、友人があちらで土着しているからね。無事だといいけど。

>明日から、CGSの合宿だけど、支援の仕事がたくさんだ。しかし、同じ職場の主がいると、自由が利かないな。階級も同じ(昇任日同日)なのに、権限がないとこうも悲惨。(爆)鯖氏じゃないけど、爆発しそうだ。これも人生修行と割り切るべきか。

>早く、戦史の研究畑へ進みたいよー。ほえ?

  
【名  前】鯖@ねるぞ。
【タイトル】「脅威」の隔離。
  12/06 23:59
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
原始仏教辺りだと「生・老・病・死」尽く「苦」であり、
生きる事は即ち苦に満ちている・・・と言う事になりますが、
「そんな事は無い」と言う人はまずおりますまい。

快楽原則、と言う事がT.OKAさんの説における「行動原則」
になっとりますが・・・同時に「苦痛の抑止・回避」と言う面が
等価に存在すると思うんですけどね。

両者は「共通する」事も多いが「必ずしも一致するとは限らない」。
(快楽追求と苦痛回避が完全に裏表でニュートラル状態を考える
必要は無い、と言うのでなければ。)

あらゆる「心理的・身体的」苦痛は「その個体の機能・バランスを維持し、
生存を保障する」為の警告ですが、もともとは・・・

倫理が「最大効率として利益を上げる」以上にそれは「個体に対する脅威を
減少させ、苦痛を回避するもっとも良い方法」でもあったのでしょう。おそらく・・・

(そっか、あたしの発想は「快楽・利益」と言う面より「苦痛・脅威」って方に
寄りがちなのか。)

衣食足りて礼節を知る・・・人間がまず行うのは「ニュートラル状態への回復」、
即ち「苦痛の軽減・回避」であって「快楽の増進」てのは「余裕が出てからの
話」(瞬間的な意味でも。)・・・と言う考え方は如何?

物の消費・流通から始まりその為の機構整備に至る「物質文化論」(経済人類学
ならちょっち齧りましてね。経済学そのものには素人でも。)サイドの発想には
「リスクの回避」と言うのはあくまで二次的な問題であって「根本的問題には
なり得ない」様な気もしますが(だってそれだけ見ててもモノは動かないし、関係
による利益の派生からも遠回り)・・・しかし「人間(生物)の行動原則」と言う
観点からは「考慮しない訳には行かない」んじゃないかと思いますが。

現代人の生活には「脅威」は無い、とおっしゃる(不慮の事故等を除いて)。
しかし・・・「その場において優性である個体にとってはそれがニュートラル」
であっても「そうでない個体にとっては常に『心理的・時に生理的脅威』が
存在している」、つまり「回避しなければならない苦痛は常に在る」事を
失念しておられませんかね?・・・今更そんな事は言われなくても解っている、
と言うお答えかとも思いますが、なら何故「それを前提事項から外してしまうのか?」

(極端な例ではありますが・・・都会でごく普通に生活している女性の多くが「夜に
出歩く事に脅威を感じる」「実際に精神的ダメージを受けるような目にあった」と
回答しているアンケート結果を警察庁かどっかが発表してましたな・・・野郎の視点
だと「何の脅威があるのか?」と不思議がる様な状況でも、現実にそういう状態に
なっている。「見えていない」だけなんでしょ。「脅威」の本質ってのは常にそうだ・・・
一定の観点を持って街角でもなんでも観察してみれば「成る程危険だ」と言うのが
見えてくるんですけどね(仕掛ける側と対処する側両方になりきってみれば簡単。)
敷居の段差を老人が超えられない事を気づかない様なもんだ 笑)

些細な「苦痛」でも劣勢に廻ればそれが直ぐに累積する、段々「生活するに支障が出る」
場合もあるし、そうでなくてもその人物にとって「生活自体が克服しなければならない
苦痛」でしょう。軽重の差はあれ「脅威」はいろんな形で人間の生活に関わってきます。
「利益」=「快楽の増進」に多様性があるのと同じくらい。そして、そんな事でも「死人
を出す」事があるのが現在の状況。(耐久性には個人差があるから。それも成長した環境
に影響を受けるんでしょうが・・・最も簡単な対処方は『苦痛に慣れる・回避不能の環境に
おいて耐久性を養う』事ですが、出来るのは多分若い内だけ。)

んで、恐らく「快楽追求」と「苦痛回避」の原則の最大の差異は・・・

「快感原則はT.OKAさんの言う如く『刷り込み』的に創り出す事が出来る」
つまり「馬にニンジン」的に行動をコントロールし易い訳ですが・・・
(任意の行動を導き出す為に誘導する訳だから。)

「苦痛は本人の意思や周りの思惑にあんまり関係なく本人を襲う」ので
恣意的コントロール下に置かれる事は少ない・・・

叱られる・親や教師に殴られる事でそれを認識すると言う場合もありますが、
何も「いやな事・苦痛」はそういう作為的な事には限らない。理不尽だったり
自然発生的だったり、単なる成り行きだったりするわけですな。そして、機会
としては「気持ちの良い事」よりも「いやな事・痛い、苦しい事」の方が世の中
には圧倒的に多い・・・

故にその「効率的回避行動」はより「自然発生的」に人間の傾向を規定する、
と思うんですが。他人に対する信頼とか安全保障と言う観点も其処に由来する、と。

続きはあした。