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(ろぐ126)


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ここはわたくしフランソワが逃げた兄に代わり仕切っていた(過去形)掲示板ですわ。
大体何でも好きに書き込んで下さって構いませんわ。わたくしが気に入らない書き込みはプチ消しますけれどもね。ぷん。


【名  前】鯖@ふむ。
【タイトル】実は・・・
  12/01 22:23
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
文学部出身(笑)

【名  前】鯖@ふむ。
【タイトル】感情と理性の相克
  12/01 22:21
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
って言うか矛盾。結局「人間社会の諸問題は其処に帰結する」
んではないかと思うんですが・・・

自我発見以降の西欧型哲学は結構「感情を従属的なもの」・・・
「理性によって支配されるべきもの」とみている一面がある、と。

しかしながら・・・「喜怒哀楽」ってのは本来は「個体維持の為の機能」
だった筈。ストレスが本来「血液濃度上昇により止血効果を高め、
攻撃性を向上させて防戦できる体勢を整える」為のもの、パニックは
「非常事態に際して、余計な思考を遮断して避難効率を上げる」為、
という風に・・・甘いものやうま味を動物が好むのは「アミノ酸や炭水化物
の摂取を促す為」、苦みや酸味を子供が嫌うのは「腐敗物や毒物を感知して
回避する為」・・・親密性や子供が可愛いのも本来は実に理に適った意味が在る・・・

感情の赴くままに行動すること・(その感情が微妙・精密なものになっていれば
いるほど機能的)は「最適の方法」だったはずなのです。動物としては・・・

所が「人間社会においてはそれは逆の結果をもたらすことが多い」。
ここに矛盾が発生する、と。(だから人間って「不幸」なんだよな・・・)

故に「倫理」が誕生したともいえるでしょ。

ここで・・・西欧哲学流にいけば「感情を理性的判断によって支配する」
ことで適合を行うことが出来る・・・という風に行く訳ですな。

T.OKAさんの論は徹底して「理性」の側から構築されています。
「感情」と言うものは非合理なものだから「騙しと方向づけ」でやり過ごす。
それによって「トラブルを避ける」と言う側面がみられる。
(大部分は純粋に「理論」として構成されている。曖昧な情動が挟まれる
余地はない・・・理路整然。ゆえにあたしはそこに「限界を感じてしまう」訳ですな。)

しかし、本当に手段はそれだけなのか?

福祉云々も実は「制度としての福祉」について語りたかった訳ではないので・・・

「騙しで理性に感情を従属させる」か「感情そのものを理性と矛盾しない形に
改変する」以外に「何か無いものか」と言う事かな?

業務連絡

王子

送料込み9900♪まいど(笑)

はむ。


【名  前】鯖@ふむ。
【タイトル】最後に?
  12/01 21:51
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
T.OKAさんの発想が「欧米流」と言うのは、
「感情は理論に従属すべき」と言う所?(笑)

ハンチントンではないが「非合理な価値」に人間は
振り回されます(笑)T.OKAさんのおっしゃることは
「論理的には実に筋が通っている」・・・

しかし、同時に「筋が通っているにも関わらず、その侭それを
言葉にしては人間は素直に動かない・ゆえに「倫理」の様な
ものが必要なのだ」と言う事も認めてしまう訳ですよね。

・・・何故に「理論」と「感情」が矛盾するか?

ここが問題だとおもうんですよねぇ・・・

はむ。


【名  前】鯖@ふむ。
【タイトル】擦りあわせとしての「社会認識」
  12/01 21:46
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
脳や感覚器官は「オンライン」的に繋がっている訳ではないので
「錯覚」を利用した共同幻想で擦りあわせを行うしかない・・・

まあ、間違いないでしょ。

問題はその擦りあわせの手段として「倫理」だの何だのを持ち出して
「在りもしない絶対的基準」みたいなものを設定すること。
状況は流動しているのだから「確率的に有効なガイドライン」は
あってもそれを担ぎ上げることは問題が在る・・・
(因習等の発生。規範によって人間そのものが疎外される事例が発生)

T.OKAさんの説明によればそれは「感情的軋轢を避けて利益の調整を
円滑に行う為のタテマエ」として設定される、と言う事でしたな。
(ここで「感情の方が非合理なのだ」とか「感情は元々ダイレクトな個体維持
手段として作られているのだから、それと有効策が矛盾するシステムの方が
おかしい」と言う議論の余地がある 笑)

ならばそれは「当初触れた」「方便としての嘘」って事になりません?
(つまり、本気で「倫理」を解いているのではなく、そういう言い方の方が
皆「感情的に納得しやすい」・・・言い方は悪いが「本音を素直に言えば軋轢が
生じるので煙に巻く言い方をする」のは矢張り「嘘」の一種では?)
・・・骨格となるルールとしての倫理が「方便」であるとすれば矢張り

「社会というのは『嘘』によって構成されている」と言う表現は間違ってないと
思うんですけどね。

別に「信じてなくても合せていれば問題はない」訳で、「問題が在ると困る」から
皆従っている訳ですが・・・


【名  前】鯖@ふむ。
【タイトル】例えば・・・
  12/01 21:23
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
インサイダー取引は日本の株屋の古典的感覚から行けば
「当然の手段」であり、何故にそれが糾弾・禁止されなければ
ならないのか解らない・・・

あたしはそれは一理あると思うんですけどね。
(情報力のある奴が勝利するのが何故問題か?という事。固定のパイプ
によってしまう為、金の流れが偏るので好ましくない等の理由は付けられる
でしょうが、それを禁止した取引のやり方がそれに対して優れている・・・
と言う事も出来ないと思うんですけどね。単に「そのルールを作った連中に
それが都合が良い」・・・日本にそのルールを持ち込むってのは「彼等に上手く
言いくるめられている・騙されている」という言い方だってできる。)

それを「フェア」という様な言葉で表すことは「詐術」では?
(それこそ「フェア」ではない。印象操作による洗脳と言っても良いのでは?)

怒り、と言う理不尽な感情を人間は持っているからややこしくなる。
「相手には相手の都合が在って、その欲求の導く元に手段を尽して闘っている、
その基準が違うからといって『正しくない』だの何だの言うのは筋違い・・・
まぁ、実際には「困る」ので実力で排除することになるが・・・」

人を殺す奴・強姦魔・誘拐犯にも「彼等なりの理由」は存在するし、「たまたま
かれらの軽重の基準・快楽基準が他と著しく異なっていた」事の不幸であって、
「危険な存在なので隔離する」「定義付けを再入力・再洗脳して無害化する」のが
対策、と言う話にもなるでしょう。

それを「都合が悪い・自分はちょっと近づきたくない」と言う事は言えても、
「正しくない」と言う言い方はすこし問題がある訳だ・・・

まぁ、そうなんだろうけど。

しかし、人間ってなんで「無駄なこと」ばっか考えるんだろうねぇ・・・
(欲望の極大化・多様化そのものに問題があるのかな・・・やはり。)


【名  前】鯖@ふむ。
【タイトル】一気にミクロ方向へ走ったなぁ・・・
  12/01 21:03
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
それを言ってしまえばおしまい。
(快楽原則に基づく行動、と言うレベルにまでもっていってしまえばね・・・)

所謂「一般的通念」のレベルから離れて、どちらかと言うとMEGURUさんの
自我否定論に近い所までおりている(笑)

あたしの興味は「ならば如何なる原則が今後の『種の維持』に適しているか」
と言う一点に在る訳ですが・・・(MEGURUさんと違ってあたしは「人間の本能は
壊れている、故にその部分を自ら補填しなければならない、と考えてますから・・・)

それを善悪とか好悪という「感情」に変換している(笑)

(他人に興味を持つ事自体が「種への執着」なのではないかってね・・・)

少なくとも「それが失敗」ならニンゲンと言う存在はあたしには無価値だ(笑)
滅ぶべき失敗作、といっても良いでしょう。(要はレゾンデートルに関する問い
なのね・・・)何様のつもり?只のエゴイスト、と答えるしかないかな・・・

それと・・・なんで人間はそれほど「利益」に多様性を持っている?というのも
疑問。結局そのせいで「全体のバランスが著しく崩れている」訳で、その結果・・・

ちょっち常軌を逸した「不幸」もやはり「人間自身がみずから撒いた種」。
過剰な存在、ですよね・・・人間ってのは。それがとこへいくのか結構気になる。

並べてみたのも「それに資する問い」という訳です。

ま、それを知ってどうすると言う訳でもないが・・・

しかし、結局「弱肉強食」に近い所には返ってきてますね。
その快楽原則に基づく行動原理に従えば「優位な個体とはより
強力な欲求を持つ個体である」と言う事と「生物の第一義は自己保存」
ということを合せて。ま、それが「自己保存の為に弱者保護に至る」
という例の理論によってバランスを保つ訳で、それで良いといってしまえば
それまでか・・・

しかし何かつまらんなぁ(笑)
(「公益」なんて耳触りの良い言葉で喜ぶ人間は所詮「人を自分の満足の為の
具としかみないエゴイスト」でもある、てね。人助けの好きな奴なんてのは
そうすると質の悪いマゾヒストだ 笑 所謂「倫理基準」てのは方便だったり
「妥協」だったりするから「もっとも巧妙に抜け穴を探る」奴はやはり賢い・・・
抑止措置として締め出されることはあっても、それは単なる「発見された彼の
ミス」であり、「見つからなければ彼の勝利だった」。)

要領が良く頭のある奴は「ルールを巧妙に破る」(例えば完全に証拠を残さない
殺人技術を開発することに成功するか、ものを奪っても絶対に自分に不利益を
生じない手を考え付いたとすれば、実行しないのは実に愚かなことだ・・・という
話になる。それを駆使出来れば様々なことが可能になりますな 。)のが
当然・本筋という・・・まぁ、実際はそうだが。

欲求を規制するのは唯一「環境に対する相対的対応策」であるならば。
(故に「最も狡猾で欲求が強い人間の為に世界はある」とも言える 笑)

・・・だれからも指弾されない自信が在れば、世界は卑怯者のものだ♪
ってのは極端かもしれんけど、まぁそう言う事にはなりますよね。

つまり逆を言えば「卑怯等という抽象概念に縛られる方が自分で自分を不利に
している」と。(事実そうなんだけど。)

実質的な「倫理否定論」ととっても良いのだろうか・・・ふむ。
(ま、あたしみたいのにはその方が生き易いですけどね。)


【名  前】T.OKA
【タイトル】「利益」「効用」の定義の差
  12/01 13:50
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
> 個人の競争の最終目標は、第一に生き残ることであり、
>第二に自分が享受する効用を極大化することです。

 前回で上記のように述べていますが、この場合の「効用」は、あくまでその個人にとっての
「効用」であって、「世の中で認められた利益」である必要はありません。

 前回の囚人のジレンマゲームでは、たまたま、「利得」「効用」「利益」が「懲役期間の長短」
であったり、「お金の多寡」であったわけですが、これは分かり易いから採用しただけです。
 現実には、「本を読むこと」「「適当にごろごろしていること(鯖さん)」「睡眠」等様々な
物、行為、状態が個人に「効用」をもたらします。 
 何かミクロ経済学(特に厚生経済学)の初歩的な講義みたいなのですが、簡単に言えば、
「物」とか「状態」と言うのは、あくまで個人の中の「効用」をもたらす媒体・手段に
過ぎないわけです。

★鯖さんへ
> ・・・いや、単純に「卵と鶏」な話なんですよ(汗)結果的には同じ
>なんだけど。「利益追求の為の妥協としての譲歩」と「公益を追求
>する事によって始めて自己が生きる」というのは結果的には
>「同じ事をやっている」訳なんですが・・・

 上記のような観点からは、例えば、同じ行為をするのに「妥協」「公益追求」と、中間的には、
違う動機に基づくように見えても、最終的には、いずれの場合も「自己の効用の極大化」を目指
しているという点で同じです。つまり、「より自分に気持ちのいいこと」をしているだけ。

>土壇場で「どっちに転ぶか」と言う話。(故に一般的状況では言っても
>意味が無い)つまり「緊急避難」レベルの状況下に置かれた時に人間が
>どう行動するか・・・といった類の話なんです。

 これも同じ。勿論、「緊急避難」的状況において、個人・個人に効用を与える行為の優先順位
が平常時と変わることはあると思いますが、いずれにしても「自分の気持ちのいいこと」を
している。
 前者が、「緊急避難」的状況において「他人からも自己利益の追求に見える行動」をするのが
気持ちいいと感じているのに対し、後者は、同じ状況であっても「他人から公益を追求している
と見える行動」をするのが気持ちいいに過ぎません。
 基本的に、個人の行動は自分のしたいことをしているのであって、ただ、「したいこと」の
基準が個人・個人で異なっているに過ぎないのではないかと思います。

>「利用」と言う意識について。

>悪い事である、と言う訳じゃ無いんですけど。只「倫理」は「タテマエ」
>なのか?と言う話なんです。還元すれば・・・

 「タテマエ」になるかどうかは、個人・個人の問題です。
 鯖さんが、例えば、人望が欲しいとか、こうするのが格好良く見えるとかでいわゆる「倫理」
的行動を執るのであれば、それは単に手段にしか過ぎないわけで「倫理」は「タテマエ」です。
 逆に、誰が何と言おうが「倫理」的行動が正しいと信じていれば、ホンネなんでしょう。

>まぁ、そのタテマエに「相当こだわっている」人が居たとして、その人が
>その村の利益とかの為に「泥を被った」とします。確かに賢い真似ではない。
>突き詰めて話し合えば「負担は当分」あるいは「受ける利益に応じて負担する」
>と言う合理的解決が得られたかもしれないから・・・しかし、たまたま感情の
>縺れ等から「話しがまとまらない・皆困る」(これが危機の発生)・・・

>で、「なら自分が泥を被ろう」と言う人が時たま出ることがあります。
>その人が「何らかの思惑が在って」「人望欲しさに」やっている訳だから
>その分「利益はちゃんと得ている」と言う考え方も出来るでしょうし、
>その当てが無いのにそれをやったとすれば「只の馬鹿」なのかもしれません。

>筋とか義理って発想に弱いんだな、どうも・・・(汗)
>(個人的に「所詮最後は手前の腹肥やす事考えてるんだから・・・一々
>俺が取り合う謂れは無いよな。まぁ折り合いの良い所で話つけてさっさと
>終わらせるか」とやる気無し全開モードに入ってしまうんですな。そういう
>ものが無いと。別にがっつかなきゃ適当にやってたって生きていける訳
>だし。しかし・・・それでは「生きている意味が無いのが人間と言う奴」な
>気もするし。)

 コレなんか、まさに個人の好みの問題です。
 虐められると言う行為は普通は嫌な行為ですが、Mの人にとっては悦びであるように、
「個人の利益を捨てて公益に尽くす」ことは「只の馬鹿」のする行為かも知れませんが、
一部の人はそう言う行為に悦びを見いだしているわけです。
 「私腹を肥やす」のが楽しい人も、「公益に尽くす」のが楽しい人も、
 「筋を曲げて親戚の便宜を図る人」も「身売りの不利になっても筋を通す人」も、
結局自分が好きなことを遣っているという点では何ら変わらないわけです。

>「利益の極大化」・・・何故?あたしみたいな「根本的怠け者」は
>「エマージェンシーの為のストック・オプション」を維持すると言う
>以上の「余剰利益」には興味が無い。(故に「商売人に向いてない」
>んですねぇ汗)その日その日食っていければそれで結構楽しいし・・・

>何故に注意を怠らないかと言えば「最悪の事態に困らない為」に過ぎない。
>そこまで精力的にならなくても「適当にごろごろしている方がずっと楽しい」
>と思ってしまう・・・「個体としてはそれで十分」なのです。

>だから「何の為に利益を極大化せにゃならんの?つかれるっしょ。」
>と怠惰な疑問が頭を擡げる(笑)

 既に何度も繰り返していますが・・・。
 鯖さんにとって「適当にごろごろ」することが「利益を極大化する行為」ということであって、
それが世間一般のいわゆる「利益を極大化する行為」の類型(例えば、お金儲け、異性と楽しい
時を過ごす)と違うに過ぎないだけで・・・・
 結局の所、自分にとって一番楽しい行為(利益を極大化する行為)をしているわけです。

>だから「個人利益の追求」はあたしには「社会参加の理由」にはならない(笑)
>まぁ「仕事して食うだけの利益を上げる」ってのはありますが、結局それだけに
>なってしまう。(下手に波風たてると迷惑する人が出ることすらあるし。)

>で・・・こういう人間も居る訳だから、T.OKAさんの理論だけでは
>「社会意識」の説明は完全にはならない訳です(笑)

 何故「社会意識」を説明しなければいけないのか分かりませんが、鯖さんは、
「特定の個人にとっての個人の利益追求」の行動が、「世間一般に言われている個人利益
の追求」という行動類型と一致すると誤解しているからそういうことになるわけで、
いわゆる「社会参加」が鯖さんの自尊心とか、倫理観とか、名前は何でも良いのですが、
そういう感情に訴えかけて、それをするのが鯖さんにとって気持ちいいのであれば、
それは十分に「個人利益の追求」です。

>散漫なのでまとめると・・・

>1平常時は「利益追求の為に波風立てない為のタテマエとしての倫理」
>でも良いが「異常事態」における危機管理の局面においてそれは「如何なる
>評価を受けるか?」

 まず、平常時であっても、異常事態であっても、個人の効用の最大化という行動様式
自体は同じであること。
 ただし、状況に応じて、「個人の効用を最大化」する手段の優先順位が変化したり
(例えば、「協調的行動」→「独善的行動」など)、また、個人によっては優先順位が
異なることがある(異常事態においても「協調的行動」の方が「独善的行動」よりも
気持ちいい人がいる。)こと。
 しかし、いずれの行動をとっても、本人の視点から見れば、「自己の利益の最大化」
を図る行動であることは同じ・
 しかし、側にいる他人から見れば、その結果が自分に影響するので他人からの評価は
異なることになること。
 そして、当然その場合の評価基準はその「他人」の「効用を最大化」しているか?
ということに尽きること。(本人が鯖さんの同僚なら、鯖さんの評価が大きく異なる
ことになる。)

>2「個の利益追求以上の何らかの価値」に(本人の精神的救済の為の行為
>なのだからそれがたまたま他人の役に立った所でそんな事は知らん、と言えば
>それまでですが。)こだわる人は無価値な存在か?それは評価されるべきでは
>無いと言う事か?

 世間で言われている「個の利益追求以上の何らかの価値」に、自分の価値基準を
置く人は多いわけで、どちらにしても「自分にとって気持ちいい行動」=「個人の
利益の極大化」を目指している点で、本人の視点に立てば、全くの等価。
 他方、他人(Bさん)の視点に立って見れば、Aさんにとって「気持ちいい行動」
が、Bさんにとっても「気持ちいい」行動であれば、好ましいということになる。
 Bさんと同じような気持ちになる人が世間にたくさん居れば、それは、世間的にも
評価されることになるだけに過ぎない。
 「べき」とか「べきでない」とは余り関係ない。
 
>3「利益の極大化」に誰もが魅力を感じている訳ではない。そう言う人間は
>社会参加の意志が無い、社会の発展に基本的に寄与しないと考えるか?
>(つまり好ましからざる人間、と言う事。)

 既に答は出ていると思うけど、そういう設問は、誰がどのような立場でどのような
基準から考えるかを規定しないと答えようがない。

 私的には、世間的な意味での「利益の極大化」に魅力を感じていなくても、いわゆる
社会参加の意思が無くても、否応なしに「社会」の方で組み込んでくれるので、
それだけで「好ましい」とか「好ましくない」という問題にならないと思う。

 例えば、大学は卒業したけれど、親のスネをかじりながら、仕事にも就かず
ぷらぷらして、アニメとAVばかり見ている人が居たとして
 この人は、お金を稼ごうとしていないから世間的な意味で「利益の極大化」
もしていないし、社会に出ていないからいわゆる「社会参加」の意識もない。
 しかし、仕事もせず、アニメとAVだけ見て、楽しいことだけ繋いで生きている
点で、はやり、「自己の効用の極大化」を図っているし、その結果、アニメ製作者や
AV製作者の飯のタネになっているという点では価値がある。

そんな感じです。

>「結果的にそれが最も有利な選択」と言う一点を「根拠」とするなら、
>「特殊状況下においてはその「筋」は放棄される」と言う話になるが・・・
>(ならばやはり『信用』には値しないという事に)

 その前の「日本文化」うんぬんとの論理関係が全く意味不明ですが、「特殊状況下」
においてプライオリティの変化が起こるのはむしろ当然。
 というか、平常時においても状況の進展によってプライオリティが変化するのは
普通のこと。そこで、変化できないようでは、目的を達成できないことが多い。

 鯖さんの「信用」との関係で言えば、平常時において「協調的行動」を執っている
人がどんな目的を持ってその行動をしているのか?
 つまり、いわゆる「利己的利得」を獲得するための手段としての「協調的行動」
を執っているのか、「協調的行動」が即その人にとって気持ちいいことなのか、を、
見極めることが重要。(しかし、それは非常に難しいので、普通は、前者である
と仮定して行動するのが無難。まさに、囚人のジレンマ状態。)

 で、「倫理」「筋」「道理」「義理」「人情」というのは、個人の頭の中で、
「協調的行動」が他の「利己的利得」を得るための手段ではなくて、
「利己的利得」とイコールに感じられるようにするための理屈に過ぎません。
 

 私個人について言えば、金融機関に行った大学の同期の半分ぐらいの薄給、
異常に長い拘束時間、メディア上で繰り返されネガティブキャンペーン、
その尻馬にのって事情を良く知りもしない人間から浴びせられる罵詈雑言、
そういうものに耐えつつ仕事しているわけで、「公益的見地からの貢献」とか
「倫理」「筋」「道理」なんかには、共感があります。
 勿論、仕事を離れてならば、「義理」「人情」も大事。
 ただ、仕事に「義理」「人情」を持ち込むのは、立場上まず過ぎでしょうね。
 それじゃ、えこひいきになっちゃいますから。それは、まずいです。

それでは。


【名  前】鯖@ふむ。
【タイトル】ふむ。
  12/01 12:16
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
良い悪い、気に入る気に入らないの問題はさて置き・・・

「日本の文化や思想の体系は多重構造になっている、その相互関係を
見失うと訳が分からなくなる」事、「ルールの基礎は『対外関係』だけ
ではない、自己そのものに対する姿勢がそれを形成していることを
考慮すべきである」と言う事は言えると思う。

(だから自問自答の形式上『絶対者』を設定すると言う見方もできる)

「結果的にそれが最も有利な選択」と言う一点を「根拠」とするなら、
「特殊状況下においてはその「筋」は放棄される」と言う話になるが・・・
(ならばやはり『信用』には値しないという事に)

まう。


【名  前】SOU@怪獣博士
【タイトル】バルタン星人はみんなのものです
  12/01 11:25
Mail: sou-1701@qc4.so-net.ne.jp
URL:
【メッセージ】
大切に、たくさん使いましょう>T.OKAさん
(Y)o\o(Y)のほかに
(V)oYo(V)で、アニメ版バルタンではなかろうか?。

【名  前】VIA MEDIA
【タイトル】魔法使いの問はず語り
  12/01 09:26
Mail: slc31551@biglobe.ne.jp
URL: http://www2s.biglobe.ne.jp/~viamedia/
【メッセージ】
 まあ、私は本来このような物の言い方は好まないのだが、「自分の言葉」ではな
く、「よそから借りて来た言葉による権威付け」がないとどうにも不安な人もいる
ようなので補足しておこう(苦笑)。

 まず、「私学助成は憲法違反か否か」と言う問題に関しては、知り合いの現役法
律家に確認した所(出た! 「権威付け」の常套手段(爆笑))、

  「昔は『違憲』と言う学説が有力だった。今は『合憲』が多いようだよ」

との事であった。

 「日本国憲法」は昔から変わっていないのだから、これは取りも直さず、

  「時代背景や思考の変化に合わせて学説が変わっている」

と言う事である。つまり、「合憲と言う判決が出たから合憲だ」等と言う単純な話
ではないのである。

 何でこのようになるのか?

 そもそも戦前の大日本帝国憲法は、伊藤博文達がドイツの法律をを中心にして研
究し、「大陸法」という「厳密な文字解釈をする法体系」を取り入れたと言う経緯
がある。そこに、「常識で運用していく『英米法』の考え方」を入れてしまったの
が今の日本国憲法なのである。

 だから、「私学助成が違憲か否か」の問題は、

  「元々、『大陸法』を土壌とした法思想があった所に、『英米法』的な発想の
   日本国憲法を持ち込んだ事がそもそもの発端である」

と言う事なのであって、このあたりの経緯を知ってか知らずか、

  「法律を文章通りに解釈する法律家などいない」

等と言い切ってしまうのは、まさに「脊髄反射的思考」と言わざるを得ない(「大
陸法」の思想で解釈すれば「私学助成」は明確に「憲法違反」なのである)。

 法律を曖昧に制定して、解釈と判例の積み重ねで運用して行く、と言う「英米法」
的発想。いつの間に日本はこの法思想を取り入れたのか知らないが、問題は、

  「明確な規定を行わないままに、いつの間にか変化している」

と言う事なのである。まさに、「その時の都合で解釈を変える」と言う思想そのも
のであるな。

 まあ、

  「法律の条文をストレートに読む法律家など一人もいやしない」

とか、

  「時代背景や法律が制定された時の主旨に合わせて解釈を変えて行くのは法律
   の基本中の基本」

等と、無闇に発言するのは、

  「大陸法思想と英米法思想の違いを知りもしないで言っている一人よがり」

になりかねない、と言う事だけ指摘しておこう(絨毯爆撃苦笑)。


【名  前】通りすがり
【タイトル】参考資料
  12/01 06:38
Mail:
URL:
【メッセージ】
http://www.hypertown.or.jp/kokkai/library/hoeru/hoe/hoe12.htm

【名  前】鯖@ふむ。
【タイトル】やくぜん。
  12/01 02:06
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
冬虫夏草は煮もどすと「芋虫が柔らかくなる」。
歯ごたえは良いが味はない・・・

朝鮮人参は半日以上は煎じないといけない。長時間煮込む事に
よって独特の苦み、えぐみが消えて非常に柔らかい感じのダシが
出る。ニンニク・棗を会わせたものをよく見かける。

材料費に糸目を付けないのならジャコウジカ等も良いらしい。
今までもっとも「内臓が楽になった」のは朝鮮人参である・・・

(タツノオトシゴと冬虫夏草は短い期間では効果みられず)

まうー(折角造ったスープ、他に誰も呑まないんだもんなー#)


【名  前】鯖@ふむ。
【タイトル】今一つ論旨が伝わってないような・・・
  12/01 01:41
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
って、自分で撹乱するようなもの書いたんだから「解るっしょ」
と言う方が無理か・・・(汗)>自業自得

・・・いや、単純に「卵と鶏」な話なんですよ(汗)結果的には同じ
なんだけど。「利益追求の為の妥協としての譲歩」と「公益を追求
する事によって始めて自己が生きる」というのは結果的には
「同じ事をやっている」訳なんですが・・・

土壇場で「どっちに転ぶか」と言う話。(故に一般的状況では言っても
意味が無い)つまり「緊急避難」レベルの状況下に置かれた時に人間が
どう行動するか・・・といった類の話なんです。

解り難いかな・・・あたしの悪い癖ですが、「危機管理」と言うのを
「当然の前提・まず考慮すべき事項」と思っている所がある(汗)
故に「普通なら一々気にする必要のないことが非常に気になる」と。

だから「最悪の状況が訪れた場合においてその理論・システムがいかに
機能するか」と言う所から考えてしまうんですな。(恐慌・紛争状態・擾乱
・天災 etc)

故に「実利システムとしてのそれに特に異論を挟むつもりは(短期的・限定された
範囲内においては)無い」訳です。

其処で問うているのは単に「個人の社会意識」の話ですし。

全体としてはそういう辺りとして・・・

「利用」と言う意識について。

悪い事である、と言う訳じゃ無いんですけど。只「倫理」は「タテマエ」
なのか?と言う話なんです。還元すれば・・・

欧米的発想の根底はダブルスタンダードだ、とはMEGURUさんの弁。
これは「非常に賢い生き方」だとは思います。(何か「フィガロ」を
思い出す・・・なんで?)システムを維持するもっとも賢明な手段かも
しれない。(したたかに生き抜きつつ、バランスを維持するスタイルね)

「腹の中で『金持ち・特権階級って奴等は所詮解ってねーからさ』とか
『所詮目先の事しか解らない貧乏人だな』と思いつつも、『でもやっぱり
相手も人間なのだから・・・』と許容もしつつ、上手くそれを利用する」
辺りかいな。

所詮そんなものかもしれません。しかし・・・「何か在った時」に入った
亀裂って大きいんですよね・・・「追いつめられれは人間の本性が見える」。

極限まで疲労し、あるいは人事不省に陥った人間の反応ってのは面白いですが・・・
同時に「ああ、矢張りこいつは信用できん」とか「この男(女)の為なら多少の不利益・
苦痛は厭うまい」と言う部分が生まれたりする・・・

社会意識なんてものも結局はその延長上じゃないかと思うんですけどね。
(先ずは個人の意識・姿勢があってその集積が社会だ・・・と言う発想なので。
こういうとMEGURUさんは「人間は空っぽなのだから集積すべき個人など社会
以前には存在しない」と言うだろうけど(笑)・・・ある程度ブラックボックス
のなかの公式が出来てしまった人間の話として。矛盾してるか?)

まぁ、そのタテマエに「相当こだわっている」人が居たとして、その人が
その村の利益とかの為に「泥を被った」とします。確かに賢い真似ではない。
突き詰めて話し合えば「負担は当分」あるいは「受ける利益に応じて負担する」
と言う合理的解決が得られたかもしれないから・・・しかし、たまたま感情の
縺れ等から「話しがまとまらない・皆困る」(これが危機の発生)・・・

で、「なら自分が泥を被ろう」と言う人が時たま出ることがあります。
その人が「何らかの思惑が在って」「人望欲しさに」やっている訳だから
その分「利益はちゃんと得ている」と言う考え方も出来るでしょうし、
その当てが無いのにそれをやったとすれば「只の馬鹿」なのかもしれません。

或いは「人柱」的発想ね。「カルネアデスの板」の例等で「相手を突き落としても
罪には問われない」=「緊急避難」が認められる、と言う定説は確立してますが・・・

しかし、「それが無価値なのか?」と言うと、どうもそうは思えない。
まやかしかもしれんが「個体利益」を超えた様な価値を見出している人に
執着を感じるんですよ・・・馬鹿馬鹿しいかもしれんけど。

無論そう言う事を回避できればそれに超したことはない。けどね・・・

筋とか義理って発想に弱いんだな、どうも・・・(汗)
(個人的に「所詮最後は手前の腹肥やす事考えてるんだから・・・一々
俺が取り合う謂れは無いよな。まぁ折り合いの良い所で話つけてさっさと
終わらせるか」とやる気無し全開モードに入ってしまうんですな。そういう
ものが無いと。別にがっつかなきゃ適当にやってたって生きていける訳
だし。しかし・・・それでは「生きている意味が無いのが人間と言う奴」な
気もするし。)

こういった方が解りやすいかな?・・・意欲の問題とも言いますかね。

競争・闘争の目的は第一義に「生存」ですが、それは無論「別段事を
起こさなくても達成できる場合が多い。」・・・其処から先。

「利益の極大化」・・・何故?あたしみたいな「根本的怠け者」は
「エマージェンシーの為のストック・オプション」を維持すると言う
以上の「余剰利益」には興味が無い。(故に「商売人に向いてない」
んですねぇ 汗)その日その日食っていければそれで結構楽しいし・・・

何故に注意を怠らないかと言えば「最悪の事態に困らない為」に過ぎない。
そこまで精力的にならなくても「適当にごろごろしている方がずっと楽しい」
と思ってしまう・・・「個体としてはそれで十分」なのです。

だから「何の為に利益を極大化せにゃならんの?つかれるっしょ。」
と怠惰な疑問が頭を擡げる(笑)

だから「個人利益の追求」はあたしには「社会参加の理由」にはならない(笑)
まぁ「仕事して食うだけの利益を上げる」ってのはありますが、結局それだけに
なってしまう。(下手に波風たてると迷惑する人が出ることすらあるし。)

で・・・こういう人間も居る訳だから、T.OKAさんの理論だけでは
「社会意識」の説明は完全にはならない訳です(笑)

散漫なのでまとめると・・・

1 平常時は「利益追求の為に波風立てない為のタテマエとしての倫理」
でも良いが「異常事態」における危機管理の局面においてそれは「如何なる
評価を受けるか?」

2 「個の利益追求以上の何らかの価値」に(本人の精神的救済の為の行為
なのだからそれがたまたま他人の役に立った所でそんな事は知らん、と言えば
それまでですが。)こだわる人は無価値な存在か?それは評価されるべきでは
無いと言う事か?

3 「利益の極大化」に誰もが魅力を感じている訳ではない。そう言う人間は
社会参加の意志が無い、社会の発展に基本的に寄与しないと考えるか?
(つまり好ましからざる人間、と言う事。)

つまり「人間の行動原理」そのものに対する見解が違う・・・

無差別に闘争を好むって訳じゃ無いです(笑)勿論「お気に入りのゲーム」
ではありますが・・・まぁ「利益を度外視してやるゲームほど面白いものはない」
ですけどね。まぁこれは個人的趣味の問題。

囚人のゲーム流に言えば・・・「オプションが1/0・・・死刑と無罪のゲームであれば
初めて頭を使う。そうでないなら懲役20年でも50年でも適当にやってくれ・・・」
と言う奴も居る・・・と言うことですな(笑)

(つまり最大利益を上げたものが勝ち、と言うルールが在って始めてゲームが
成立する訳だけど・・・そこで「一円でも入れば良いや」と考える人間にはその
「筋」は無意味になってしまうと言う事。そういう人間も結構多い・・・)

いや、「生物」としては「満腹だったらそれ以上食べない」のが普通では?

まぁ、その辺の前提の話でしょうね。「実際問題としては似た様な結論」としても。
まう。


【名  前】MEGURU
【タイトル】珍しく・・・ Part2
  12/01 00:48
Mail:
URL:
【メッセージ】
メンタルはフィジカルに依存する。
「肉体は魂の器」ではない。精神状態は主に内蔵系とリンクしている。胃腸が痛むと鬱状態になりやすいし、男性は上部の前歯2本をなくすと勃起力が落ちる。
カウンセリング室では、最近本格的に食事療法に関するアドヴァイスを始めることになった。そういうわけで実際の料理関係は全部俺の所に押しつけられている。
「胃に優しい料理」「荒れた腸を癒やす料理」「「酷使された肝臓をいたわる料理」
口にするのは簡単だが、具体的にするのは難しい。しかも患者の好み・経済状況・料理の腕・カロリー・etcを考慮しなければならない。余り難しいテクニックが必要なものは作っても意味がない。1人暮らしの男で料理をする気も起こらない奴には、どういう形でプレゼンするかもつかめていない。

医食同源と言えば、中華の薬膳が真っ先に思い浮かぶ。が、俺はあいにく薬膳に詳しくない。そういうわけで、薬膳関係の本&食材を大量購入。
俺の家の台所は6畳ほどあり、かなり広い。大型冷蔵庫には地味にサソリやタツノオトシゴの干物、冬虫夏草まである状態。同行者には気味悪がられるし、俺自身も薬膳料理を自分で作るのは初めて。しかも経費で落ちない。
同行者曰く「珍しく真面目に仕事に取り組んでいるから不機嫌なの?」状態である。大きなお世話だ。


【名  前】VIA MEDIA
【タイトル】ま、いっか(苦笑)
  11/30 21:30
Mail: slc31551@biglobe.ne.jp
URL: http://www2s.biglobe.ne.jp/~viamedia/
【メッセージ】
 まあこれ以上やっても「水掛け論」だと思うけど、「法律の文言をそ
のまま読めば問題が発生する。しかしおいそれと法改正出来ないから解
釈で何とかする」って点「そのもの」を問題にしているのであるんだけ
どな(苦笑)。

 そう言や、自自連合に絡んで自衛隊の国連軍参加とか、集団的自衛権
の話も出ていたな。これも「解釈」で「どうにでもなる」、って事か(苦笑)。

 古くは、故田中角栄元首相の裁判に絡んで、嘱託尋問調書と刑事訴追
免責の話もあった。あれも「刑事訴訟法」の「解釈」で「どうにでもな
る」、って事だな(苦笑)。

 ま、この伝で行けば、裁判にさえならなかったら「靖国神社法案」も
「合憲」って事になってしまう訳だ(苦笑)。

 しかし、裁判所が「世論」に流されて「解釈」を変える、ってのは、
何か恐い話だ(苦笑)。

 これが「法解釈の基本中の基本」だなんて言われたら、日本は到底
「法治国家」とは言えないな(苦笑)。「情治国家」、「納得治国家」だ
ったりして(苦笑)。

 「純然たる法理論」の問題と、「実務上の法解釈」の問題を混同して
すりかえるのも一つのテクニックだったりして(苦笑)。

 ついでに言っておくと、「法律」の原点は「神との契約」なの。「和
による話し合いでルールを決める事」ではないの。これを知らないと、
「赤信号、みんなで渡れば恐くない」になってしまうの。日本人の法意
識は結局「赤信号〜」の方なのよね。だからこれは「法の精神」の問題
ではなく、「法に対する意識」の問題なのよ(苦笑)。 

 ま、いっか(苦笑)。


【名  前】T.OKA
【タイトル】囚人のジレンマ的個人的戦略論
  11/30 16:27
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
★鯖さんへ

>故に「個の為に他を利用する」のは急場しのぎ以外には「余り有効な手段とは言えない」
>でしょう。「自分がシステムの一部にならないかぎり・・・」

 「利用する」と言い方が否定的な響きを持つことからの連想でしょうが、この場合の
「利用」は、一方的なものではありません。
 むしろ、相互に利用すること=「協力」或いは「相互扶助」です。
 例えば、封建領主と臣下。領主は、忠誠と服従を求めるという形で臣下を利用しますが、臣下は、
俸禄の付与(或いは、領地安堵)と言った形で領主を利用します。
 或いは、村落共同体。田植えという重労働をお互いに手伝い合う。或いは、治水という一人では
不可能な事象の管理を共同して行う。
 そして、そう言った協力が、表向きいわゆる「忠誠心」「武士道」「掟」「慣習」「信仰」
「義理」「人情」等を動機としてなされれば、お互いに利用されたという反感を持つことなく、
その「協力関係」を維持することが可能です。

>指導者であれば、無論「個人的野心」で大勢を巻込むことは「指弾される」
>日が来るでしょうし、経営者が「利用している」と言う意識をはっきり
>持っていれば「従業員は消耗品としての能力以上は持っていても発揮してくれない」
>でしょう。

 そういう場合もありますが、前述のように個人としての人間が、組織を結成し、利用して戦える
のが、「協力」「相互扶助」を基礎においていることを考えれば、このような方法は組織を維持
する方法としては失敗であることが分かると思います。

 それにしても、鯖さんは、喧嘩好きというか何というか、「競争」「自然淘汰」を余りにも、
個人対個人の殺し合い(或いは一方的な利用)=狭い意味での「闘争」に限定しすぎです。

 個人の競争の最終目標は、第一に生き残ることであり、第二に自分が享受する効用を極大化することです。
 そのための資源獲得(お金もここか?)、地位獲得なども、個別の具体的な局面では目的化しますが
相手と闘うことや、殺すこと自体は、目的ではなく、あくまで手段にすぎません。
 普通の場合、同種間では闘うこと自体や、殺すこと自体からは、何の利益も生まれません。
(共食いするようなことはまずないから)
 闘いに勝利した結果、相手の資源を奪うことができるから闘うわけで、闘わずにその資源を得ること
ができれば、闘う必要はありません。特に、闘いにはリスクがつきものですから、それを考えると無闇
に、闘いを選択するのは戦略的に良い方法とは言えません。

 いわゆるゲーム理論における「囚人のジレンマ」ゲームで頭の体操をすれば、分かりやすいかと
思います。(この辺の考察は、「利己的な遺伝子」(リチャード・ドーキンス)に詳しいです。)

 良く知られているように囚人のジレンマゲームとは、以下のようなゲームです。
 A・B二人の共犯者が逮捕された際に、警察の尋問に対して、
1 A・Bとも黙秘すると、   A・Bとも懲役1年
2 Aが黙秘し、Bが裏切ると、 Aが懲役10年、Bは無罪
3 Aが裏切り、Bが黙秘すると、Aが無罪、   Bは懲役10年
4 Aが裏切り、Bも裏切ると、 Aが懲役5年 、Bも懲役5年
という罰を受けるというゲームです。
 このとき、A・B二人は、黙秘すべきか、告白すべきか?というのがテーマになります。

 結論だけ言うと、普通の場合には、A・Bとも告白して、ケース4に落ち着くというのが通例です。
 ここで言う普通の場合とは、ゲームのチャンスは一回のみであり、A・B間に信頼関係が無く、
また、相手がどのような戦略を選ぶのか、意思の疎通や経験からの類推が不可能な場合です。
(例えば、お互いに意思の疎通があり信頼関係があれば、ケース1になります。)

 これを少し変形して、次のようなゲームを考えて下さい。
1 A・Bがお互いに協力を選ぶと、   A・Bとも10万円稼げる
2 Aが協力を選び、Bが裏切りを選ぶと、Aは20万円、Bは0円
3 Aが裏切りを選び、Bが協力を選ぶと、Aは0円、Bは20万円
4 A・Bがお互いに裏切りを選ぶと、  A・Bとも5万円しか稼げない
(ここで裏切りは、「闘争」に置き換え可能です)

 このような状況は、かなり単純化されてはいますが、現実社会によくあてはまると思います。
 しかも、このゲームは、1回で終わりではなくて、A・B間で10回行います。
 また、参加者もA・B二人ではなくて、Zまでの26人で参加し、総当たりで行います。
 かつ、それ以前のゲームの結果は全て公開し、お互いに今まで相手がとってきた戦略(例えば、
この人は裏切るとか、裏切らないとか・・・)が見えるようにしておきます。
 ただし、事前に意思の疎通を図っての共謀だけは禁止します。(相手の一貫した行動から類推
した結果に基づく、事実上の共謀はO.K.)

 こうすると、例えば、Aは、10回×25人の250回のゲームを行うことになります。
 ですから、個人の理論的最高獲得額は、20万×10回×25人=5、000万円となります。
 しかし、これは、25人が全員10回続けて裏切られたままで黙っているお人好しということで
すので、実際にはほとんど実現不可能な結果です。

 ここで取りうる戦略としては、例えば、対戦相手毎に、
1 いつも協力を選ぶ
2 常に裏切りを選ぶ
3 最初は協力を選び、それ以降は相手が一つ前に出したのに併せる。(一度の裏切りは許す
 協力的報復戦略)
4 最初は裏切りを選び、それ以降は相手が一つ前に出したのに併せる。(一度の裏切りは許す
 裏切り的報復戦略)
5 最初は協力を選び、一度裏切られたら、その後は相手の手とは無関係に裏切りを選ぶ
 (一度裏切ったら絶対に許さない協力的報復戦略)
6 ランダムに選ぶ
7 相手によって戦略を変更する戦略、その他いろいると複雑な戦略
など、いろいろわるわけですが・・・、

 いろいろなシュミレーションの結果、結局の所、あんまり複雑に考えずに、3の「一度の裏切り
は許すという協力的報復戦略」をとるのが、最も獲得額が多いこということになっているようです。
(ちょっと考えて見れば、何故、1や2では駄目なのか理由はすぐに分かると思います。
 5(或いは4)もかなり有力らしいので、何故駄目かと言われると難しいのですが。)

 一言で言えば、「まず、お互いの協力を目指し、自分からは裏切らない」。
 ただし、「相手の裏切りには報復する。」 しかし、一度だけの裏切りであれば許す。
 という戦略がベストということです。

 これは、まさに、世の中で筋が通っているとされている生き方の一つです。

 そして、ここで「協力」を選ぶということが、まず、二人のグループを作ることであり、それを
積み重ねれば「組織」になっていくわけです。
 勿論、「組織」同士の競争にも、「組織」内の個人間の競争にも、基本的にはこのゲームの結果
を適用可能です。
 つまり、「筋を通して生きる」というのは、実は、ゲーム理論的にも個人の効用最大化をもたらす。
と言うことが言えます。

 ここまで来れば、前に述べた「社会システム(組織)を維持しつつ闘う」に容易に繋がると思います。
 これは、善悪の問題ではなくて(そういう側面もありますが)、個人功利主義的な面からも、
相手の協力をなるべく得るという観点から極端な敗者を作らないようにすることや、信義を大事にして
組織の構成員が一方的に利用されていると感じないようにすることが重要なことが分かると思います。

 このように、一対一のゲームを多人数で、複数回行うとした単純なシュミレーションだけでも、
「無差別な闘争」よりは、「裏切りには報復」を前提とした「積極的協力」を意図的に行うものが
有利になっているわけですから・・・

 現実の社会では、判定基準(このゲームでは、お金。)も、金銭、名誉、権威、異性等々あり、
多様化していますし・・・。
 選択肢も、「協力」「裏切り」だけではなく、「中立」「無視」「不参加」他、様々な選択肢が
あるわけで、複雑になっていると思います。

 とすれば、鯖さんのように、「競争社会」を、個人がお互いに無差別に「闘争」しあう社会と
捉えて、「障害者を切り捨てたり」「餓死者を出すのも厭わない」ことを是とする社会と捉える
のは、無理があるというか、行き過ぎでしょう。

 もし、そう言うのが実際に起こっているとすれば、その部分については、「競争社会」としても
失敗している社会と言うことだと思います。(現に、アメリカでも貧乏人は「凍死しろ」
「餓死しろ」とか言う人は少なくて、金持ちは(税金対策であっても)熱心にチャリティーして
います。つまり、それは「失敗」として認識されているわけです。)
 また、「障害者」について言えば、アメリカほど「アクセシビリティー」について、神経質な
国はそんなに無いと思います。つまり、切り捨ててはいない。

>結果的に「組織によって力を得る」人間は「個体単位では過度の競争的態度は
>見せない・能力至上ではない・むしろ協調的である」と言う事かしらん。

 論理展開は全然違いますが、結論は大体そんな所になると思います。

それでは。


【名  前】T.OKA
【タイトル】やっぱり理系ではない
  11/30 15:31
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
★のりさんへ
>ストレートに読む法律学者などいやしない。それこそドアホと言われるのがオチだ。
>ストレートに読めば14条法の下の平等からは刑法の尊属殺人を筆頭に山のような判例が出てくる。
>法解釈は字面だけで出来るものではない。
>成立過程、時代背景や参照した他国の法なども考察対象だ。字面だけで物言うは単なるアホ。

 ひょっとして、本当に法学部じゃないの?

 まさに、法律解釈、リーガルマインドの基本中の基本。
 憲法解釈だけでなく、普通の法律の解釈についても、例えば、利息制限法の上限を超えた合法的
サラ金の金利。(字面抱けで言えば明確な法律違反であるが、もし利息制限法を厳格に適用すると、
誰もお金を貸さなくなって、却ってお金を借りたい人が困るので、その上限を超えることを「解釈」
で可能としている。)借地借家法の借家人に有利に解釈する凡例の数々。などなど、
 字面だけではない解釈を裁判所がすることはありますね。

 結局の所、のりさんの挙げたものの他、立法意思、事情変更、社会通念の変化なども考慮して、
(裁判所的な意味での)「常識的な」解釈を下すわけです。

それでは。


【名  前】T.OKA
【タイトル】京極ワールド
  11/30 15:11
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
★けんけんZさんへ
> 結論から言えば「魍魎の匣」は大変面白かった。
>「狂骨の夢」の方はそれほど(^^;
>「姑獲鳥の夏」よりも一段落ちるかな、と言う感じ。

 その3冊に限れば、私と全く同じ順番です。

> さて、面白かった「魍魎の匣」の読書感想文。
> なにが面白かったかと言えば、そのスケール感。
>「姑獲鳥の夏」は、主人公の関口の個人的経験と記憶の混乱に集約されてしまうような、小説的な趣きが有った。
>「狂骨の夢」は、途中からどんどん事件の輪郭が拡散していって、京極堂の最後の憑き物落としの段では
>すでに付いて行けな い(^^;
> これはまあ読者(つまり自分、一般化するつもりはない)側のキャパシティの問題かとも思うが、どうにも
>読んでいて事件の全容が「手に負えない」気分になってしまって、木場に移入しようが伊佐間屋に移入しようが、
>物語の中に入っていけなくなってしまったのだ。
> つまり、傍観者であり観客に過ぎない。

 では、ネタバレにならない範囲で次の三冊についての私の印象。
「鉄鼠の檻」
 スケール感はそんなにないし、事件の複雑度合いも他の京極に比べれば単純。(それでもかなり複雑。)
 歴史の悠久と個人の可能性を制限する意識的な枠について、思いを馳せることになると思います。
 どっちかと言うと、「狂骨の夢」に近いイメージ。
「絡新婦の理」
 スケール感はそんなにないですが、事件の複雑度合いは相当です。はっきり言って、終盤には何が何だか
分からなくなるかも知れません。(説明された後でも、今一つ理解できないかも知れない。)
 家制度、性差別問題などにも頭を悩ませられます。「魍魎の匣」よりもお気に入りです。
「塗仏の宴」
 スケール感も、事件の複雑度合いもとんでもないです。(そもそも2冊組で長いし。)余りの複雑さに
読むのにかなり根気が入りますが、報われます。「絡新婦の理」と同じくらいお気に入りです。

> さて、T.OKAさんによる登場人物との対比だが、関口巽で異論は余り無い(笑)
> でもまあ、久保のほうがしっくり来るな、私には(^^;

 だから、けんけんZさんが14歳の時に関口のような運命の体験(例の少女)をしていなければ、
久保だったのに・・・って言ったのに(笑)

★鯖さん
>あにきやけんけんZさんの様に(関口巽はあんなにもてまへん(むー)>T.OKAさん)

 いや、けんけんZさんも関口もどちらも14歳で運命の出会いをしているようだから(笑)

>姉妹がいらっしゃる方のお話を聞くに・・・「やっぱり感覚が違うのではないかいな?」と
>思う。「幼児期から身近に接している」のと居ないのでは・・・

 それは、あるかも知れません。
 私にも妹が居ますが、男子中高校頃に、同級生を見ていてそんな感じがしただけでなく、
大学に入ってからも、男子校出身と共学出身の差よりも、姉妹の存在の差の方がその点では
大きいかな? と、思いましたので・・・

それでは。


【名  前】のり@王子
【タイトル】プロの嫁無し…なんじゃそりゃ?
  11/30 14:13
Mail: nori@uchilab.j.dendai.ac.jp
URL:
【メッセージ】
まゆー

 法学部出身者よりも法学部的と言われるとどうも専門をしっかりやれと言われているようだ。被害妄想
だと思うが実際修論が煮詰まっているのでそう言われても言い返せないのが悲しい。
 と言うわけで(どういうわけ?)生態系の理系的考察のお話。

 ロシアのとある湖で捕食者である肉食大型魚類と被捕食者である小魚の個体数を調査した結果を数学モ
デルで示した例がある。捕食者の数をx、被捕食者の数をyとするとその時間変化は以下の式で表される。
  dx/dt=ax+by+e
  dy/dt=cx+dy+f
 a,b,c,d,e,fは定数で、x,yの挙動はこの定数により決まる。ごちゃごちゃとこれを解析すると以下のよ
うに場合分けできる。x,yの初期値は0以外とする。
  a)ある一定の値に収束する(個体数の変化が無くなる)
  b)x,y共に0になる(絶滅を意味する)
  c)一定周期の増減を繰り返す(リミットサイクルと呼ばれる)
 調査結果はc)となった。個体数比が一定となるa)は理想状態以外あり得ないが、理論的にはa)も注目す
べき結果である。

 個体数が変化しない(式が0になる)と言うものには二通りある。
  1)どんな初期値からも一定の値に収束する。
  2)変化しない値はある初期値のみで、それ以外ではその他の挙動をする。
 1)はイメージし易いと思うので略。問題は2)。例を挙げると針の上にビー玉を載せ固定することは理論
的に可能だがその位置はただ一つしかなく、少しの「ずれ」により安定状態(針の上での静止)からはずれ
る。天気予報が確実に出来ないのはこの少しのずれが時間を進めることにより結果を変えてしまうほどの
大きなずれになるからだ(計算機は有限桁しか扱えない)。
 更に実イメージに近づけるにはa,b,c,d,e,fも時間関数とすべきだが、複雑になりすぎるため外乱を導
入しe,fをe+u,f+vに置き換え定式化する事が多い。詳しく知りたければカオスや熱力学関係の本にはたい
てい載っているので読んでみるといい。
 
 

 専門外である自分が言うのはなんだがVIA MEDIA氏は法解釈の基本が無い。それは
  ストレートに読めば、「私学助成は憲法違反である」と言うのはどんな法律学者でも認めざるを得な
  い事である。
 等と言うところで明らかだ。ここまで自信たっぷりに言われると笑うしかないのだがストレートに読む
法律学者などいやしない。それこそドアホと言われるのがオチだ。ストレートに読めば14条法の下の平
等からは刑法の尊属殺人を筆頭に山のような判例が出てくる。法解釈は字面だけで出来るものではない。
成立過程、時代背景や参照した他国の法なども考察対象だ。字面だけで物言うは単なるアホ。
 ただ、VIA MEDIA氏は確信犯的に揚げ足を取っているように思える。もっともそれすら破綻してるのが
笑えるが。
 

ほむー


【名  前】BLEAD
【タイトル】風邪ひき
  11/30 13:55
Mail: blead@fat.coara.or.jp
URL: http://www.coara.or.jp/~blead/
【メッセージ】
 覗いてはいたのだが、書く暇がなかった。
 「EXODUS Guilty」やってたら暇無くなったし。
 風邪をひいた、ので脳味噌がぼうっとしている、いつものことだ。
 EGは終わったからPSの「lain」をつらつらとやっている、なかなかに面白い。
 ちなみに、T.OKAさんへ、「lain」はそういうAnimeではありません。
 可愛い女の子とか軽いノリの話が見たい場合は他のを見た方が無難、なにせあれはピーです
から…一部文章が乱れました(笑)まぁ、玲音はそれ程でもなくてもありすは可愛いのであま
り問題なし(オイ)
 久しぶりにTRPGをやったら、キャラがガッツになってしまった。
 敵キャラが石榴のように弾け飛ぶ…なんなんだろう?
 ……しかしまぁ、最近マンション内にギターの音が響き渡る……エレキでないのが唯一の救
いだろうが…うっせぇ…どこの奴だろ?(愚痴)

鯖さん
 俺は妹が居るが…それこそ木場修と似たような状況になる。
 妹というのは女である前に妹だから…って、当たり前すぎてつまらんな。

けんけんZさん
 あぁ、なんか京極汚染率(笑)が高くなってきた。
 時に、けんけんZさんと関口の共通点といえば、やはり
「奥さんが現実に自分をつなぎ止める鎖である」
 というのに尽きるでしょう。
 俺の一番のお勧めは…やっぱり「絡新婦の理」でしょうか?
 一番気に入っているのは「姑獲鳥の夏」ですが、人に勧めるとなると「絡新婦の理」
 組み立てる物語性というのでは「塗仏の宴」ですね。

あむ。


【名  前】フランソワ
【タイトル】ひとこと
  11/30 08:15
Mail: francoise@nerv.office.ne.jp
URL: http://start.at/404/
【メッセージ】
=砂漠谷様
>あにきやけんけんZさんの様に(関口巽はあんなにもてまへん(むー)>T.OKAさん)
>姉妹がいらっしゃる方のお話を聞くに・・・「やっぱり感覚が違うのではないかいな?」と
>思う。「幼児期から身近に接している」のと居ないのでは・・・

>多分居る方が自然と身に付けている感覚が自分には「解らない」のかもしれない。
>(木場修には妹が居た筈だが・・・やっぱり四角い顔なのか? 汗)

お兄様なんかは(本当に)妹がおりますけど、「じょし」はロミュラン人辺りより5光年位遠い存在らしいですわよ? え? お兄様は特殊例? Ohhh。